カタンカタン。わたしと晴翔の乗る電車が揺れる。晴翔は疲れたのか、うつらうつらと眠りかけていた。
 学校の最寄り駅に着くと、さきほどまでの静寂が嘘のように車内に喧騒が満ちる。座席を取られた高校生が、不服そうにつり革に掴まってスマホを操作し始めた。

「……あ」

 視界の隅に、同じように憂鬱そうな顔をした高校生──あのギャルが映る。
 じっと見つめていたから、わたしがいることに気づいたらしい。ちらりとわたしを一瞥すると、顔を歪めてそっぽを向く。何か言ってこないだけマシだ。

 ──期待していたわけではない。

 ぎゅっと、スカートを握る。そう、彼女だってもう怒ってはいないし、きっと他の人が言うようにひどく傷ついてもいない。元気に学校へ行っているのがその証拠だろう。

 ──もし、言いすぎたとひとことかけてくれれば。

 潰えた希望を眺める。
 彼女がそう言ってくれたら、わたしの詰られた記憶も薄れてくれるのに。

 駅員のアナウンスが車内に鳴り響く。わたしにとっての終点、自宅の最寄り駅への到着を知らせる声だ。

「晴翔」

 晴翔がどの駅で降りるのかはわからないが、最後にひとこと感謝を告げるために声をかける。
 眠りが浅かったのか、案外すんなりと起きてくれた。あと一回は言葉を交わせる、そのことに安堵したのも束の間「最寄りじゃん、起こしてくれてありがとう」と目を擦りながら言われる。

「晴翔の最寄り、ここだったんだ」
「そうそう。どっち方面?」
「南口だよ」
「ああ、俺は北口だわ。そろそろお別れかな」

 思ったより近いところに、晴翔は住んでいた。わたしたちがまだ『先輩と後輩』でいられるなら、何度も今日みたいに遊べただろうか。
 考えて、思考を振り払うように立ち上がる。

 どうせ過去は変えられない。だけど未来はよくなる可能性に満ち溢れている。だからわたしは賭けるんだ。

「またどこかで、会えたらいいね」

 今日みたいに、電車内で。駅の構内で。あるいは砂浜で。有名になるというのもいい。
 どこかでこの恩人と、また友達になれる可能性を信じて。

「ああ、どこかで。……俺の存在をそのまま認めてくれた人がいるってこと、忘れないから。いつまでも」

 晴翔もふっと笑い、立ち上がって電車から降りる。「ありがとう」という、喧騒にかき消されそうな声が聞こえた。放つ声は涙声だった。

 わたしも言い足りない。せめて駅の構内で、陽が落ちるまで喋ることができたらいいのに。
 そんなわたしの願いとは裏腹に、晴翔は人を掻き分けて改札へ向かう。乗降客が多いため、電車から降りるのも一苦労だ。

 待って、置いていかないで、もっと一緒にいたい。

 その一心で、出口へ向かう。
 続いて駅のホームに降り立とうとしたその瞬間、誰かに制服の袖を引かれた。

 誰だ、こんなときに。
 泣きそうになって振り返ると、同じく泣きそうになっているギャルがいた。どうしてあんたが泣きそうなんだ──。

「海瀬さん、ごめんね」

 凛とした声で短く謝罪すると、彼女は頭を下げた。すっと、先ほどまでの焦燥感が消える。

「ありがとう」

 にっと笑って、ホームから小さく手を振った。
 夏の爽やかな空気が肺に満ちる。見渡す場所に、あのショートカットはいなかった。

「……ありがとう」

 もう駅構内から出て行ってしまった、一日限りの友人に向かって呟く。あなたがいてくれたから、わたしは生きてあの言葉を聞くことができた。未来を変えることが、できたから。

 街路樹が涼風にそよぐ。ザァァ、と鳴り響く葉音は波の音のようにも聞こえた。

 明日は学校に行って、わたしもあのギャル──宮野さんにもう一回謝って、今度こそちゃんと数学を理解してもらおう。まだわたしを責める人がいれば、ちゃんと事情を説明してやろう。

 夕方になっても、空は朝と同じように澄み渡るような青色だった。あなたがいなくなった夏が、始まった。