「それでは行ってらっしゃいませ。」
「あぁ、くれぐれも村の外から出るなよ。」
「承知しております。」
明朝、出かけると言った氷白は陽香に見送られている。
昨日様子がおかしかったせいか陽香は氷白の身を按じているように不安の色が顔から覗える。
その姿が愛おしく、氷白は陽香の頬に軽く口づけをした。
徐々に赤くなり、最後は照れ隠しして見送ってくれた。それを見て、何とも愉快になった氷白は微笑しながら村を出て、隣村へと向かった。
「さて、」
来てみたものの異常は見当たらず、皆におかしい様子もない。
禍々しいものも感じられるが村人に何かおかしな事はなかったかと聞いても無かったと言われる始末。
ここに長居しても仕方がないと悟り、次の目的地へと行くことにした。


……魔界。妖かしの住まう賑やかな都。ここでは四六時中お祭り騒ぎなので、人間の住む世界とは別次元と等しいだろう。
「銀狐様。お久しゅうございます。」
「あぁ、久しぶりだな。」
「あら、銀狐様。お久しぶりでございます。お元気な様子で何よりです。」
「お前も元気そうで何より。」
通る度に顔見知りの妖かしに声をかけられ辟易していると、後ろからよく知っている声がした。
「銀。」
「荼枳尼天様。お久しぶりでございます。この度は隣村の件でお話しとうございます。」
振り返り挨拶をすれば、優しい笑みを向けてくる。その姿はまるで聖母のようだ。
……荼枳尼天。銀狐の主のような存在だ。聖母のような笑みとは裏腹に、人の死を前々から予知し死後、その肉や血を食らっている鬼神である。
「昨夜隣村で起きたことだな。隣村の僧が村人何人かを斬殺した。僧とは云えど人を憎む妖かしが人に化けている。そこらの人が相手になるまい。」
「で、その殺された人々の肉をまた食ったと?」
「まぁな。残忍かもしれぬがこれも又宿命よ。それに、食べる人もお主も知っておる通り限られている。」
正直言ってため息しか出ない。
「しかし、昼間度々探りを入れていたものの怪しい動きもなかった。それに、忘れられた人間などあのような小さな村にいると思えませぬが…?」
「…妖術でそうさせているのだろう。強力なものであれば解けぬ。」
…妖術で人の記憶から人を消す。考えるだけで虫酸が走る話だが、低級中級程度の妖術であれば、勝手に解けるか、解術を使えばすぐ解ける。が、上級であれば一生消えぬものもある。
私が陽香に忘れられたら……。
そんなことになれば、命を絶つだろう。それ以外考えられない。
氷白は改めて僧に(はらわた)が煮えくり返る程の憎悪を覚えた。
「銀。隣村の件任せたぞ。」
「言われずとも。そのために人間界ヘ参ったのですから。…それに、不意討ちでやられっぱなしでも癪に障りますからね。」
軽く会釈をし、急いで隣村に戻ろうとしたが、まさかの話題が出てきた。
「銀。巫女とはその後どうだ?」
陽香の話が出るとは思いもしなかった。
「何故それを?」
「昨夜少し様子を外からな。気取られぬよう警戒しておったが、わからなかったようで良かった良かった。にしても、お主があそこまでべた惚れとは珍しいのぅ。お主の両親と金に伝えぬままで良いのか?」
「知らせなくて結構です。では先を急いでおりますので。」
教えるつもりは毛頭ない。後々、騒がれてもこちらが疲れるだけ…。
氷白は、荼枳尼天が余計なことをしないよう願いながら、駆け足で向かった。