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(9/17) 運転手兼、引きこもり。
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コータは車で両親を駅まで見送った。


両親と組合長ら夫婦とは旅行仲間で、
隔月(かくげつ)ペースで旅行をする旅マニアだ。


神社仏閣(じんじゃぶっかく)巡りの次は
城跡(じょうせき)巡りが熱いらしい。


「おじさん、運転できたんだ。」


「…きみのお父さんのおかげでね。」


残念ながらリナは旅行に同行せずに、
今日ひと晩は、ふたりで過ごすことになった。


コータは自動車免許は、
兄のヨースケから自動車学校に通う
資金の提供を受けたからである。


自動車学校への送迎も買って出るほど、
年の離れた弟思いの、世話焼きな兄だった。


引きこもりといえど、こんな地方では
どこへ行くにも車は必要になってくる。


「これからどこ行くの?」


「帰りますよ。」


「えぇーつまんない。つまんない。」


信号で停車を確認してから、
助手席からコータの肩をぽこぽこ叩いてくる。


――帰りたい。


「わたし、あそこ行きたい。ケレス?」


「あーショッピングモール…?」


ケレスは地元の大きなショッピングモールで、
引きこもりのコータには(えん)のない場所だ。


「なにか、欲しいんですか?」


「服とか靴とか、ヘアアクセとか、あと下着ぃ。」


「そういうの、母さんに頼んでください。」


「はー? もーまじ、つまんない。」


リナは祖父母に対して猫をかぶる。
当たりがキツいのはコータに対してだけである。


コータはため息をついて進路を変えた。


彼女の機嫌を(そこ)ね、またベッドを占領(せんりょう)されては
コータも困るからだった。


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(10/17) 笑顔のリナ。
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「おじさん、もっとオシャレしたら?」


「必要ないから。」


コータはいつものよれよれのパーカーに、
だぼだぼの(ゆる)いデニムパンツ。


ショッピングモールというのは
アラサーの独身男がこんな格好で、
少女を連れて歩ける場所ではなかった。


リナに指摘されてコータは恥ずかしくなってきた。


「わたしが見つくろってあげる。」


そう言って持ってきたのが、
派手(はで)(りゅう)刺繍(ししゅう)の入った黒色のシャツで
いつものようにコータは笑い者にされた。


「似合わなーい。」


「それなら、持って来ないでくださいよ…。」


「えぇー、いいじゃん。次これ着て。」


「それより、ご飯はどうします?」


「なんか作って。」


「デリバリーじゃダメですか?」


「わたし、ハンバーグ食べたい。」


家ではあまり出てこない洋食の注文。
ハンバーグ程度の料理ならコータでも、
作れない気がしないでもなかった。


「あ、レトルトでいいですか?」


「ダメ。」


満面(まんめん)の笑みを向けられ拒絶(きょぜつ)された。


ふたりは1階のスーパーに寄り、
コータはレシピサイトを見ながら材料を調達する。


「ハンバーグは、なに肉?」


「もー。」


「お高い…。」


カゴに入れられた牛ひき肉の値段に目を(うたが)った。
コータはあとでそっと(とり)肉と変えておいた。


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(11/17) 知らない知り合い。
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「あれ?」


コータがリナとはぐれたことに気づいたのは、
会計のためにレジに向かうときだった。


「車は入り口近くだし、大丈夫…かな。」


12歳なら迷子になっても、
自分でなんとかできる年齢だ。


――と思ったが、
12歳のころの自分を思い返せば
いつまで経っても自分を迷子と認めず、
躍起(やっき)になって家族を探し回った
恥ずかしい記憶が(よみがえ)った。


――さっさと会計を済ませよう。


コータはそう考えてレジに向かうと、
女性店員に呼びかけられた。


「ムシくん?」


虫崎(むしざき)コータをそう呼ぶひとは限られている。


コータは相手の顔をチラと見て、
背中にワっと汗が湧き出た。


「や、矢那津(やなつ)…さん。」


「おーやっぱそうじゃん。
 ひさしー。てか変わってないねぇ、ムシくん。」


十数年ぶりの対面。
高校時代の同級生は当時のままの明るい髪で、
大きな目をした美人だった。


「あっ…。」財布を取り出す手が震える。


コータは引きこもりだが、
外出を積極(せっきょく)的にしないだけで
日常生活はこうしてそれなりにできている。


しかし忘れていた。
外には昔の自分を知るひとがいる。
それを恐れていたことを。


矢那津(やなつ)アイはコータにとって、
一番会いたくない人物だった。


「いまなにやってんの?」


「あっ…買い物…です。」


「知ってるー。仕事だって。」


「えっ…。あの…。」


「キョドってんの? なに?」


「いえ…。すっ、すみません…。」


「おじさん! 勝手にどっか行かないでよ。」


そこへはぐれていたリナが()け寄ってきた。
しれっとお菓子をカゴに入れた。


「えっ? ムシくんの子供?
 にしては…なに…? お小遣(こづか)いあげてるやつ?
 ははーん、もしかして誘拐(ゆうかい)?」


(ちが)っ…。」


矢那津(やなつ)冗談(じょうだん)めかして言われたが、
即座に否定しようにも言葉が途切れた。


「おばさん! コータのなに?
 客に対して失礼過ぎない。」


「お…?」リナに言われて矢那津(やなつ)の顔が引きつる。


「…すみません。ごめんなさい。」


コータは頭を深く下げ、
コイントレーに新札を置くと、
ケンカ(ごし)のリナの(くち)をふさいで
サッカー台へと逃げた。


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(12/17) コータの弱点。
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「痛っ!」リナに指を()まれた。


「なにすんの! 変態! ケーサツ呼ぼっか?」


怒っている彼女にコータは首を振る。


「あの…大きな声、出さないでください。」


「だってあいつが悪いんじゃん!
 コータのことムシだとか
 ユーカイ犯って言ったし。」


「知り合いだから。冗談(じょうだん)です。」


「あのおばさん、店員なのに、
 なんなのあのアレ!」


バカにされ、怒りが収まらない様子のリナに、
コータはなんだか冷静になって、
いつもの口調でゆっくり話した。


「客だからって店員さんに対して、
 (えら)そうに振る舞えるわけじゃないです。」


「だってあっちがバカにしてきたじゃん!」


「僕はバカにされてません。
 リナさんはバカにされたら、
 同じように振る舞うんですか?」


「コー…おじさんのせいで、わたしが
 変な目で見られるのがイヤなの!」


リナはそれらしい言い訳を並べて、
そっぽを向いた。


リナの言う通り、コータは自分の姿を見て、
もう少し身なりを整えようと思った。


「ムシくん。」


「あっ。はい…。」


「これ、おつり、とレシート。」


「あ…、すみません。」


矢那津(やなつ)から離れるために、
釣り銭を受け取らずに
さっさと帰ろうとしたのだが、
意図(いと)とは逆に引き止められてしまった。


親戚(しんせき)?」


「…め、(めい)です。兄さんの。」


「そう、お兄さんの娘さんだったんだ。」


「なに、おばさん。パパの知り合い?」


「ううん…。
 おばさんって呼ぶのやめてもらえる?」


「おばさん、いくつ?」


「…にじゅぅ…5歳。」


「今年で28ですよね…。同い年なのに、
 なんでサバ読んだんですか。」


「アラサーおばさんじゃん。」


「リナさん。やめてあげてください。」


矢那津(やなつ)見栄(みえ)を張った自分を()じて顔を(おお)った。


「だってそうじゃん。」


「リナさんだって、いつまでも
 子供扱いされたらイヤですよね。」


「うん…。そうだけど…。」


コータ自身、いつまでも実家暮らしというだけで
揶揄(やゆ)されたり、発言を(さまた)げられた経験がある。


リナは自分に対しそんなことを言わなかったので、
矢那津(やなつ)揶揄(やゆ)した態度を責めた。


「すみません。お仕事の邪魔(じゃま)をしてしまい。」


「ううん。大丈夫。
 ムシくんまた来る?」


「え…?」できれば来たくはないのが顔にでる。


「じゃさ、連絡先教えて。」矢那津(やなつ)は押しが強い。


「はい…。」


コータは異性(いせい)の押しにめっぽう弱い。
ウォーターサーバの訪問販売が女性だったので、
勝手に契約をしてしまった失敗もある。


コータはこんなときのために、
財布に(しの)ばせた名刺(めいし)を取り出して
おどおどと渡した。


「コータ! はやく帰ろ。」


「じゃあ袋詰め手伝ってください。」


「にぇー。」


苦々(にがにが)しい顔を見せたリナだが、
コータの袋詰めの手際の悪さを
見るに見かねて手伝ってくれた。


「仲良しなのね。」


そう言うと矢那津(やなつ)は明るい笑顔を向けて
仕事に戻った。


彼女のせいで緊張(きんちょう)しっぱなしだったコータは、
店を出るころにはひどく疲れてしまった。


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(13/17) 叩かれる引きこもり。
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「あのおばさんと知り合い?」


矢那津(やなつ)さんね。
 中学と高校で同級生だったひと。」


「初恋のひと?」


「違っ…そういうのじゃないけど。」


「けど?」


説明できずに(くち)ごもる。
コータのこうした反応はリナもよく見ている。


けれども、普段のそれとは反応がことなり、
顔は血の気を失い、余計に青白くしている。


「痛っ!」


沈黙が続くと、また肩をリナに叩かれた。


「お腹空いたから、早く帰ろ。」


「…はい。」


「コータはなんで
 わたしのことキライにならないの?
 怒ったりしないの?」


「嫌って欲しいんですか?」


「だって、イソーローじゃん、わたし…。」


複雑な事情を抱えているリナが、
コータ相手に初めて胸の内を明かした。


コータの両親とリナは、(はた)から見ても
上手くやっているように思う。


リナは猫を(かぶ)るのが上手いし、
両親も引きこもりの息子以上に溺愛している。


虫崎と斑咲(むらさき)、ただの名字の違いが、
彼女を不安にさせるのかもしれないとも思った。


けれども成人してなお実家住まいのコータは
家主(やぬし)でもないので、リナに(くち)出しできる
立場にはない。


「リナさんはちゃんと、家族ですよ。
 出ていくなら僕のほうです。」


「そんなのしたら、わたし、
 コータを毎日パンチしに行くから。」


「いまでも毎日してますよね。」


「へへっ。べしべしっ。」


いつもより優しいパンチが
コータの肩を()でた。


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(14/17) 家族の秘密。
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「コータってなにか秘密にしてる?」


ハンバーグをひとりでこねているコータに、
突然リナから質問が飛んでくる。


「…ありますよ。」


「なに? 教えて。」


「秘密ですから、教えませんよ。」


「えー!
 家族に秘密はナシだってパパ言ってたよ。」


「それじゃあリナさんの秘密は?」


「教えるわけないじゃん。」


「…ですよね。」


彼女は矛盾(むじゅん)に気づいていないのか、
コータは最初から(あきら)めた。


「なんかないのー?」


「家族の間にだって普通に秘密は持ちますよ。」


「グランパとグランマにも?」


コータの両親はいまでも仲睦(なかむつ)まじい。


陰様(かげさま)でコータ自身、いまもこうして
引きこもりを続けていられる。
いまごろは温泉でも楽しんでいるのだろうか。


「ふたりは夫婦なので。どうかな。あちっ。」


「ふーん。やっぱないんだ。
 あっ、いい匂いしてきたー。」


ハンバーグの中に火が通る間に、
ソースを別に作る。


料理は効率(こうりつ)を考えなければいけないので、
()れないコータはなにかと(あわ)ただしい。


リナはそんな姿を楽しげに見て、
手伝ってくれる様子はなかった。


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(15/17) 秘密の暴露。
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「なんでカレー?」


コータは目の前で
ハンバーグを作っていたはずだが、
レトルトのカレーライスが出されて
リナは困惑する。


コータはカレーの箱を見て、
演技っぽく驚いた。


「あっ、中辛だっ!
 …まあリナさんは大人びてるし、
 甘口じゃなくても大丈夫ですよね。」


しかし最近では祖母の料理の味付けが、
リナ向けに甘口になっている。


カレーの辛さについてはコータは昔、
同じことを兄のヨースケにやられた。辛口で。
辛さに涙ぐみながら食べた記憶がある。


「…食べれるよ…たぶん。
 ねぇ、ハンバーグは?」


フライパンからやや焦げたハンバーグを
カレーに盛り、その上には別に作った
ソースを掛けた。


半透明な(あめ)色のソースが
カレールーに不思議な色味を与える。


「なにこれ。」


「照り焼きハンバーグカレー。」


「へぇー。」そんなに興味はなさそうだった。


「むかし兄さんがよく作ってた、
 デラックスカレー。」


「パパのカレー?」


「でもウチは共働きだったから
 レトルトでしたね。」


目を(かがや)かせるリナに申し訳なく思い、
適当な記憶の改竄(かいざん)謝罪(しゃざい)した。


「んーからいじゃん! はぁー。」


「ハンバーグのソースと混ぜてみてください。」


「んそっ、あまい! ふしぎ!」


リナの舌には少し早かった中辛のカレーも、
テリヤキソースのおかげで辛さはまろやかになり、
スプーンが気持ちいいほど進んでくれた。


しかしハンバーグを口にして、手は止まった。


「ねえ、コータ。
 これ。とり肉でしょ。」


牛のひき肉から(とり)のひき肉に変えたのを
味で誤魔化すためのカレーだったが、
コータの秘密はすぐにリナにバレた。


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(16/17) それは不意におとずれる。
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今日も無事に1日が終わった。
コータは食器を洗い、洗濯物をたたむ。


家事に不慣(ふな)れで手際(てぎわ)の悪さを見るに見かねて、
風呂上がりのリナがアレコレ指示したが、
結局コータの隣で鼻歌(はなうた)混じりに手伝った。


家事が一段落したコータは
カラスの行水(ぎょうすい)同然に風呂に入り、部屋に戻ると
商店街から来ていた仕事のメールを片付ける。


商店街に送った七夕の企画は、
前年の企画に加えてスタンプカード風にした。


店舗(ごと)に台紙を用意し、期間中の
来店頻度(ひんど)を伸ばす目的に特化させた。


地方の小さな商店街だからこそ
コータでも対応できる規模の内容で、
商店街の若手チームから一応の評価を得た。


台紙のスタンプを貯めたお客さんに、
前年に大量発注を掛けた在庫の商店街タオル、
天女の羽衣を配るという魂胆(こんたん)(こう)(そう)した。


この企画を提出前に、
リナにも太鼓判をもらった。


しかし商店街側の嬉しい反応よりも
やりなれない家事に疲れが残り、
ときおり学習机に突伏(つっぷ)して
仕事への集中力がまるでなかった。


――これで一人暮らしなんてできるんだろうか。


いつもの不安が押し寄せてくる。
不安を払拭するために仕事をしているのだと、
自分に言い聞かせてコータは手を動かす。


メールを返信し終えると、
新たにメールが来た。


知らない相手だったが、
メールの件名ですぐに相手が分かった。


「ひッ…。」


矢那津(やなつ)からのメールに、
声にならない声が出た。


そんな時に扉がノックされ、
コータは肩を驚かせた。


「はッい?」


「入っていい?」


普段はそんなことを(たず)ねずに、
自分の部屋のように入ってくる
相手の言葉にさらに驚いた。


「どうぞ。」


「まだ仕事中?」リナが顔を(のぞ)かせた。


「と…。これで終わりますよ。」


「ずっと座ってると、『また』()になるよ。」


「なんでそれを…。」


コータは()になった経験がある。


それを知っているのは医者と両親…。
個人情報の漏洩(ろうえい)元はすぐにわかった。


家族間のコータの秘密はやはり(つつ)抜けだった。


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(17/17) つきもの。
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リナはいつものようにコータのベッドで横になる。
ただ、夜中に訪れることはあまりない。


コータは矢那津(やなつ)のメールは開かず、
クライアントを閉じた。疲労困憊(こんぱい)で、
なにかができる気分でもなかった。


「コータ、もう寝なよ。」


リナが(うなが)すのは、コータのベッド。


「え、えー。」


だがリナの顔はいつもに増して険しい。
機嫌が悪いのか、口調も穏やかではない。


また不機嫌になられても困るので
仕方がなく(すみ)で細くなった。


日頃の運動不足の象徴である腹がはみ出し、
いまにもベッドから落ちそうになる。


――少しは()せよう。


「コータって、ちゃんと眠れないってことある?」


「…ありますよ。」


リナからこんな相談をされたのは初めてだった。
当然、コータは不眠(ふみん)症の専門医ではないので、
治療方法は医者に相談するしかない。


蛍光灯の残光が、見慣れた部屋の陰を作る。


「コータはなんで眠れないの?」


「…高校を中退した、
 辞めたって話は聞きました?」


「うん。知ってる。
 不登校の引きこもりでしょ。」


「あー…。はい。」


(おおむ)ねあっているので弁明(べんめい)は避けた。


「自分の(しゃべ)ってる内容が、
 伝わらなかったり、話相手を不用意に
 傷つけたりするのが怖くなって。」


「いまも?」


「あ…、うん。今日、みたいになる。」


決して矢那津(やなつ)が悪いわけではない。
自分の中にあった均衡(きんこう)崩壊(ほうかい)して、
ある日、気づけば学校を逃げ出していた。


暗い部屋で背を向けているので、
リナに顔を見られなくて済む。


「そっか。コータも大変なんだね。」


「でも兄さんがさ。」


「うん? パパ?」


「『不安はつきものだ。』って。」


「つきもの…って?」


「いつでもあるって意味ですね。
 風邪ひいたら不安になりますよね。」


「うん。まぁー。」


「いまの仕事が上手くいかなかったらとか、
 地震が起きたらどうしよう…とか。
 考えたらキリがないから、
 それに(そな)えてみんな足掻(あが)くんだ、って。」


「うん。わかる。わたし…
 グランパとグランマが帰ってこなかったら
 どうしようって、なったりするの。」


背中越しに鼻をすする音がした。


「パパはコータと同じ年で
 死んじゃったんだよ。」


それが、リナの不安の要因(よういん)だった。


「コータなんて()で死んじゃうかも…。」


「死にませんよ。」断言(だんげん)したものの不安になった。


「みんないなくなったら…
 わたし、またひとりになっちゃう。」


葬式の日以来の、弱気なリナは珍しい。
けれどもそんな彼女に掛けられる言葉を、
引きこもりのコータは知らない。


ひとりになった彼女を想像する。


「毎日パンチする相手が必要ですね。」


「するよ。」


「いたっ。」


やはりリナに背中を叩かれる。痛くはなかった。
それから手がコータの身体に(もぐ)り込み、
腹をつままれた。


「コータのおデブ。カレーくさ…。」


不満をぼやき、背中から腹を抱きしめられる。


「おやすみ。」


「…おやすみなさい。」


この状況をコータは受け入れ(がた)かった。


リナが眠りについたなら、
またリビングへ逃げようとコータは思っていた。


彼女の睡眠を邪魔(じゃま)せずじっとしていると、
背中の暖かさにまどろみ、そのまま
深い眠りに落ちるコータであった。





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(18/17) 彼女の秘密、
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リナには秘密がある。
コータだけが預かり知らぬ秘密。


リナの母親は彼女を残し、男と共に蒸発(じょうはつ)した。


その男はリナの、たぶん本当の父親で、
コータは実は叔父(おじ)ではない。


ずっと抱いていた疑念(ぎねん)が、父親の死後、
母親の態度の変化で確信(かくしん)に変わった。


DNA鑑定(かんてい)は必要はない。
小学生でもわかる理屈だった。


リナの血液型はAB型で、
父親のヨースケは、叔父のコータと同じO型。
O型の親からAB型の子供はまず生まれない。
虫崎家と血の(つな)がりはなかった。


母親はリナが疑念(ぎねん)を抱いていることに気づき、
ふたり目を妊娠した母親は男との再婚ではなく、
失踪(しっそう)という最悪の形でリナを置き去りにした。


母親にとって、リナという娘は
はじめから無かったことにされたのだ。


失踪の原因は、母親の不貞(ふてい)を許さず、
彼女を拒絶(きょぜつ)した娘のリナにあったのかもしれない。


母親の失踪後、父親だったヨースケの祖父母が、
息子の忘れ形見であるリナを引き取った。


しかし本当の家族ではない後ろめたい気持ちが、
時折(ときおり)リナを不安にして眠れなくさせた。


叔父のコータは「不安はつきものだ。」と言った。
父親のヨースケにそっくりな声で言った。


亡き父親の言葉であり、
その不安こそ、リナの抱える秘密であった。


「コータって結婚願望ってあるの?」


「え? なに…?」


学校から帰ってきたリナに言われ、
コータは息を切らした彼女の様子に動揺(どうよう)する。


コータは最近、服装に気を使い始めた。


いつものダサいよれよれのパーカーに、
だぼだぼの(ゆる)いデニムパンツではなく、
ちょっとオシャレな服をネット通販で買っている。


それに高校時代のジャージを引っ張り出して、
庭に出て(なわ)()びも始めた。
腹を()らすだけでこれは続かなかった。


コータの変化は、ショッピングモールの
ケレスに行って以来(いらい)だったので、
リナは不審(ふしん)に思った。


「もしかしてまさか、もう結婚予定してる?」


「してませんよ。」


反応が少し不貞腐(ふてくさ)れ気味で、
(うそ)をついてる顔ではない。


コータは考えが表情に出やすい。


しかし、ケレスで名刺を渡した初恋の相手、
矢那津(やなつ)と連絡を取り合っている気配もある。


リナは(いぶか)しみ、自営業のコータが
(ひま)をしている日は無理やり外出に付き合わせた。


一緒に馴染(なじ)みの商店街に買い物に行き、
ケレスまで短いドライブし、ついでに映画を見た。


祖父母がいつもの旅行に出かけた日などは、
庭にテントを張り、ふたりでキャンプを楽しんだ。


そんなリナが秘密を打ち明かすのはずっと先で、
それはコータとちゃんと家族になる頃だった。




(了)