墓守は墓荒らしから墓を守るのが仕事だ。
だが、生活できないほどの低賃金であれば、
死者には悪いが、死後の安寧は保障できない。
なにより墓荒らしのほうが儲かる。
最初は棺など誰が欲しがるかとも思ったが、
埋めた棺を掘り返すのは、
それなりの理由はいくつかあった。
ひとつはただの盗掘。
金持ち貴族はあちらの世界で困らないように、
死者のために装飾品や大事な金品を棺に入れる。
まずそれが狙われる。
だが今回の対象は貴族じゃなさそうだ。
アレッサンドロの墓に集まった参列者は
どいつもこいつもみすぼらしい格好で、
人種もバラバラの外国人にも見える。
アレッサンドロとやらが金持ち貴族であれば、
参列者の外国人たちはいまごろ空き巣に入り、
さっさと遺品をくすねるだろう。これは偏見だが。
よほどのお人好し貴族が生前に
かれらに施しでも与えて親しくし、
盗掘しないでくれと頼んだのだろうか…。
俺は仲介業者の依頼でしか墓を暴かない。
それが仕事であり、犯罪ではあるが
積み上げた信用になっている。
ましてや遺品や盗品を売ればどこかで足が付く。
今回の依頼は別のところにあるだろう。
たとえば支配欲や独占欲を満たすため。
死体になってまで欲しがるほどの相手か。
たとえば愛する人であるとか、
一方的に愛していた人であるとか、
死後も服従させたい人物であるとか。
アレッサンドロはたぶん普通の男だ。
依頼人の気の毒な欲を理解する必要もないが、
そんな人間を欲しがるだろうか。
性欲の対象にしている客も多い。
上流貴族、舞台女優、娼婦、
子供の死体であったなら、
さらに高値が付くのだから理解に苦しむ。
最近多い客は、ロンドンの頭脳、王立協会である。
かのアイザック・ニュートンが会長を務め、
文字通り猛威を振るった科学者団体。
ジョン・ハンターは盗掘した死体を観察し
功績を上げたので、会員たちの功名心によって
こうした手段を選ばない依頼も増えている。
宗教上の理由で墓を荒らす者もいるが、
生き埋めにされるのを恐れ、土葬を拒絶するだけの
相当な暇人集団だと言える。
依頼主が増えれば死体の奪い合いで値段も上がる。
だが末端である俺の賃金は上がらない。
おまけに最近は葬儀業者という商売敵のせいで、
こちらの仕事はめっきり減ってきた。
隙間風の鳴る物置のボロ小屋で、
イタリア語の古新聞を読んでいると
扉が叩かれ、少年が覗き込む。
「連れてきたか。」
「へぇ。」
この赤髪の少年は、仲介業者の盗掘仲間だ。
スコットランド訛りの英語を使うが、
口が固いので重宝している。
道具を持って外に出ると、
少年の後ろにハゲ頭の大男が立っていた。
体臭が酷く、5歩先まで臭ってくる。
少年がつたないドイツ語で、
俺との仕事内容を説明している。
「さっさと行くぞ。」と、
俺はわざとフランス語で指示した。
仕事には決まって外国人を使う。
墓を掘り返すのは肉体労働なので、
当然ながら多くの言葉は必要ない。
違法行為なので、外国人は勝手がいい。
この外国人が他所で捕まったとしても
決して惜しむ人材ではないし、言葉の壁のお陰で
英国人の俺にまで捜査の手は伸びない。
そして失敗はありえない。
失敗は依頼主にまで、影響を及ぼすからだ。
失敗は信用を失い、仕事を失う。
すなわち俺の死に直結する。
少年時代に仲介業者から教わった。
それから賃金。
墓荒らしは決まって成果払いだ。
違法ではあるが、儲かると思われては困る。
現金は出せない。現物支給が条件だ。
報酬は『特効薬』の小瓶。
ケシの実から採取・合成され、
鎮痛効果があるので万能薬とまで謳われ、
これさえあれば高い医療費を払わずに済む。
そんなはずはないが、信じてる者は多い。
一般に出回っている安い薬だ。
仕事にあぶれ、路上で寝ている外国人は
こんなものも買えないほど、困窮していた。
荷車に道具小屋から丸太と滑車、
それからシャベルと、そして空の棺を運ぶ。
空の棺は盗掘した棺の代わりに埋めるが、
わざわざ競合の葬儀屋からこのダミーを仕入れる
手間賃を考え、廃材を集めて自分で組み立てる。
墓荒らしの仕事は簡単だ。
目的の墓を探し、1.8mの穴を掘り、棺を運ぶ。
棺も商品のひとつだ。
こいつを大事にする客もいる。
今日の商品はアレッサンドロ。
墓碑銘はアレッサンドロ・ディ・カリオストロ。
アレッサンドロはイタリアの男性名だ。
英国人ですらない。
墓の場所は俺が指示し、
3人で墓を掘り、棺ごと取り出す。
1人でもできるが、掘り出す時間を
短縮するには最低でも3人は必要だ。
棺は埋葬するときは
大人4人がロープを使い、墓穴に降ろす。
重量のある棺は、三又に立てた丸太に、
ロープを通した滑車を吊るして引き上げる。
棺を持ち上げたときに、違和感を覚える。
だがそれよりもすぐに別の問題が起きた。
棺を地面に降ろしたときに、
雇った外国人が棺のフタを
シャベルでこじ開けようとした。
組み立てた丸太を片付けていた俺は、
とっさに手にしていた滑車で、
外国人の後頭部をぶん殴った。
質量のある滑車は外国人の頭蓋骨を砕き、
一撃で卒倒させてしまった。
「やっちまった。」
「すんません。
ちゃんと伝えとけば、んなことには。」
「いや、いい。このまま埋める。」
きつい訛りで謝る少年だが、
過ぎたことは仕方がない。
そもそも殴ったのは俺だ。
俺は掘り出した棺のフタをシャベルでこじ開けた。
自分でも信じがたい背信行為だが、やるしかない。
「ダンナ、なにしてんで?」
「黙って見てろ。」
「…なんだ、こりゃ。」少年は困惑する。
嫌な予感は見事に的中した。
棺の中に死体はなく、石を詰めた麻袋しかない。
「死体は…?」
「しくじったな…。」失敗は死に直結する。
「どうすんで――?」
シャベルで少年の喉に向けた。
まだ喉仏のない首に、
シャベルの先を向けられると
少年は言葉を失い汗を垂らす。
棺のフタを開ければ、仕事は台無し。
信用を失ったも同然だった。
俺はまた棺を穴に落とした。
「よぉ。おはよう紳士。
といっても、もう昼だ。」
口ひげの老人が目を覚ました。
目の前には俺が座る。
運んできた落ち葉や枯れ枝を火に焚べ、暖を取る。
今日も霧が濃く、やや肌寒い。
仲介業者である老人は
目を点にして、周囲を見渡している。
酒場で酔って家に着いたところまでは、
たぶん覚えているのだろう。
ちょうど俺が指示された墓を暴いている時間だ。
それから俺は家に侵入し、
酔って寝ていた老人をゴミ処理のこの山に運んだ。
外国人への報酬に渡す予定だった
『特効薬』を寝てる間に飲ませたので、
老人は真昼のこの時間まで気持ちよく寝てくれた。
「商品のアレッサンドロっていう墓の名前は、
あのカリオストロ伯爵だろう。」
俺の言葉に、老人は目をしばたたく。
「教えなかったしな。俺は字は読めるし、
フランス語だってまあまあ喋れるし、
いまはイタリア語の勉強中だ。」
アレッサンドロ・カリオストロ伯爵。
彼の名は捨てられた新聞記事で読んだことがある。
フランス王妃マリー・アントワネットの
ダイヤモンドネックレス事件で知られる伯爵は、
イタリアのサンレーオ城で獄中死した。
そんな詐欺師の伯爵が、
遠くロンドンの墓で眠るはずはない。
有名な詐欺師の名前の墓など作って、
こんな島国で観光地化でも企んでいたのだろうか。
棺の中に石なんか詰めても、
引き上げたときの感覚ですぐに分かる。
「タバコを吸うかい?」
手元の喫煙パイプを見て、老人に投げ渡す。
しかしこの老人には受け取れない。
なぜなら首から下が地面に埋まっているからだ。
「日が沈めば土に体温を奪われ、
正気を失うことになるぞ。」
「なんれ! ほんなごと!」
薬のせいで上手く舌が回っていない。
俺は少し悲しくなってため息を吐いた。
「これまで20年、あんたの下で
文句も言わずに働いてきたのにこの仕打ち。」
偽の墓、偽の棺、偽の参列者。
参列者にみすぼらしい外国人どもを雇ったのは、
その依頼主がこの老人だからだ。
外国人を使えば騙せるとでも思ったか。
希代の詐欺師と墓を並べるのは無理だろうな。
俺への依頼の際にウソをついていることくらい、
臭いでわかった。それでも信じがたいことだった。
俺はイラ立って立ち上がり、埋まっている老人に
背中に置いていたあるモノを見せた。
老人の目の前には麻袋。
それが頭の大きさを残して、
血まみれになって置いてある。
「3つ質問がある。
1つめはただの答え合わせだ。
あんたがその名前を出すだけで俺はうなずく。」
黙る老人を見下ろして、
水瓶の中の水を少し落とす。
「あんたをこのままにしておけば、
そこらの野犬が生きたまま
あんたの顔を食ってくれる。
そのままでも低体温で正気を失う。
墓に入るのとどっちがいいか――、
なんて賢いあんたならわかるだろう。」
「待ってくれ! 助けてくれ。」
「墓から死体をなくすのも増やすのも、
俺とあんたの仕事だったじゃないか。
昨日もひとり死んだぜ。」
「葬儀屋だ! すでに協会と手を組んでる。
俺はよりリスクの少ない方を選んだだけ。」
「だろうな。」
葬儀屋は商売敵だが、
死体の入手は墓を掘るよりリスクは少なく、
無名の死体は楽に手に入る。
ダミーの棺を用意する必要がないし、
この老人が鞍替えするなら当然の相手だ。
「商品の死体を石に変えた棺で、
過失をでっち上げようとしたのか。
20年…あんたも老いたな。
それで俺を墓穴に突き落とせるとでも思ったか。
あんたの家も、通ってる酒場も、買ってる女も、
あんたの家族も全部知ってるんだぞ!」
「早く、出してくれ。」
寒さで震えるこの老人は仕事に失敗した。
しかし罠にハメた相手に助命を懇願する。
失敗がどうなるのか、この老人には
充分理解させなければいけない。
「…次の質問だっ。」
血まみれの麻袋を蹴って、老人の顔にぶつけた。
回転すると中から漏れる血が、周囲に飛び散る。
「ヒッ!」
死が間近に迫った老人は麻袋の中身を、
少年の首と勘違いしているのだろう。
昨晩、少年にあの外国人を連れてきた理由を
問い詰めたが、仲介業者の老人が斡旋しただけで
その理由までは不明だとわかり、不問にした。
シメたニワトリを詰めた麻袋に
怯える老人に、込み上げる笑いをこらえた。
「俺の弟を、どこへ売った?」
この老人と出会ったのは、
弟の死がきっかけだ。
濃い霧の日に、
俺は寄りかかる綺麗な赤髪をした
弟の死体を売り渡し、それからこの仕事を得た。
「…覚えてない。」
しばらくの沈黙のあとで、
老人が小刻みに首を振る。
「顧客リストになければ、
あんたが『使った』のか?」
この場合の『使う』とは、
符丁でもなければ隠語になっていない隠語だ。
子供への用途は限られる。
「違う! 俺もただの仲介業者だ。
協会や成り上がり連中ならともかく、
上流貴族と直接のツテなんて持ってねえ。」
「上流貴族か…。」
それを聞いて、俺は満足して
しばらく湧き上がる笑いを堪えた。
死から20年も経った弟だ。
いまさらそんなに執着はしていない。
死後は上流貴族の家で可愛がられたのなら、
飢えと肺を患って苦しんだときよりも、
さぞいい生活だったのだと信じたかった。
「これが最後の質問だ。
これに答えれば、俺はあんたのついたウソを
今回だけは許してやる。もちろん次はない。」
血と泥にまみれた顔に、水瓶の水をかぶせた。
老人はすでに寒さと死の恐怖に、
奥歯を鳴らして震えている。
「このまま土の中で犬に食われて引退するか、
俺に仲介の仕事を託して幸せに引退するか。
好きな方を選べ。」
老人は顔から汁を流し、何度もうなずく。
匂いはウソをついていない。
ロンドンはこれからも労働者が増え、
産業革命は大勢の死者を生産し続ける。
残念なことにこの仕事は、
これからもっと忙しくなる。
俺はとうとう堪えられなく笑った。
人間、仕事は選べない。
さて、俺に貴族のマネは似合うだろうか。
(了)