皆崎さんのことが気になって、今日は早く登校してしまった。

 しかし遅刻魔でもなければ目立つ存在でもないので、周りの反応はいつもと変わらない。私がいてもいなくても、教室は滞りなく時間を進める。
 現在は7時45分。いつも皆崎さんが先に登校してくるので、いつ彼女が登校してくるかはわからない。ただ運動部ではなく家庭科部なのは知っているから、朝練がないことは確実なのだが……。

 そわそわと、図書室で借りた本を読む。何でもない青春の物語が、はやる心を落ち着けた。

「美玖、おはよー!」
 ちょうど8時、皆崎さんと仲がいい田中さんが明るく彼女を出迎えた。その声で教室の扉を見やると、いつもと変わらない皆崎さんが微笑みながら立っていた。

 昨日は大丈夫だったのか。それとも、大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをしているのか。
 不安で、皆崎さんのもとへ歩き出す。皆崎さんは私の姿を認めると、貼り付けていた微笑みを剥がした。
 その表情に、ひやりと背筋が凍る。お母さんの影響で、私と会話しないことを選んだのだろうか。

 ──それでもいい。

 焦る心をそっと撫でて、皆崎さんを真っ直ぐに捉える。あれだけ面倒臭いことを言われたり、直接危害を加えられるのだ。その選択をしてもおかしくはないし、それは皆崎さんのせいではない。また、私たちは他人同士に戻るだけだ。

「皆崎さん、昨日は大丈夫だった?」
 純粋な心配が伝わるように、声を出す。皆崎さんの目に、じわりと涙の膜が張った。ぷるぷると、小さな肩が小刻みに揺れる。

「……大丈夫、じゃない」

 教室の喧騒にかき消されそうな声。
 皆崎さんは私の手をきゅっと掴んだ。

「辛いよ」

 放たれた一言に、目を見開く。
 その言葉は、昨日までならば外に出ることのなかった言葉だった。皆崎さんの何かが私の行動で変わった、それが何よりも嬉しい。

「……皆崎さんは、どうしたい?」
 もうちょっと、皆崎さんが生きやすくなるように。私は言葉を重ねる。

「よくわからないけど……高宮さんと仲良くなりたい」
 皆崎さんが私の目を捉える。確固たる覚悟が、その表情に浮かんでいた。

「だから大丈夫じゃなくても、嫌なことは嫌って言うよ。なりたい自分になるために」

 皆崎さんの凛とした声に、私は頷いた。
「応援してるよ。愚痴ならいくらでも聞くからね」
「ありがとう。高宮さんと出会えてよかった」

 皆崎さんはにっこりと笑って、私から離れる。いつも話しているあの子たちのもとへ向かったのだ。
 いつも通り、皆崎さんの周りはキラキラ輝いている。蒸し暑い教室にとっての太陽みたいだ。

「美玖と高宮さんって、どういう関係なの?」
「友達だよ」

 その太陽の光は、私にも届いている。
 皆崎さんと目が合った。

『ありがとう』

 心の中で呟いた。私はもう、ひとりじゃない。
 ──だけど。

 実験的に買った小さな缶コーラを飲むと、罪悪感が嵐のように巻き起こる。制御できない感情は身体を滅茶苦茶にして、吐けと脳に命令する。
 いそいそとトイレに向かい、さっき飲み干したコーラを戻す。朝ごはんは食べれてないので、液体しか出なかった。

 ──私はまだ、前を向いて歩けやしない。

 窓から差す太陽の光が、やけに遠く感じられた。