わたしたちの乗っていた車にぶつかってきた運転手は捕まった。

 世間から強いバッシングも浴びた。

 一方でわたしの両親は批判されることはなく、バス会社の責任のほうが追求された。いまではもう、そのバス会社は残っていないという。

「じゃあ、わたしが動物園に連れていってっておねだりしたから、事故は起きたの?」

 どうしておじさんとおばさんが両親の事故について触れたがらなかったのか、そしてわたしがどうして過去に怯えていたのかがわかった。

 わたしのわがままが、事故に繋がったからだ。間接的とはいえ、わたしが両親とバスに乗っていた子供たちの命を奪った。

「そんなふうに自分を責めてはだめよ、遥ちゃん。悪いのはあくまでも酔っぱらっていた運転手なんだから」

 わかっている。追突してきた車の運転手を恨むべきだということは。

 それでも、簡単に割り切ることなんてできない。わたしがきっかけを作ったのは間違いないわけだから。

「わたしたちはきみがそうやって自分を責めることを恐れていた。学生にこの事実はあまりにも酷だったから、将来、結婚でも考えるときに伝えるべきだと考えていたんだ。遥のことを心の底から愛してくれる人物がそばにいてくれれば、二人で苦しみを分かち合うこともできただろうから」

「お義兄さん夫婦が亡くなって、子供たちも犠牲になって、わたしたちは事故のきっかけを作った運転手に強い憎しみを感じていたわ。あのときのことはもう思い出したくないくらいに。だからこそその憎しみを遥ちゃんには抱いてほしくないという気持ちもあったの」

 わたしのなかには、運転手の行為を批判するような気持ちは生まれなかった。

 幼い自分に対する怒りだけが渦巻いていた。

「遥ちゃん、あなたはまだ小さかった。わがままをいうのは当然なのよ」

「いいか、遥。おまえが自分を責めるということは、運転手の罪を軽くするということでもある。それは亡くなった兄さん夫婦が望んでいることでは決してない」

 おじさんとおばさんのいいたいことはよくわかる。