そういえば、授業とか大丈夫なのかな。黒板が見えなければ、ノートを取ることもできない。

 コンプレックスプランは周りが自然と受け入れるものだから、たぶん、先生とかにもなにも言われないはずだけれど。

 とりあえず部屋を出てみる。ひとりで階段を降りることは可能だった。

 顔を洗うことも食事をすることもそんなに苦労はしなかった。トーストや牛乳を口に入れていると、そんなに不便じゃないかもと思った。

 おじさんとおばさんの反応もいつも通りで、わたしに特別な変化が起こっているとは考えていないようだった。

 以前からわたしは目が見えなくて、そうやって日常を過ごしてきたという前提が生まれている。

 ただ、外に出てみると、自分の考えが甘いことに気づかされた。
 自宅なら範囲が狭いし、おじさんとおばさんに頼ることもできるけど、外だとそうはいかない。

 いまは通勤通学の時間帯で、たくさんの人が行き交ってる。
 顔のはっきりわからない人の群れというのは、とても怖かった。

 細かな動作や表情から判断できることはたくさんある。失明している人がどれだけ日常で苦労をしているのか今日はじめてわかった。

 どの方角に行けばいいのかはわかる。歩道と車道の違いも問題ない。わたしはとりあえず、高校の方に向かって歩き出した。

 車の音や人の声だけでもビクッとなることかあった。

 ふいに人の気配を近くに感じたり、気づいたときには車が横を通りすぎていたりした。音は音だけじゃなく、物と一緒にならないと認識することは難しい。