「今日は高宮さんと一緒に帰るから。またね」
「「え?」」
帰りのホームルームも終わって、暑さもなりを潜めてきたころ。
唐突に放たれた言葉に、皆崎さんの友人はぽかりとしていた。「高宮って、あの高宮?」「高宮藍……? 仲よかったっけ」なんて、ひそひそとささやき合う。そこに侮蔑の色もほんの少し混じっているものの、多くは動揺から来るものだった。
渦中の皆崎さんはいつもそうしているかのように、自然な軽い足取りで私の席へ歩を進める。
「じゃあ、帰ろっか」
「あ、うん」
皆崎さんは相変わらずの姫スマイルを向ける。
周りの人間も、私ですら幻覚でも見ているようにぽかりと彼女を眺めていた。
◆
「ごめんね、もうちょっと目立たないようにするべきだった? 高宮さん、あんまり目立つの得意じゃなさそうだし」
「別に私じゃなくて、皆崎さんが注目されてただけだと思うから大丈夫。それよりも、ありがとう。こんなに早くしゃべれる機会が来るとは思ってなかったから、嬉しいよ」
ノー部活デーということもあり、ほとんどの生徒が通学路にはびこっている。しかし、これも駅までの辛抱だ。やいやいと騒ぎ立てる高校生の声をバックに、私たちは静かに会話をする。
「高宮さんが最初に話しかけてくれたからだよ」
皆崎さんは明るい声で前置きしてから、纏う雰囲気を重くさせた。長いまつ毛の奥にある目が、まっすぐ私を捉える。
「ねぇ。どうして高宮さんは食べられなくなったの?」
逃げられない問いに、私は真っ向から答える。私が本音を言わない限り、皆崎さんも本音を語ることはないから。
「お母さんが醜い私は価値がないって、ご飯を食べさせてもらえなかったの」
夏の生暖かい風が、ひゅぅっと私たちの隙間を通り抜ける。
時間が一瞬だけ、止まったような気がした。皆崎さんの目が見開かれる。
「そのほかにも、お母さんから色々言われて自信を失っちゃって。お父さんは物心ついたときからいなかったから、誰もお母さんを止める人はいないの。今だって、お母さんは私を貶し続けてるよ。今度は痩せすぎて醜いって言うけど、もう食べることが怖くてさ」
悲しそうな顔をする皆崎さんに、私は笑いかけた。そんな顔をしないで。皆崎さんが悲しくなるようなことじゃないよ。
内心で語りかけ、声を絞り出す。
「私はただ、普通になりたい。普通の親がいて、普通の体型になって、普通に友達を作って、普通に恋をする。そういう人生を私は送りたいの。……その一歩目なんだ、皆崎さんは」
何度願っても手に入らなかった『友人』が今、目の前にいる。目を開けても消えない夢が、現実にあったのだ。
「私の初めての友人になってくれてありがとう。こうやって作るのは、ちょっとずるいかもしれないけど」
「ううん、そんなことないよ。話してくれてありがとう」
皆崎さんはだらんと垂れ下がった私の手を、きゅっと握る。私の荒れた手と違い皆崎さんの手は柔らかかったが、どこか頼りない印象を受けた。
「わたしも話さなきゃだね。駅の向こうに公園があるから、そこのベンチで話さない?」
「ぜひ、聞かせてほしいな」
──腹を割って話してよかった。
あれだけ取り繕おうとしていた皆崎さんが、私に何かを話そうとしてくれている。普段付き合っているキラキラした友人ではなく、みすぼらしい私に。
私の苦痛は、この子のためにあったのかもしれない、なんて思う。私の人生において、誰かを救えることなんてなかったから、状況の重さとは裏腹に私の心は踊る。
今思えば、ここで覚悟しておくべきだったのだ。
現実は私たちが望むより、はるかに残酷なものであるということを。
太陽はまだ、落ちる様子を見せなかった。
「「え?」」
帰りのホームルームも終わって、暑さもなりを潜めてきたころ。
唐突に放たれた言葉に、皆崎さんの友人はぽかりとしていた。「高宮って、あの高宮?」「高宮藍……? 仲よかったっけ」なんて、ひそひそとささやき合う。そこに侮蔑の色もほんの少し混じっているものの、多くは動揺から来るものだった。
渦中の皆崎さんはいつもそうしているかのように、自然な軽い足取りで私の席へ歩を進める。
「じゃあ、帰ろっか」
「あ、うん」
皆崎さんは相変わらずの姫スマイルを向ける。
周りの人間も、私ですら幻覚でも見ているようにぽかりと彼女を眺めていた。
◆
「ごめんね、もうちょっと目立たないようにするべきだった? 高宮さん、あんまり目立つの得意じゃなさそうだし」
「別に私じゃなくて、皆崎さんが注目されてただけだと思うから大丈夫。それよりも、ありがとう。こんなに早くしゃべれる機会が来るとは思ってなかったから、嬉しいよ」
ノー部活デーということもあり、ほとんどの生徒が通学路にはびこっている。しかし、これも駅までの辛抱だ。やいやいと騒ぎ立てる高校生の声をバックに、私たちは静かに会話をする。
「高宮さんが最初に話しかけてくれたからだよ」
皆崎さんは明るい声で前置きしてから、纏う雰囲気を重くさせた。長いまつ毛の奥にある目が、まっすぐ私を捉える。
「ねぇ。どうして高宮さんは食べられなくなったの?」
逃げられない問いに、私は真っ向から答える。私が本音を言わない限り、皆崎さんも本音を語ることはないから。
「お母さんが醜い私は価値がないって、ご飯を食べさせてもらえなかったの」
夏の生暖かい風が、ひゅぅっと私たちの隙間を通り抜ける。
時間が一瞬だけ、止まったような気がした。皆崎さんの目が見開かれる。
「そのほかにも、お母さんから色々言われて自信を失っちゃって。お父さんは物心ついたときからいなかったから、誰もお母さんを止める人はいないの。今だって、お母さんは私を貶し続けてるよ。今度は痩せすぎて醜いって言うけど、もう食べることが怖くてさ」
悲しそうな顔をする皆崎さんに、私は笑いかけた。そんな顔をしないで。皆崎さんが悲しくなるようなことじゃないよ。
内心で語りかけ、声を絞り出す。
「私はただ、普通になりたい。普通の親がいて、普通の体型になって、普通に友達を作って、普通に恋をする。そういう人生を私は送りたいの。……その一歩目なんだ、皆崎さんは」
何度願っても手に入らなかった『友人』が今、目の前にいる。目を開けても消えない夢が、現実にあったのだ。
「私の初めての友人になってくれてありがとう。こうやって作るのは、ちょっとずるいかもしれないけど」
「ううん、そんなことないよ。話してくれてありがとう」
皆崎さんはだらんと垂れ下がった私の手を、きゅっと握る。私の荒れた手と違い皆崎さんの手は柔らかかったが、どこか頼りない印象を受けた。
「わたしも話さなきゃだね。駅の向こうに公園があるから、そこのベンチで話さない?」
「ぜひ、聞かせてほしいな」
──腹を割って話してよかった。
あれだけ取り繕おうとしていた皆崎さんが、私に何かを話そうとしてくれている。普段付き合っているキラキラした友人ではなく、みすぼらしい私に。
私の苦痛は、この子のためにあったのかもしれない、なんて思う。私の人生において、誰かを救えることなんてなかったから、状況の重さとは裏腹に私の心は踊る。
今思えば、ここで覚悟しておくべきだったのだ。
現実は私たちが望むより、はるかに残酷なものであるということを。
太陽はまだ、落ちる様子を見せなかった。