第一章、新しい世界、新しい出会い、新しい友達
病院で検査した結果は軽い怪我だけでどこにも異常はなく、帰りは迎えに来た両親の車に乗って帰ることになった。
草薙夏帆は高速道路を走る日産エクストレイルの後部座席に座り、運転してる医者の父と助手席に座る看護師の母の会話を聞き流しながら、外の風景をボーッと眺める。
視線の先にあるのは薄らと見える軌道エレベーターアマテラスだ。
「――とにかく夏帆はどこにも異常が無くてよかったわ。助けてくれた男の子……今度転校する学校の生徒さんだって?」
看護師の母が言うと父も興味ありげに頷く。
「そうなんだな夏帆、もし会ったら改めてお礼を言うんだよ」
「うん……わかってる」
夏帆は適当に聞き流して頷くと長いトンネルに入って、現世で今日までの記憶を整理する。
この前までは四季折々で彩られた扶桑皇国本土――通称:内地の高校に通っていたが、高校一年の終わりに内地を離れて帝都である皇京から飛行機で七時間かかる赤道の飛び地――敷島県に移住してきたのだ。
引っ越し先は三日月状の敷島本島外側に位置する汐ノ坂という海岸沿いの町だ。
その海に面した村にある診療所で医師をしてる父の恩師が定年を迎えたため、父が後を継ぐことになったという。
「夏帆? さっきからボーッとしてて大丈夫?」
「うん大丈夫、考え事してるだけ」
母親が心配した目で振り向いて見るがいつものことだ、看護師をしてるから観察眼は鋭い。
だけど前世の記憶を思い出したって話しても信じてくれないだろう。
「美由ちゃん……妙ちゃん……元気にしてるかな?」
夏帆は呟く、内地に残してきた二人の友達――真島美由と井坂妙子のことを思い浮かべる。
――草薙さん、こ、この後……一緒に街で食べて、遊びに行かない?
入学式の日、最初の自己紹介で一年後に敷島に引っ越すことを話したのにも関わらず真島美由は緊張しながらも精一杯の朗らかな笑みで声をかけてくれた。
紺色のショートボブで両耳の上にトレードマークとも言える二対の赤い髪留め。猫のように愛らしくも凛々しい目鼻立ちに、キュッと結んだ桃色の唇が目を引く女の子だ。
――ボーッとしてると一年なんてあっという間だよ草薙さん! この時は今しかないんだから! 下を向いてても時間は過ぎていくよ!
美由の友達である井坂妙子――幼顔に小柄な体格、栗色の長い髪で小学校高学年にしか見えず、見た目も性格も仔犬のように明るく誰とも仲良くする人懐っこい性格で、いつも美由と一緒に行動していた女の子で愛称は妙ちゃんだ。
二人は半ば強引に夏帆の手を引っ張り、休みの日も遊びに誘ってくれて、いつしか灰色の雲に覆われていた夏帆の心に光が射し、やがて青空がどこまでも広がって限られた一年間を、カラフルに美しく彩ってくれた。
そして敷島へと引っ越す別れの日、美由と妙子はわざわざ空港まで見送りに来てくれた。
――夏帆ちゃん! 離れていても、あたし夏帆ちゃんのこと絶対に忘れないから!
大人しいけど芯の強い美由は必死で涙を押し殺しながら笑顔で見送ってくれた。
――あたしも……もし内地に帰ってきたら……また……また……一緒に遊ぼうね!
明るく前向きな妙子は人目を憚らず泣くじゃくりながら見送ってくれた。
夏帆は悲しいお別れが来るのを最初からわかっていたのに、どうしてあんなに優しく、そして温かい陽の当たる場所へと連れ出してくれたんだろう? と理解できず、だけど声を震えさせながらぎこちない笑顔で感謝の言葉を述べた。
――元気でね……美由ちゃん、妙ちゃん……ありがとう。
それだけしか言えなかった、いや言わなかったと言うべきかもしれない。
今思えばなんて自分は薄情なんだろうと、自己嫌悪しながら汐ノ坂の町を眺める。
前世で言うなら湘南と南国の気候を足して二で割ったような町で、ご丁寧に海岸沿いを走る汐ノ坂電鉄――通称:汐電というローカルでクラシックな電車や汐ノ島という離れ小島があるほどだ。
トンネルを抜けると澄み切った青空の向こうに着陸体勢に入った敷島航空のボーイング787が見える、敷島国際空港に着陸するのだろう。着陸する飛行機を視線で追うとやがて見なくなり、海と山に挟まれた小さな村の診療所兼自宅に帰り着いた。
ここがあたしの家、表側が父と母が働く診療所となっていて裏が自宅だ。
診療所の裏側にある駐車場に車を止め、夏帆は降りて家の引戸を開けて靴を脱いで上がると母親に一言。
「部屋で安静にしておくね」
「わかったわ……ご飯できたら呼ぶから何かあったら呼んでね」
溜め息吐く母親の心配そうな眼差しを受けながら、夏帆は二階に上がって部屋に入ると縦長の全身鏡に目をやって歩み寄り、思わず手を伸ばして鏡面に触れる。
背中までに伸ばした長い黒髪に人形のように整った顔立ちに白い肌、形のいい桃色の唇と伏し目がちな切れ長の瞳で、憂いの麗人と呼ぶに相応しい美貌。
発育もスタイルも同年代の子たちに比べていい方で、内地にいた頃は男子たちからアプローチされたし帝都の繁華街――前世で言うなら東京の渋谷や原宿みたいな街でスカウトされたりナンパされたことがある程だ。
間違いない、あたしは草薙夏帆だ。
父は医者で母は看護師、これも前世と同じだ。
夏帆は机の上にあるパソコンを立ち上げて取り出してウィキペディアにアクセスする。
この世界にもウィキペディアがあるんだと感心ながら扶桑皇国の歴史について調べると、前世でいう太平洋戦争――こちらでは東亜大戦と呼ばれて正和二〇年始めに連合国に当たる勢力と全面講和を結んで終結。
統治支配していた南方はこの敷島諸島を除いて撤退したという。
無条件降伏ではなく全面講和……どう違うんだろう?
その後、前世の日本とは似ているようで異なる歴史を歩み、元号の正和、平正を経て令化の時代となり今に至るという。
更に夏帆は次に「新型コロナウイルス COVID19」と検索しようとするがエンターキーを押す前にハッとして指が止まり、気付いた。
どうして存在しないウイルスなんかを調べようとしてるんだろう? 夏帆は現世の趣味と前世の趣味を入念に思い出すが……前世と現世の趣味は変わってない、SNSで写真をアップしたりアニメを見たり好物はタピオカドリンクだ。
夏帆は一度消して「パンデミックの歴史」と書き換えて恐る恐るクリックした。
病院で検査した結果は軽い怪我だけでどこにも異常はなく、帰りは迎えに来た両親の車に乗って帰ることになった。
草薙夏帆は高速道路を走る日産エクストレイルの後部座席に座り、運転してる医者の父と助手席に座る看護師の母の会話を聞き流しながら、外の風景をボーッと眺める。
視線の先にあるのは薄らと見える軌道エレベーターアマテラスだ。
「――とにかく夏帆はどこにも異常が無くてよかったわ。助けてくれた男の子……今度転校する学校の生徒さんだって?」
看護師の母が言うと父も興味ありげに頷く。
「そうなんだな夏帆、もし会ったら改めてお礼を言うんだよ」
「うん……わかってる」
夏帆は適当に聞き流して頷くと長いトンネルに入って、現世で今日までの記憶を整理する。
この前までは四季折々で彩られた扶桑皇国本土――通称:内地の高校に通っていたが、高校一年の終わりに内地を離れて帝都である皇京から飛行機で七時間かかる赤道の飛び地――敷島県に移住してきたのだ。
引っ越し先は三日月状の敷島本島外側に位置する汐ノ坂という海岸沿いの町だ。
その海に面した村にある診療所で医師をしてる父の恩師が定年を迎えたため、父が後を継ぐことになったという。
「夏帆? さっきからボーッとしてて大丈夫?」
「うん大丈夫、考え事してるだけ」
母親が心配した目で振り向いて見るがいつものことだ、看護師をしてるから観察眼は鋭い。
だけど前世の記憶を思い出したって話しても信じてくれないだろう。
「美由ちゃん……妙ちゃん……元気にしてるかな?」
夏帆は呟く、内地に残してきた二人の友達――真島美由と井坂妙子のことを思い浮かべる。
――草薙さん、こ、この後……一緒に街で食べて、遊びに行かない?
入学式の日、最初の自己紹介で一年後に敷島に引っ越すことを話したのにも関わらず真島美由は緊張しながらも精一杯の朗らかな笑みで声をかけてくれた。
紺色のショートボブで両耳の上にトレードマークとも言える二対の赤い髪留め。猫のように愛らしくも凛々しい目鼻立ちに、キュッと結んだ桃色の唇が目を引く女の子だ。
――ボーッとしてると一年なんてあっという間だよ草薙さん! この時は今しかないんだから! 下を向いてても時間は過ぎていくよ!
美由の友達である井坂妙子――幼顔に小柄な体格、栗色の長い髪で小学校高学年にしか見えず、見た目も性格も仔犬のように明るく誰とも仲良くする人懐っこい性格で、いつも美由と一緒に行動していた女の子で愛称は妙ちゃんだ。
二人は半ば強引に夏帆の手を引っ張り、休みの日も遊びに誘ってくれて、いつしか灰色の雲に覆われていた夏帆の心に光が射し、やがて青空がどこまでも広がって限られた一年間を、カラフルに美しく彩ってくれた。
そして敷島へと引っ越す別れの日、美由と妙子はわざわざ空港まで見送りに来てくれた。
――夏帆ちゃん! 離れていても、あたし夏帆ちゃんのこと絶対に忘れないから!
大人しいけど芯の強い美由は必死で涙を押し殺しながら笑顔で見送ってくれた。
――あたしも……もし内地に帰ってきたら……また……また……一緒に遊ぼうね!
明るく前向きな妙子は人目を憚らず泣くじゃくりながら見送ってくれた。
夏帆は悲しいお別れが来るのを最初からわかっていたのに、どうしてあんなに優しく、そして温かい陽の当たる場所へと連れ出してくれたんだろう? と理解できず、だけど声を震えさせながらぎこちない笑顔で感謝の言葉を述べた。
――元気でね……美由ちゃん、妙ちゃん……ありがとう。
それだけしか言えなかった、いや言わなかったと言うべきかもしれない。
今思えばなんて自分は薄情なんだろうと、自己嫌悪しながら汐ノ坂の町を眺める。
前世で言うなら湘南と南国の気候を足して二で割ったような町で、ご丁寧に海岸沿いを走る汐ノ坂電鉄――通称:汐電というローカルでクラシックな電車や汐ノ島という離れ小島があるほどだ。
トンネルを抜けると澄み切った青空の向こうに着陸体勢に入った敷島航空のボーイング787が見える、敷島国際空港に着陸するのだろう。着陸する飛行機を視線で追うとやがて見なくなり、海と山に挟まれた小さな村の診療所兼自宅に帰り着いた。
ここがあたしの家、表側が父と母が働く診療所となっていて裏が自宅だ。
診療所の裏側にある駐車場に車を止め、夏帆は降りて家の引戸を開けて靴を脱いで上がると母親に一言。
「部屋で安静にしておくね」
「わかったわ……ご飯できたら呼ぶから何かあったら呼んでね」
溜め息吐く母親の心配そうな眼差しを受けながら、夏帆は二階に上がって部屋に入ると縦長の全身鏡に目をやって歩み寄り、思わず手を伸ばして鏡面に触れる。
背中までに伸ばした長い黒髪に人形のように整った顔立ちに白い肌、形のいい桃色の唇と伏し目がちな切れ長の瞳で、憂いの麗人と呼ぶに相応しい美貌。
発育もスタイルも同年代の子たちに比べていい方で、内地にいた頃は男子たちからアプローチされたし帝都の繁華街――前世で言うなら東京の渋谷や原宿みたいな街でスカウトされたりナンパされたことがある程だ。
間違いない、あたしは草薙夏帆だ。
父は医者で母は看護師、これも前世と同じだ。
夏帆は机の上にあるパソコンを立ち上げて取り出してウィキペディアにアクセスする。
この世界にもウィキペディアがあるんだと感心ながら扶桑皇国の歴史について調べると、前世でいう太平洋戦争――こちらでは東亜大戦と呼ばれて正和二〇年始めに連合国に当たる勢力と全面講和を結んで終結。
統治支配していた南方はこの敷島諸島を除いて撤退したという。
無条件降伏ではなく全面講和……どう違うんだろう?
その後、前世の日本とは似ているようで異なる歴史を歩み、元号の正和、平正を経て令化の時代となり今に至るという。
更に夏帆は次に「新型コロナウイルス COVID19」と検索しようとするがエンターキーを押す前にハッとして指が止まり、気付いた。
どうして存在しないウイルスなんかを調べようとしてるんだろう? 夏帆は現世の趣味と前世の趣味を入念に思い出すが……前世と現世の趣味は変わってない、SNSで写真をアップしたりアニメを見たり好物はタピオカドリンクだ。
夏帆は一度消して「パンデミックの歴史」と書き換えて恐る恐るクリックした。