『青』

今月から高校に通うためのアパートから意味もなく空を見上げていた。いや、天を仰いでいた。このどうしようもない状態に。病院に迎えに来る人はいなかった。私は行方不明という扱いになっていた。だってこの世に私の形をしたものはもうどこにもない。病院からこの家に帰るときに乗ったバスは子供料金だった。服は一着先生がくれた。この家も本来住む人がいないので、来月で取り払われてしまう。こういうときはどこに連絡をすればいいのだろうか、児童相談所かチャイルドラインか。とりあえず、孤児として児童相談所に行こう。こんなこと普通はないはずだ。せっかくだから楽しんでやろう。そう思う明るく考えるしかなかった。
そして、さっそく新しく名前を考えることにした。こうなれば名字も変えてしまおう。昔の私を知る人はわたしのことを知らない。いわば二回目の人生だ。誕生日は四月十一日、この姿の私が生まれた日。名前は何にしようか。意外と名前とか思い付かないもんだな。考えても元同級生とかとかぶったりして、気持ち的に問題が生まれる。そして私はそこからかなり考えた後、卯月朱里にしようと決めた。四月に生まれたから卯月、明るく生きたいから朱里〈あかり〉である。我ながらいい名前だと思う。そして最大の問題『年齢』である。見た目的にいえば小学生が妥当なとこか。でも高校生まで既に生きている上に下手な詐称をすると将来的に辛い。下手に考えるとなにかしくじりそうだ。そのままでいいや。でも四月十一日が誕生日だから年齢は十六となる。少し前なら結婚できる年齢じゃないか。そう考えると一気に年をとったように感じる。一年の差は思ったより大きい。
そして、頼れる大人に相談しようと考えることにした。一昨日までこの世の中にいない人が生まれて職員の人はどう思うのだろうか。というか、そもそも児童相談所ってどこにあるんだ?存在は知っていたけど、実質的な関係が少なくて知らないことだらけだ。そして調べようとしてスマホをかばんの中から探す。そして重大なことに気が付いた。スマートフォンを持ってない。まぁ、元々の友達にも相談できることではないし必要ないかと思ったが、インターネットで検索が出来ない。電話もできない。これではどうしたらいいんだろうか?


「ということで交番に来ました」
悩んだ末、警察に相談すればいいと思い一番近く、警察がいる場所に来た次第である。
「まあ、あんたが孤児で身寄りが全くなく、からだの大きさから十六として見てもらえないと」
「そんな感じです」
交番には一人の若い婦警さんがいて話を聞いてくれた。
「高校生ならさ、もう児童相談所は探さない方がいいよ。結局何の解決にもなるとは思えないし、高校生から入ると数年ですぐ追い出されてしまうよ」
「そうなんですか。お詳しいんですね」
「昔の友達が児童相談所とか孤児院をたらい回しにされててね」
「そうなんですか」
意外と暗い過去がありそうだなその友達も、この人も。
「もうこの世にはいないんだけどね」
「……。」
「……。」
「暗い話になってしまってごめんね。というか、本当に高校生なんだな」
「え?」
「いや、しゃべり方とか。新手の小学生の家出かと思ったわ」
確かに。端から見れば、ただの大人ぶっている子供だろう。
「君は面白い子だね。良かったらあれだ、ウチに養子として来いよ。私たちの間には、子供が生まれないんだ。どうだい?」
子供が生まれないというのはどういうことなんだろうか。だが、深いことを知る気にはならなかった。なんせ今の私には住める場所もないので、断る理由はない。
「いいんですか?」
「ああ、勿論さ」
「では今日からお願いします」
「いや、そうはいかないんだ」
早い方が私にとって得なのでつい先走ってしまったようだ。
「何で?」
「だって君は孤児で、つまり戸籍が無いんでしょ?在ったとしても勝手に連れていったらそれは誘拐になる。犯罪者になるのはごめんさ」
「じゃあ、私はどうすれば?」
「そこは警察官の私に任せな!」
満面の笑みで親指を立てている。なんか頼もしい。すると交番の前に一つのワゴン車が止まって中から若い女性が降りてきた。児童相談所の人らしく、施設に連れていかれるそうだ。
「私は愛莉。朱里ちゃんだっけ?それじゃあ、一旦お別れになるけどすぐ迎えに行くから」
愛莉さんが手を振って送り出してくれた。やっぱり、最初から児童相談所の人は呼んでたようだ。
そして、各種手続きが済んで愛莉さんの養子となった。戸籍の発行には時間が掛かるらしく、まだ私は法的にはこの世界にはいない。そんな不思議な感覚をもう失ってしまうのがなんか寂しく思えた。
愛莉さんの車にはもう一人由梨さんという女性がいた。由梨さんは大手のフィナンシャルグループで人事として働いているらしい。しばらく話していると家についた。
「ついたよ。いらっしゃい。朱里ちゃん」
そこはタワーマンションで下にはショッピングモールがついている、超が百個くらいつく高級住宅であった。
「一体何なんですか愛莉さんは」
「え?ただの交番の警察官だよ」
「そんなわけ無いですよね。このマンションは日本で一番高い値段で売買される住宅ですよね?」
前にテレビの特番でやっていたのを思い出す。
「いや~。実はさ、おじいちゃんが就職祝いでくれたんだよね」
「何なんですか。あなたの家は?」
そう聞くと中学の時、歴史で習った財閥の名前の内のひとつだった。すごい人と出会うこともあるもんだな。
「あれ?由梨さんも来るんですか?」
「何言ってるの?由梨はうちの彼女だよ?」
愛莉さんの子供が生まれないとはそう言うことだったのか。レズのカップルだったのか。
「まあ、とりあえず、家行こ?」
そういえば、ここはまだ、エントランスだった。というかマンションのエントランスって何なの?そんなのあるの?下手なホテルより豪華だし。室内の噴水って初めて見たし。そして、ありとあらゆることの豪華さにいちいち度肝を抜かれながら部屋についた。そこは最上階で家はひとつしかなかった。
「遠慮しないで上がんなよ。今日からあんたの家でもあるんだよ?」
「あ、はい」
こんなに豪華な家に暮らすことが出来るなら、体が変わるくらい安いことに思えてきた。
「じゃあ、お風呂入っちゃいな。その間に何か食べれるもんつくっとくから」
「はい!」
「じゃあ、うちと入ろうよ」
「え、あ!はい、いえ」
「どっちだよ。もしかしてうちより愛梨の方がいいのかい?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
それはひどくないか。と愛莉さんがツッコミを入れてくる。
「じゃあ、行こ~。お風呂あっちだから」
そう言って、由梨さんに連れられてお風呂に行った。脱衣所で着替えていると鏡を見つけた。そういえば今の体をしっかりと見たことはまだないので、つい鏡を凝視してしまった。
「どうしたんだい。そんなに自分の体をまじまじと見て」
「いや、由梨さんはスタイルいいのにな~って思って」
なんとなく誤魔化すことを言う。
「これから成長するんじゃない?」
苦しい言い訳であったと思うがなんとかごまかせたらしい。というか、由梨さんも愛莉さんもとてもスタイルがいい。普通に男にももてそうな感じである。レズのカップルとかよく分かんないな。
「早く入ろ。体冷えちゃうよ」
「そうですね」
もう豪華さには驚かまいと思っていたが、やっぱり無理だった。広い湯船だと思っていたものはジャグジーで、一面ガラス張りの壁からの景色はとても美しかった。そのあと、由梨さんに背中を流してもらったりして、お風呂から上がってきた。
「あがったよ~」
と由梨さんが言いながらダイニングに入ると、エプロンをして料理している愛莉さんに抱きついた。目の前に広がる百合百合しい光景に困っていると、愛莉さんに由梨さんを抱きついくのを無理やりはがしてこっちに来る。
「景色、すごかったでしょ」
と言いながら抱きついてくる。
「そうですけど、何で抱きついてくるんですか?」
「え?朱里ちゃんがかわいいから?」
「もう、茶化さないでくださいよ」
でも、さっき鏡を見てて思った。元々の私の体が子供の頃よりも圧倒的に可愛かった。
「愛莉¬~。ご飯まだ~?」
そう言う、由梨さんはぷすっとした顔でこっちを見ている。この状況が羨ましいのかもしれない。いや、私は迷惑だけど。
「はい、はい。もう出来てるから、手伝って」
「は~い」
そうして、ご飯を食べた。愛莉さんの作った料理はとても美味しかった。話によると、由梨さんも良家の出で、パーティで知り合い、そこから愛莉さんと仲良くなったのだそう。なので、由梨さんも料理ができるらしい。由梨さんには悪いけど、意外だった。
ご飯を食べ終わると、愛莉さんはお風呂に行って、由梨さんは片づけをしていた。その日は流石に疲れていたらしくベットに入るとすぐに寝てしまった。何故か愛莉さんと由利さんの間で寝た。キングサイズのベットだった。


朝、トーストの匂いに目を覚ます。
「おはよー。朱里ちゃん」
ふすまの隙間から、由梨さんが顔を出してくる。
「おはようございます」
「もう、おはようでいいって」
「おはよう」
「はい、おはよう。もう私は仕事に行かなきゃいけないから、ご飯食べてね」
「はい」
時計を見ると八時を示していた。
「今日は早めに帰ってくるけど、帰ってくるまで家から出ちゃだめだよ。危ないから」
「からかってるんですか?」
「じゃあ、このあたりのことに詳しいのかい?」
「いえ、全然」
言われてみればそのとおりである。由梨さんと出会った交番からここからだいぶ遠いはずだ。そして、昔の体でこの地域に来たことは一度もない。
「じゃあ、よろしくね。この部屋から出なければ安全だから」
そりゃそうだろうセキュリティが万全でないはずがない。そして由利さんすぐに仕事に行った。愛莉さんはすでにいなかったので多分既に仕事に行ってしまったのだろう。そして、私は非常に暇になったのでテレビを見ていた。展望タワーというこの国で一番高い建物の駐車場で行われているB級グルメ屋台祭りが特集されていた。お好み焼とか焼きそばとかそれぞれの地域の食べ物が屋台で並び、一番おいしかったものに投票して一番を決めるとかそういったイベントらしい。芸人が二手に分かれてそれぞれの食レポを交互に映していた。ただそんなに興味があることでは無かったのでチャンネルを回す。すると昼間のワイドショーに気になるニュースが流れた。最近高校生くらいの子供の失踪者数が急に増えているそうだ。そして子供の孤児が不自然い増えているらしい。なんと取材を受けていたのは同じような境遇にある母親だった。どこまでも不自然に似ていた。私はふと昔の暮らしが脳裏に映って泣きそうになった。やはり、今までの人生を新しくすることなんて無理だろう。そんな風に思ってしまった。私らしくもない。でも泣いてしまったら愛莉さんや由利さんに申し訳なさ過ぎて泣けなかった。もうテレビを見る気にもならなっかったので消して、部屋を探検してみることにした。
床にはペルシャ絨毯
ナイフやホォークは銀製
グラスは宝石のように輝く
天井には宝石が煌めくシャンデリア
違う意味で泣きそうだった。生活水準が違いすぎる。
そして一つの不自然な写真を見つけた。明らかにこの家にはいない由利さんや愛莉さんとも思えない高校生の写真。しかしそんなことは隣にあるブルーサファイアのアクセサリーの神々しさにかすんでしまい、忘れてしまった。


そろそろおなかが空いてきたと思うと愛莉さんが帰ってきた。明らかに早すぎる気がするが気にしないことにした。
「ただいま~」
「おかえり~」
「ごめんね。今日朝早くてさ、一緒にいられなくて」
確かに起きた時にはもういなかったはずだ。
「いえ、そんなことは別に」
「それより、おなかすいたでしょ。どっか食べに行こ。このあたりのことも教えてあげるから」
愛莉さんと話していると急に話が百八十度変わるので疲れる。このあたりのことは知りたいし、おなかも空いているので断る理由がない。
「はい!お願いします」
「あと服も買わないとね」
苦笑いしながら由利さんが言った。そいえば貰った服は一着しかない。そしてそれは洗濯されてベランダで風に吹かれている。今着てるのも由利さんの服である。しかもサイズが全然合っていないのですごくダボダボである。
そしてすぐに出掛けることになった。夜は大人なカッコいい雰囲気だったけど、昼間はおしゃれでだいぶ高級な若者の街という感じだ。お昼は軽くサンドイッチを食べてすぐに買い物に移った。しかし、この体で歩いているとすぐに疲れてしまう。今までより歩幅が短いし、体力もげっそり奪われてしまう。もし退院してどこにも行けなかったら誘拐でもされていただろう。そう思うとぞっとする。ある程度服が揃うと街を散歩した。というかもうだいぶ前に必要なものはそろっているはずなのに買い物が続いていた気がする。まるで愛莉さんの着せ替え人形にでもなった気分だった。しかも選ばれる服はふりふりのワンピースだったり、ゴスロリっぽい服だったりして、なんだか愛莉さんが自分を養子にした理由が分かった気がする。もうしばらく愛莉さんとは買い物したくないな。
さすがに愛莉さんも疲れしまったらしく、喫茶店(コーヒーショップ?)で休憩していた。しると由利さんが仕事を早く上がったらしく合流した。まだ昼過ぎだと思うんだけど。愛莉さんがトイレで席を外すと急に愚痴り始めた。
「朱里ちゃん。大変だったでしょ。愛莉の買い物は長いし、怒涛のような勢いで違う店に行くし、私ももう半年は一緒に買い物してないかな」
やっぱり、そうなんだ。なんか由利さんのつけの分まで買い物した気がする。
「でも、どう?楽しかったでしょ。普段一人じゃ絶対行かないような店とか連れてかれたでしょ」
そう言われてみれば、そうである。表の通りのブランド店の連続がイメージが強過ぎて薄れていたが、路地裏のアパレルショップとか雑貨店とか知らないとたどり着けないようなちょっとおしゃれな店も結構訪れていたと思う。そういえば、その路地裏の店の中にゴスロリとかロリィタの専門店とかがあったんだな。あの悪夢の連鎖は路地裏の店から始まっていた気がする。
「そうですね。普段だったら、いや普段でなくても愛莉さんと一緒じゃなかったらあんな店行きませんよ」
「その通りだね」
「でも、すごく楽しかったです」
「なら良かった。それが一番だね」
「何楽しそうに話してるの~?」
「いや、何でもないですよ」
流石に愚痴ってたとは言える訳ない。
「本当かい?まあ詮索は止めておこうかな」
思いっきし、怪しげな視線を向けられてるけど、無視しておこう。由梨さんとか無駄に笑顔だし。
「この後は由梨も一緒に買い物するでしょ?」
「いや、別にほしい服とか無いし」
「別になくてもいいじゃん。適当に見て回ろうよ」
「いや、別に」
どれだけ嫌なんだよ。食い気味の拒否が凄い。
「あ、そうだ。展望タワーに登ってみない?」
急な話題転換に二人で反応が遅れてしまう。そしてほとんど無理やりに連れていかれるのだった。開業してからある程度時間が経ったはずなのにエレベーターに乗る前に入場制限がかかっていた。テレビの効果というのは思ったよりも大きいものらしい。
エレベーターに乗ると上に着くまではあっという間だった。ただ体がふわっと浮く感覚が少し気持ち悪い。そんな感情も目の前に広がる夜景のパノラマに吸い込まれてしまった。立ち並ぶビルの電気のついた窓が空に輝く星のようにそこにあるだけで魅了されてしまうものに変わっている。街路樹に施された電灯がまさに光の道を伸ばしている。そこを走る車はミニチュアの様で可愛らしさを覚える。高速道路は土台の部分が暗く駆ける車はそれこそ翔けているようだ。空気も澄んでいて遠くの山の輪郭も見える。明かりのない山が暗い中でも見えるというのはいささか不思議である。
「どう?朱里ちゃん、綺麗でしょ」
と横から由利さんが話しかけてくる。
「はい。普段こんなこと来ることなくて、凄く新鮮です」
すると由利さんは、そっか、とくすりと笑っている。
「まぁ、普段とは違う世界に見えるよね。住んでるはずの街も上から見れば…」
私は少し暗い顔をしてしまったのかもしれない。
由梨さんは、
「夜景もきれいだよね」
とどこへも向かわないけど、耳に届くように言ってくれた。
「そうですね」と笑って返す。少し申し訳なく思ったのもあって。
「どこか行きたいことある?ここから見える所なら大体どこでも連れてけるよ」
と愛莉さんも横から話に加わってくる。手にはスマホを持っているてっきりお手洗いでも行っているのかと思ったが違うらしい。
「じゃあ、由利さんと愛莉さんと見える所全部行きたいです」
と小さく呟く。二人とも反応せず外に目を向けてしまったので聞こえていないのかとも思ったけど、少し間を開けて愛莉さんが「そうだね!」と満面の笑みと目じりに涙を浮かべていた。
「ど、どうしたんですか?愛莉さん?」
と聞くと由梨さんがひそひそ話で教えてくれた。そしたら愛莉さんはぷすっとした顔で由梨さんを見ていた。聞こえていないと思ったが、以心伝心というやつだろうか。
そしてその日から私は少しずつ二人に少しずつお願いをするようになった。

───『朱里ちゃんの初めてのお願いでしょ?嬉しんだよ。愛莉は』