拾った狐は未来の旦那様

数日が経ち、今や平常心で銀狐と過ごせている。
今日もいつものように、ほうきで落ち葉を集めていると後ろから声がした。
「陽香、私がやる。」
「いえ、昨日もやって頂いたのに今日も任せては無礼にもほどがあります。」
「いいから。もし嫌であらば私に接吻をすることだな。」
「そんなことをして貴方様に何の利益があしましょう。」
銀狐は少し顔を赤らめる陽香の姿を見逃さなかった。
「はは!やはりいじり甲斐があるものだな。」
そう言って私の手からほうきを取り上げる。
「あっ!ちょっと。」
「これは神使からの命だ。断ることは断じて許さぬ。」
そう言われてしまえば陽香は身動きがとれない。そうして罪悪感が溜まっていく。けれど、明日は神楽の舞を踊らねばならない。なら、休ませていただこうと考えられるため、罪悪感も薄れていく。
「そういえば、ずっと人の形をされていますが、何故狐にお戻りにならないのですか?」
「先祖は狐だが、神使となり人の形となった。それからというもの、赤子は狐の形をし、5歳ほどで人の形となり、人の寿命(とき)を生きて死ぬ。」
永久を生きるのかと思っていたが違ったようだ。神使であろうと天に還るということか。
「なら何故、あの日狐の姿を?」
「あれは、山にいるときは狐のほうが何かと都合がいいからだ。」
「なるほど。」
「銀狐様は御年何歳になられましたか?」
「18だ。」
思った以上に若い。鋭い目つきや貫禄があるからかもしれないがまだ二十歳になっていないとは。
「それより、銀狐と名乗ったのはいいが、何とも格好悪いし、私のことを知っている人間もいるだろうから違う呼び名のほうがいいな。」
そんなに有名人…有名狐だったのか。無知は罪、今更ながら知らなかったことへの羞恥心が高まる。
「陽香。」
「はい。」
「名を付けてくれ。」
そんなことを急に言われても…。銀色に…氷のような…。白金……。
「……氷白(ひはく)…はどうでしょう。」
「うむ。それにしよう。」
良かった。嫌ではないようでほっとする。
「私も聞いてもいいか?」
「はい。」
「お前はこの神社を独りで守っているのか?」
「はい。両親は幼い頃に病死したので。」
「親から死際に何か言われなかったか?」
「あの頃は両親がいなくなって心身ともに辟易していましたから、覚えておりません。」
小さい頃の記憶は両親が亡くなってずっと独りで泣いていることぐらいだ。そこに湊と奥さんが来て陽香をここまで育ててくれた。実の親のように可愛がってくれたことを今でも忘れない。
「そうか…。それともう1つ。その腕の怪我は何だ?」
今は巫女装束を着ているため見えていないが、夕飯の支度をしているときに見えたのかもしれない。
前に菜月に棒で殴られた跡だろう。特に気にしてもいなかったし、バレていないと思っていたので少し驚いた。
「…転けて痣ができただけです。すぐ治りますよ。」
明るく微笑む。そんな陽香を痛々しく見つめる。
「……何かあったら私に言え。」
「お気遣い有り難とうございます。」
そう言って家の中へと戻っていった。
後日、神社には村の人達が大勢来ていた。
今日は舞を披露する日だ。巫女舞は村の平和を願って行われる。
それを見に来る人も多いが、村一の美人が舞うのだ。特に年頃の男共が多い。
「氷白様。」
「様付けしなくてよい。それより何だ?」
「狐になってください。」
「……何故だ。」
とても嫌そうな顔をしている。しかし整っている顔なので、然程変ではない。
「何故って村の方々は知らないのですよ?怪しまれては困ります。」
「湊は知っておろう。隠す必要が何処にある。」
「しかし、ある意味面倒なのです。」
氷白のような美男子が傍らにいれば、当然気に食わず、何かしら動いてくる人物がいる。……菜月だ。それだけでなく、村の未婚の女に質問攻めにあうだろう。それは億劫なので避けたい。
「…まぁ理由はともあれ、断る。」
「そんな…。」
「それに、ここに来ている男共は陽香目当てであろう。なら見せつけるいい機会だ。」
悪者のような邪悪な笑みを浮かべている。隣の陽香は今にも逃げ出したい。
「見せつけるも何も巫女舞に見に来てくださっているのですから、変なことはお止めください。」
「はぁ…、お前は本当に疎いな。」
「そんなことございません。大体何を見せつけるというのですか。」
「仲睦まじい恋人…といったところか。」
「恋人ではありません!」
今度は憎たらしい笑みを浮かべている。子供扱いも大概にしてほしいものだ。
「とりあえず、狐に、ほら、早く!」
「分かった分かった。」
渋々といったような感じで煙に巻かれ狐と化した。その狐を抱きかかえ陽香は家へ向かう。その抱き心地と言ったら綿あめを抱いているようで幸せな気分になった。
「そんなに、抱きたかったのか…。」
屈辱そうに言っているが、理由は違うものだ。半分抱きたかったのは事実だが…。
「あら〜、縁談の話のこない陽香さんではありませんか〜。」
面倒なのに出会した。
「菜月様、御無沙汰しております。」
「腕に抱いているのは狐?銀色の狐なんて珍しいこと。案外物好きなのねぇ~。」
ニタニタと笑う姿は実に気色悪い。
「それでは支度があるので失礼…」
バシャッ。
後ろを向いた瞬間冷たい水を浴びせられた。
「あらー、大丈夫?その巫女装束じゃぁ出られないわねー。残念。」
そんな言葉はどうでもよく、氷白が濡れていないか心配だ。抱いていた腕のお陰であまり濡れていないようなので安堵する。
「それでは失礼します。」
家の中へと入ると戸越しに嘲笑う声が聞こえてくる。もう慣れている陽香は気にせず、新しい装束に着替える。
すると、真下から怒りを必死に抑えているような声がした。
「あの女、少し懲らしめてもいいのではないか?」
「…氷白、着替え中です。」
「…すまない。」
素直に後ろを向いた。
「…懲らしめなくとも大丈夫です。」
「しかし、痣もあやつの仕業であろう。陽香の縁談も白紙にして虐めていたのだ。罰があっても良かろう。」
「…ん?縁談を白紙に?」
初耳だ…。そんなことまでしていたのか。というか何故知っているのだろう。
「私だって一応神使だ。神から告げられることも時々ある。水を掛けられることを知っていながら防ぐことができず申し訳ない。」
…だから、狐になりたくないと言ったのだろうか。それより、天は全て見越しているというのは本当らしい。
後ろを向くといつの間にか人の姿へと戻っている。
「大丈夫です。運命(さだめ)は変えることなどできるはずございません。それに心配して頂けただけで十分です。」
聖母のような笑みを向けると、氷白が力強く抱きしめてきた。
「優しいな、陽香は。」
そう言って目を細めて笑う氷白を見て一瞬ドキッとする。
「…さて、舞を始める時間ですね。」
「しっかり拝見させてもらう。」
神使に見てもらうのは少し緊張する。
それでもやらねば!
天冠と巫女鈴を用意し、持っていく。氷白はまだ家の中にいる様子なので1人庭へ駆けていく。
大樹の木陰に入ったところで、また後ろから水を掛けられた。
「これではもう舞うことができませんね〜。あら、残念。」
もう、替えはない。仕方なくこれで踊ることにしよう。
幸いにも髪と手元に持っている天冠と巫女鈴は濡れておらず、安堵する。
…まぁ装束は濡れてしまっているが……。
時間が押してきている。陽香は駆け足でその場を後にし身支度を済ませた。
いよいよ舞が始まった。
「陽香、濡れておらぬか?」
「何事じゃ?」
出てきて聞こえてきたのはそのような声だった。しかし致し方ない。
篳篥の音が響き渡り、他の楽器も続く。それに合わせ舞う。
「何と…。」
「水飛沫が誠に綺麗だ。」
舞うたびに、飛ぶ水飛沫が陽香の誠実さを表しているかのよう。16歳とは思えぬ色気が出ている。本人はただ祈りを込めて舞っているだけだが…。
感嘆しているのは、村人だけでなく氷白も同じだった。
「綺麗だ。やはり欲しいものだ。」
雄一、妬ましく思っているのは菜月だろう。立ち去りたいだろうが、村長の娘という肩書のせいでその場にいる。

無事、舞を終えることができた陽香は一安心。もう日も暮れ始めた頃だ。
夕飯の支度の準備をしていると、湊が駆け寄ってきた。
「陽香。とても綺麗だったぞ。水浸しの装束を見て始めは驚いたがな。」
「ありがとうございます。」
褒めてもらえてとても嬉しくなった。じゃぁなと湊が帰ると、村の男、女達が一勢に押し寄せてきた。
「陽香!美しかったぞ!」
「俺のとこに嫁いできてくれ!」
「巫女ではなく天女ではないのか!?」
「陽香ちゃん、綺麗!」
「私のお嫁さんにどうか!」
陽香は驚いた。そんなに褒めてもらえるなんて思いもしなかった。それより、濡れたまま舞ってしまい咎められると思っていたので少し拍子抜けだ。
…それより嫁いでや嫁と聞こえたけれど、聞き間違いかな…。
未だに男、女達の大群から抜け出せないでいると聞き慣れた声が聞こえてきた。
「陽香。」
落ち着いたその声で一気に静まり返り声の主の方へ一勢に視線がいく。
……氷白だ。女共はその美貌に絶叫し、男共はその美貌に絶望を覚える。
「……陽香…、あの者は?」
「えっと、その、倒れていてしばらくの間私が面倒を見ている氷白という者です。」
「そんな……。」
「俺らの天女の世話に……。」
「きゃー!」
「何と白銀の髪の強かなこと…。」
色を無くした目や、妬み、憎悪の目、うっとりした目とそれぞれの感情が滲み出ている。しかし、氷白の1言で一変する。
「私は、陽香を貰おうと思っているがな。」
より一層発狂するもの、憎むもの、中には崩れ落ちて魂が抜けているものがいる。
どうすればいいのか…?
そこで菜月が声を荒らげた。
「そんなの嘘!?こんな綺麗な方がこんな何の取り柄もない陽香を愛でているはずない!」
周りからは何を言っているんだ、というような顔で見つめられる。陽香を囲んでいる者の中には話を持ち込んだ者をいたからだ。陽香が黙って俯いていると氷白が怒りを露にした。
「おい娘、お前が陽香の縁談を握り潰していたんだろ?」
氷白から迫力のある鋭い目で睨みつけられ、菜月は動揺しながら口を開く。
「な、何を仰いますか。万が一それが本当だとして証拠は?無きに等しいのに何故そのようなことが言えるのです?」
「お前の家に行けば有るのではないか?」
「くっ…。」
菜月は反論する言葉もなくし、口を噛んだまま突っ立っている。
「は!?」
「ふざけるな!」
「ありえぬ…。」
周囲からは非難の声が聞こえてくる。
「…ひ、陽香が悪いのよ。私を虐めて、だからその腹いせに!」
「さっきからヌケヌケとよくもまぁそんな洞が吹けたな。」
「本当の事です!貴方のような美しい方に相応しい相手ではありません!」
村の人達は軽蔑の目を向けている。もう既に見限っているのだろう。
しかし、菜月の言葉に氷白が激怒した。
「相応しくないだと?貴様こそ身の程を知れ。」
その場に居合わせた人々は氷白の殺気混じりの威圧感に怯え、立っているのにやっとだ。菜月は顔が真青になり、体中が細かく震えている。
「しかし、私は、酷い仕打ちを受けて、」
「黙れ。貴様が虐めていた立場なのによくもまぁ堂々と居られるな。」
そう言って陽香の前に立ち、華奢な腕をその場の者達に見せた。痣だらけの痛々しい腕。見た人々は絶句した。
「巫女にこれだけのことをしたのだ。神が易易と許すことはなかろう。直、天罰が下る。娘、精々死なぬことだな。」
その言葉にさらに青ざめ、その場を立ち去っていった。
それに続いて村人も帰っていく。
「この度は誠に有難うございます。」
「私の方こそ、大事な時に護ってやれず不甲斐ない。」
「そんなことございません!」
勢いよく否定した。氷白のお陰でこのようになったのだ。謝られる筋合いは一切ない。
…それよりも
「氷白様、夕飯に致しましょう。今日は鮎が捕れたそうで分けて頂きました。今日は塩焼きですよ。」
家に入るよう促すと、氷白が陽香の髪を一束取る。陽香はそんな氷白を訝しみ、どうかしたのか、と尋ねた。
「お前は清らかな人間だな。」
優しい眼差しで陽香に向き合う。氷白の顔が近づいてきて思わず、目を瞑る。
額に何か柔らかい物が当たった。数秒後接吻さらたのだと気づき、顔が赤くなる。
「はは、それでは鮎を頂くとしよう。」
その日、陽香は落ち着いて寝ることができないのであった。
「ぎゃーー!」
「出たぞ!」
「誰か、助けて下され!」
月夜に人々の悲鳴が響く。しかし、直ぐにその悲鳴も消える。
「やれやれ、煩いな、人間は。」
深夜の村に灯りがあるわけもなく、ただ正体のわからない暗い人影が騒ぐ人を億劫そうに斬りつける。
もう、4、5人の息の根を止めただろう。満足したのか暗闇へ消えていく。
月明かりに照らされた人影は僧のような格好をしていた。
「今宵も月が光っておるな。」
村から消えたのと同時に死んだ人々は跡形もなく消えていた。
「氷白様。お風呂の支度が整いましたよ。」
「様付けしなくて良いと前にも言わなかったか?」
「…ですが、」
「まさか、神使の命を蔑ろにするはずはないだろな?」
「分かりました、氷、白。」
最近では薄気味悪く笑う氷白に抵抗するのも億劫になってきた。
家の掃除も終わり、ゆっくりと茶を飲む。氷白が来てはや1ヶ月。
この前の騒動で、氷白は恐怖の対象となったが、美貌を見に来る者、もしくは陽香を陥れるためにいるのではと見当違いの噂が流れ陽香を按じて来る者もいて、追い返すのに大変だった。しかし、氷白の優しい人柄を知っていくとそんな噂もなくなり、今や村の美男王と言われている。
湊は氷白の礼儀の良い立ち振舞が大層気に入ったようで、一昨日又もやとんでもない事を言い出した。
「記憶が戻ったようで良かった。」
村で氷白の名が広まり、湊の耳にも入ってきたらしく、どうやら記憶が戻ったと思っているようだ。
…実際それは嘘なので乾いた笑いしか出てこなかった。
「お主のような者が、陽香を貰ってくれると良いのだがな。」
その途端、陽香は激しい頭痛がしてきた。
…きっと今のは聞き間違い…。
「私も陽香が貰えるのであれば幸せです。」
「…はい!?」
「そうかそうか!陽香にも立派な殿方ができたな。」
頭がついていかない。陽香が目眩に苛まれている間に勝手に話が進み、現在、何と正式に同居する事となった。
陽香が結婚は見極めてからと、お世話になった湊を悲しませないために嫌な気持ちを隠しながら意見した。不幸中の幸い、結婚の話は今のところ進展していない。
「陽香。」
「ひゃっ!」
耳元で急に名前を呼ばれ変な声が出た。振り返れば座っている陽香をまじまじと見ている。顔が近い。
「そんなに緊張しなくとも良い。」
悪戯が成功し、とても機嫌がいい。
……疲れる…。
「何でしょう?」
「私のところに嫁ぐのは嫌か?」
唐突に聞かれた質問に固まってしまう。
…聞き方が悪どい。これでは何と答えてよいかわからない。
「…嫌ではありませんが…。」
途中で口籠る。そこまで嫌ではないのは事実である。しかし、結婚しようかと言われても素直に頷く事はできない。
「嫌ではないのか?」
「はい。」
即答してしまい、思わず恥ずかしくなる。返事を聞いて氷白は嬉しそうに頬を上げる。
「それでは風呂に入ってくる。」
満足したのか陽香に背を向ける。陽香は結婚の話で赤くなってしまい少し外の空気を吸おうと立ち上がる。
チャリン。
鈴の音がした。氷白の方を振り向くと、歩みを止めている。
「何かございましたか?」
「………いやっ、大した事ではない。明日、私は用事があるのでここを留守にする。くれぐれもこの村から出るな。」
「……承知致しました。」
芳しくない顔で物を言う氷白に少し不安を覚えながら月を見上げた。
今日は少しだけ不気味に光る月を。
「それでは行ってらっしゃいませ。」
「あぁ、くれぐれも村の外から出るなよ。」
「承知しております。」
明朝、出かけると言った氷白は陽香に見送られている。
昨日様子がおかしかったせいか陽香は氷白の身を按じているように不安の色が顔から覗える。
その姿が愛おしく、氷白は陽香の頬に軽く口づけをした。
徐々に赤くなり、最後は照れ隠しして見送ってくれた。それを見て、何とも愉快になった氷白は微笑しながら村を出て、隣村へと向かった。
「さて、」
来てみたものの異常は見当たらず、皆におかしい様子もない。
禍々しいものも感じられるが村人に何かおかしな事はなかったかと聞いても無かったと言われる始末。
ここに長居しても仕方がないと悟り、次の目的地へと行くことにした。


……魔界。妖かしの住まう賑やかな都。ここでは四六時中お祭り騒ぎなので、人間の住む世界とは別次元と等しいだろう。
「銀狐様。お久しゅうございます。」
「あぁ、久しぶりだな。」
「あら、銀狐様。お久しぶりでございます。お元気な様子で何よりです。」
「お前も元気そうで何より。」
通る度に顔見知りの妖かしに声をかけられ辟易していると、後ろからよく知っている声がした。
「銀。」
「荼枳尼天様。お久しぶりでございます。この度は隣村の件でお話しとうございます。」
振り返り挨拶をすれば、優しい笑みを向けてくる。その姿はまるで聖母のようだ。
……荼枳尼天。銀狐の主のような存在だ。聖母のような笑みとは裏腹に、人の死を前々から予知し死後、その肉や血を食らっている鬼神である。
「昨夜隣村で起きたことだな。隣村の僧が村人何人かを斬殺した。僧とは云えど人を憎む妖かしが人に化けている。そこらの人が相手になるまい。」
「で、その殺された人々の肉をまた食ったと?」
「まぁな。残忍かもしれぬがこれも又宿命よ。それに、食べる人もお主も知っておる通り限られている。」
正直言ってため息しか出ない。
「しかし、昼間度々探りを入れていたものの怪しい動きもなかった。それに、忘れられた人間などあのような小さな村にいると思えませぬが…?」
「…妖術でそうさせているのだろう。強力なものであれば解けぬ。」
…妖術で人の記憶から人を消す。考えるだけで虫酸が走る話だが、低級中級程度の妖術であれば、勝手に解けるか、解術を使えばすぐ解ける。が、上級であれば一生消えぬものもある。
私が陽香に忘れられたら……。
そんなことになれば、命を絶つだろう。それ以外考えられない。
氷白は改めて僧に(はらわた)が煮えくり返る程の憎悪を覚えた。
「銀。隣村の件任せたぞ。」
「言われずとも。そのために人間界ヘ参ったのですから。…それに、不意討ちでやられっぱなしでも癪に障りますからね。」
軽く会釈をし、急いで隣村に戻ろうとしたが、まさかの話題が出てきた。
「銀。巫女とはその後どうだ?」
陽香の話が出るとは思いもしなかった。
「何故それを?」
「昨夜少し様子を外からな。気取られぬよう警戒しておったが、わからなかったようで良かった良かった。にしても、お主があそこまでべた惚れとは珍しいのぅ。お主の両親と金に伝えぬままで良いのか?」
「知らせなくて結構です。では先を急いでおりますので。」
教えるつもりは毛頭ない。後々、騒がれてもこちらが疲れるだけ…。
氷白は、荼枳尼天が余計なことをしないよう願いながら、駆け足で向かった。
「もし、この村に寺があると聞いたが、何処にあるのだ?」
早速村に着いた氷白は、寺の場所を聞き出そうと小作人の老人に声を掛けた。
「あぁ、あります。しかし、貴方様のような方がこの小さな村に用があるとは思えばせぬ。何故でしょうか?」
「私は旅の者だ。訪れた地の寺にこの長旅が無事終えられる事を祈願しに参ろうと思ってな。」
「左様でしたか。寺ならここから西に歩けばすぐ見えてきますよ。」
警戒心を解いてくれたようで、すんなり教えてくれた。
「しかし、あまり行かぬほうが良いのでは?あの寺はちと評判が悪くてな。」
「何故だ?」
「…これ以上は言えませぬ。…ご武運を。」
「…お前も達者でな。」
そう言って、氷白は西ヘ歩き始めた。
いつ、帰ってくるのでしょうか…。
神社の掃除、神事を終わらせ、することがなくなった陽香は1人家でのんびりと過ごしていた。氷白が訪れてから1日も留守にしているのは初めてで妙な気持ちだ。
…昨日の鈴の音は一体…。
何か良くないことが起こっているのだろうが、村から出るなと言われた。自分の無力感に浸りつつも茶を啜る。
「陽香ー!」
「湊さん?どうされました?」
慌ててこちらへ来る様子に只ならぬ緊張感を覚える。
「大変じゃよー。隣村の僧が来てなー。お主を娶りたいと言っておるんじゃ。」
「………はい?」
隣村の僧の存在は聞いたことがあるが、それ以上知らない。ましてや、会ったこともないのだ。何が何だか、頭が混乱している。
「とりあえず、来てくれるな?」
「…分かり、ました。」
重たい足を必死に動かし、僧のもとへ向かった。

「お初にお目にかかります。私が陽香でございます。」
「あぁ、やはり噂通りの絶世の美女ですね。」
ニコッと笑いこちらを上から下まで見る様子に少し恐怖を覚える。否、会ったときから、僧の回りから嫌なものを感じられる。
年は三十路ぐらいであろうか。少し髭が伸びていて、ほっそりとした体つきをしている。
今すぐ逃げ出したい陽香は話を終わらせようと試みた。
「申し訳ありませんが、貴方様のところへ嫁ぐのはお断り致します。」
「ほう。これはなかなか手厳しい。」
「お話は終わりでしょうか?」
「いやー、しかし、何処ぞか分からぬ地から来た者よりもよっぽど信頼関係が築けるた思うのですがねー。」
少し肩が動く。今、言われたのは氷白の事だろう。確かに最初はそのようにお待っていたが、今ではとても信頼できる。それに、氷白よりも目の前にいるこの男のほうが余程恐ろしい。
…姿形は人でも中身は違うもののような異質な感じがする。
変な緊張感で気を抜けば、この場に崩れ落ちてしまいそうだ。
力を振り絞り声を発した。
「失礼ながら、あの御方は貴方様よりも信頼できます。どうかお引取りを。」
初対面の方に酷い事を言ったかと言い方を考えなかった自分に後悔しつつも、これで退いてくれることを願う。
「……そうですか…。」
今での笑顔は消え、声も少し低くなっている。
僧は恐怖で動けない陽香に近づき、隣の湊に聞こえぬほどの小声で陽香に言った。
「これ以上、無駄な犠牲を出したくなければ、私と一緒に来なさい。まぁ、村の人々が苦しみ悶えながら死んでもいいと言うなら構いませんが。」
陽香の顔は一気に青ざめた。
「それでは、失礼致します。」
再び笑っているが、目は笑っていない。
その目はどうなるかわかっているだような?、と脅しているように見えた。
陽香は咄嗟に動いた。
「…私、貴方様のもとへ嫁ぎます。」
「え!?いいのか!?お前には…」
「そうか。私の勝手な申し出を受け入れてくれて有難うございます。」
驚いた湊の声を妨げ、お礼の言葉を言う。
陽香から見てその姿は、悪鬼にしか見えなかった。
…何処へ行ったのだろうか。
寺に行ったものの僧はおらず、来た道を辿っていた。
竹藪の細い通り道を通っていると、前から菅笠(すげかさ)を冠った男が後ろに大荷物を抱え歩いている。
お互い通り過ぎたところで氷白は立ち止まった。
通り過ぎた者に声を掛けたが、驚くほど低い声が出た。
「おい。お前、その無駄に大きい袋は何だ?」
「単なる壺ですよ。最近花を生けるのに流行っていましてね、大きな作品を作ろうと思ったらこれくらい大きいのを買ったほうがやり甲斐がありましょう?」
その男の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
「無駄口も大概にしろ、僧。人間界に着いてすぐ出会い頭に背後から気力を吸い取っただろう。陽香が来たから立ち去ったようだが…、礼を返しに来たぞ。」
「何を仰るやら。貴方のほら話には付き合ってられぬ。それでは、御暇させていただきます。」
再び歩き出した僧を再び呼び止める。
「おい、鬼。」
僧の肩が大きく揺れる。
「陽香を返せ。」
その言葉降参したのか、不気味な笑い声が聞こえる。
振り返れば、袋から陽香の姿が現れた。気絶した彼女を見て目の前の者に憎悪しか感じられない。
上級の鬼のようだがそんなことはどうでもいい。
−チャリン。
鈴の音が聞こえた頃には僧との距離は無きに等しい程近かった。
油断していた僧を火だるまにし、素早く陽香を僧から取り上げた。
「返してもらうぞ。」
「ゔぁーー!」
酷い叫び声が聞こえてくるが、聞こえてないと言わんばかりに背を向け、陽香の安否を確認する。
髪が乱れ、打撲している箇所や切り傷がいくつもあるが、無事生きているので安堵しそれはそれは優しく抱きしめた。
「おのれ!おのれ!よくもー!」
角を生やし、ぎょろりとした目と牙を持った赤い鬼が叫び声と共に飛び掛かった。
「うるさい。」
陽香を優しく寝かせ、鬼に向き直った。既に物理攻撃をしようとしていた鬼に蹴りを入れる。まともにくらった鬼は吹っ飛び、地面へ叩きつけられる。
「がはっ。……くそっ。もう少しで巫女を喰えたのに……。」
「ふざけるな。何故巫女を喰う?」
「何故?あそこの村だけ手出しができなかった。人を殺すことができなかった。」
「…だから、人々を知れず守っていた巫女を喰おうと?」
「あぁ、それに巫女は喰えば力が増すしな。」
クククッと笑う姿は正に悪鬼そのものだった。
「…もういい。喋るな。」
高ぶった感情のためか、妖力が今までよりも込められた火を悪鬼に放った。悪鬼は、それを避け、すぐに態勢を整える。
その後も妖力のぶつけ合いが続き、地面が揺れる。
陽香が目を覚ますとすぐに悪鬼が近づこうとした。
「陽香に近づくな。下賤。」
目が鋭くなり、悪鬼が気圧される。流石、神使といったところか。悪鬼の少しの隙を見逃すことなくねじ伏せ、回りを火で覆う。何やら氷白が唱え始めると、悪鬼は悶え始め、火が消えて陽香の目に入った頃には泡となって天に昇っていった。
役目を終え、氷白は陽香の元へ行く。
「氷、白…?ここは……。」
「大丈夫か?」
「はい、あ、有難う、ござい、ます。」
涙を流した陽香を今度は強く抱きしめた。「怖かっただろう。よく頑張ったな。」
優しく声を掛けると、幼い子供のように泣いた。氷白は、とても可愛らしく感じたが、同時に危険に晒したことの罪悪感と無力感に苛まれた。
「すまなかった。お前を1人おいていくべきではなかったな。」
「いえ、無事なのは氷白…のお陰です。」
その後、怖くて立ち上がれない陽香を抱き上げ家に帰った。
「だ、大丈夫です!自分で歩けます。」
恥ずかしがりながら反論する姿はとても幼く見えて微笑する。すると、陽香は更に顔を赤らめた。それが堪らず面白く、声を上げ笑った。
「はは、愉快だな。黙って捕まっていろ。」
「嫌です。降ろしてください。」
「そのように騒いでは幼子のようだぞ。」
煽るように笑みを浮かべると、幼子と言われたのが嫌なのか頬を膨らまして黙った。
…これまた愉快。
「はは。陽香はまだ幼いな。」
「な!?」
氷白は頬を捻られながら家路を辿った。

村に着けば湊が泣きながらお礼を言うは、村人達から囲まれるはでとても大変だったが、2人きりになれば落ち着くことができた。
夜になり、大体の話は陽香から聞くことができた。陽香に縁談の話を持ちかけ神社に戻ろうとする陽香を後ろから不意打ちで狙い、村では巫女の加護があるため隣村に連れ帰ったようだ。話を聞くともう1度痛い目に合わせてやりたくなった。
「今日は月が綺麗ですね。」
「そうだな。」
隣りにいる陽香は傷だらけになっており痛々しいが、笑っている。
静かに輝く月を見ながら和やかな時間を過ごした。