指定されたシャツに手を通す。スカートは膝上5cm。
髪の毛は邪魔にならない様に一つにまとめる。
装飾品は一切無し。
日焼け止めだけを塗る為に鏡を見て、自分の姿に綻びが無い事を確認する。

「よし。大丈夫。」

こうして今日も、“優等生”の私は出荷されていくのだ。


「高山―。ちょっといいかー?」

「あ、篠田先生。どうかされたんですか?」

「悪いんだが、プリントを配ってもらいたい。あと、皆にその内容を知らせておいてくれ。なるべく早く、頼めるか?」

「分かりました。やっておきますね。」

湿気で余計に頭がクルクルしている先生は大げさに、助かる、と言うと
私の両手に約800gの重みを加算し、足早に立ち去っていった。
伝えておけと言われた内容を確認するために、私は手元に目を落とす。
そこには、2か月後の夏期講習といった結構重要な事が書かれてあった。

「こういうのは、自分でやってよ。……生徒にやらせるんじゃなくて。」

と、私はボソッと文句を言った。自然と眉間に皺がよる。が、すぐに表情を元に戻した。『“優等生”の高山香菜(たかやま かな)』はこんな事で不満を言わない、そう思ったからだ。


「皆さん、プリント配るので注目してください。」

私の一声で何名かが注目したが、すぐに教室のざわめきは収まる事はなかった。
次の数学の授業が自習という事もあってか、どうやらクラスメイト達は、はしゃいでいるようだった。私は、ため息をつきそうになるのをこらえ、もう一度呼びかけようと前を向くと、後ろの扉が急にガラっと開いた。その瞬間、教室は水を打ったかのように静まり返る。向けられる視線をものともせず、その男子は自分の席についた。私も同じ様に、ついじろじろと彼の方を見てしまっていた。

茶髪の男子生徒、染矢 実(そめや みのる)。私はあまり彼との関わりは無いけれど、よくない噂がある事は知っていた。現に、教室内にはひそひそとした話声が飛び交っている。

「遅刻してきてんじゃん、何かあったのかな?」

「そういや、アイツ確か他校の生徒と、トラブル起こしたらしいぜ。」

「えぇっ、暴力沙汰?」

「てか、この前包帯してきてなかった?」

嘘か本当かは分からない。けれど、クラスで彼が浮いている事は確かだった。
けれど、その中心にいる彼はさして気にしていない風に窓の外を見ている。
私は、もう少し馴染むように努力すればいいのに、なんて思うと同時に、そんな風に気にしない強さが羨ましいと感じていた。
そんな事を考えぼんやりとしていたけれど、私は手に持つ重みにはっとなった。
すぐに気を取り直し

「じゃあ、改めて注目してください。篠田先生から……」

と、話を進めていった。
その中で、ちょっとだけ、私は静かな状況をもたらした彼に感謝した。


「香菜ちゃんってさ、篠田先生に気に入られてるよね。」

「そんな事ないよ。私が、委員長だからよく話すだけ。」

「そんなことあるって。大体シノセンが手伝わせるのって、香菜ばっかじゃん。てかさ、面倒じゃないの?」

「ううん。このくらい平気だよ。それに、先生も忙しいから私に頼んでいるんだろうし。」

思ってもいない解答を口から吐いた。二人はその言葉を疑う事も無く、ふーん、といってそれぞれパンやウインナーを口に運びつつ、話を続けた。

「香菜ちゃんって、本当にいい子だよね~。」

「ほんと、それな。まぁ、それ言ったら、シノセンもめっちゃフレンドリーで、いい先生だよね。あの染矢を気にかけてるのって、シノセンぐらいじゃない?」

「あー、染矢君ね……。なんか、いい噂聞かないよね。」

「そうそう、この前とか包帯巻いてたじゃん。絶対、裏で犯罪とかやってるよ。アイツ。しかも、髪染めてんのになんも言われないの、ズルくない? 何で、退学にならないんだか。」

「もしかして、親がヤバめの人だったりして……」

「こわっ。でも、ありえるかも。」

「そうそう。ああいうのってさぁ、親の影響大きいもんね。香菜ちゃんもそう思うでしょ?」

「えっと……」

話が回ってくるとは思っていなかった私は、急な事に答えに詰まった。
少し考える振りをして、困ったような笑みを浮かべながら、

「そうかもしれないね。」

と当たり障りの無い解答を返す。本当は、違う、そう主張したかったけれど、出来なかった。


「篠田先生。伝えておきました。」

ホームルーム前、私は目立つ頭をした後姿を見つけ、“優等生”らしく声を掛けた。
すると、先生はお礼を言いながらも、心配そうな表情を浮かべた。

「先生、どうかされましたか?」

「高山、何かお前疲れているんじゃないのか?」

突如、そのような事を言われた。私は、その問いかけに

「いえ。そんな事はありませんよ。ご心配ありがとうございます。」

と、模範解答を返す。そんな私の反応を見て、ニカっとした笑顔を浮かべながら先生は、

「そうか? まぁ、でも何かあったら相談してくれ。先生にとって高山は、娘みたいなもんだからな‼困った時は、いつでも気軽に声を掛けろよ。何なら、恋の相談でもいいぞ‼」

と言った。私は笑みを浮かべお礼を言った。フレンドリーで明るく、人気のある先生。それが皆の評価。
けれども、私としては内心、その馴れ馴れしさが気持ち悪いな、と常に感じていた。


「高山さん、お疲れ様。」

「お疲れ様でした。店長。」

20時頃。私は、バイト先の本屋を後にする。
途中、スーパーに寄り、割引されたコロッケを自転車のかごに放り込んだ。

「ただいま。お母さんは……帰ってきてないか。」

派手な赤い靴が玄関から消えて、かれこれ5日は経とうとしていた。

(きっとこの前来ていた、『彼氏』の所にいるんだろうな……。)

そんなことを思いながら、服を着替え、夕飯の準備に取り掛かる。

「いただきます。」

一人で囲む食卓に、私はもうすっかり慣れきってしまっていた。

色々済ませた後、私は机に向かい、課題に取り組む。英語のプリントを解き進めると、裏に自由英作文の問題があった。テーマは、家族について。私は、ふと昼休みの会話を思い出した。

「……親の影響、ね。」

呟いた言葉から母親の顔を連想した瞬間、苦い記憶がフラッシュバックし、思わず目を瞑った。
深呼吸をして

「大丈夫。これまで通り、真面目にやっていけば、何も言われない。誰も、お母さんと私を重ねない。そして、評価が上がれば推薦もらえて、ここを出て行ける可能性だってある。だから、これからも……大丈夫。きっと大丈夫。」

と、私は必死に自分に言い聞かせた。そして、私は自分の頬を叩き、嘘ばかりの英作文を完成させた。


そして、また同じ朝を迎える。
いつも通り準備をして“優等生”を完成させ、学校へと出荷させる。

「いってきます。」

これが、私の毎日だ。