地元の高校生のたまり場にもなっているファミレスで、決起会は始まった。美由希の微妙な計らいで勇也の隣に座った私だったけど、美由希の優しさにも、勇也の隣に座ったことにも戸惑いしかなかった。

 ミーティングのような雑談が進む中、交わされる話が全く耳に入ってこなかった。ここにいることが間違っている気がして、居心地の悪さに押されるように、私は立ち上がった。

「ごめん、ちょっと用事を思い出した」

 みんなが注目する中、無理矢理笑顔を作っていいわけを口にする。そんな私を不思議そうにみんなは見ていたけど、とりあえず荷物を手にドアへと向かった。

「千夏ちゃん」

 心配した表情で追いかけてきたのは、美由希だった。ふりむいた瞬間、ずいぶんと長い間美由希とまともに向かい合ってなかった気がして、私は美由希の手を引いて外に出た。

「千夏ちゃん、なにかあったの?」

 私にきづかいながらも心配してくれる美由希の声には、素直で一途な気持ちしかなかった。

「美由希ちゃん、私ね、今度の大会で北陵に勝つためにどうするかずっと考えてたの」

 久しぶりに美由希と向かい合ったこともあり、私はぐちゃぐちゃにかき乱されている胸の内を吐き出すように口を開いた。

「でもね、私が勝つという意味は、チームとして勝つんじゃなくて、私自身が北陵に勝つという意味なの。その違い、美由希ちゃんならわかるよね?」

 私の問いに、美由希が控えめにうなずく。それだけで、美由希も私の考えが自分勝手なことだと思っていることがわかった。

「チームで勝つのが本当なんだろうけど、私にはどうしても譲れない理由があったんだ」

「理由?」

「そう。私ね、どうしても勇也に認めてもらいたいの」

 思いきって吐き出した言葉に、美由希の顔が固まるのがわかった。お互い、口には出さないだけで、二人とも勇也を好きになっていることはわかっていた。

 だから、私は今はっきりと美由希に伝えた。なぜかはわからないけど、今言っておかないといけない気がして、焦りに似た衝動に任せるように自分の気持ちを美由希に告白した。

「でもね、今はよくわかんないの」

「え?」

「私のやっていることが本当に正しいのかどうか知るために、確かめる必要があるの」

 だから、今日の決起会を抜け出すと伝えると、美由希は動揺しながらも笑顔を浮かべてうなずいてくれた。

「千夏ちゃんなら、きっと答えにたどり着けると思うよ。その答えがどんなものだとしても、私は応援するから」

「美由希ちゃん、ありがと」

 出会った時から変わらない美由希の優しさを久しぶりに感じた私は、自然と美由希の手を握りしめていた。

「じゃ、行ってくるね」

 ぎこちなさは残るものの、わだかまりが少しだけとけたような気がした私は、美由希に手をふって秀人のいない競輪場へ向かうことにした。


 ◯ ◯ ◯

 なんとか最終の決勝戦に間に合った私は、私を見つけて喜ぶおじいちゃんのもとへ向かった。ひょっとしたらと思ったけど、やっぱり秀人の姿はどこにもなかった。

 決勝戦が始まる前の興奮した空気の中、急に秀人がいないことの寂しさと不安に包まれた私は、とりあえずおじいちゃんたちの予想座談会に参加することにした。

 決勝戦は、三人一組の三つのラインで戦う三分戦で、オーソドックスな形式なだけに、ラインの絆が問われる戦いになる。そのため、人気も分かれていて、地元の花形選手はもちろん、嶋田さんが勝てるかどうかも油断できない状況だった。

「おじいちゃん、このレースどうなるの?」

 気持ちが落ち着かない私は、予想で盛り上がるおじいちゃんに無理矢理問いかけた。

「このレースは、嶋田の同期でライバルの選手もラインの先頭を走るからな。まあ、嶋田次第だが、どっちが先行するかで展開は変わってくる」

「でも、先行しちゃったら優勝は無理なんでしょ?」

「そうだな。嶋田が同期とやりあえば、最後まではもたないだろう。嶋田の同期も後ろに優勝候補を背負ってるから引くに引けんだろうし、そうなればあとは嶋田の気持ち次第になるだろうな」

 おじいちゃんがレースのポイントをかいつまみながら、淡々と説明していく。このレースの最大の焦点は、嶋田さんが自分の勝ちにこだわるか、ラインの中から優勝者を出すための役割に徹するかにあるみたいだった。

 私の中では、嶋田さんに優勝してもらいたい気持ちが強かった。余命わずかなお母さんのために、優勝した姿を見せて恩返ししたいという嶋田さんの気持ちを優先させてもいいと思っていた。

「おじいちゃんたちの予想はどっちなの?」

 どうなるか気になった私は、おじいちゃんたちの予想を聞いてみる。おじいちゃんたちの中に嶋田さんが優勝すると予想した人はいないどころか、三着以内にも残れないと予想した人がほとんどだった。

 不穏な空気と熱気と興奮が漂うなか、いよいよ決勝戦が始まった。スタートラインで構える嶋田さんに迷いはなさそうで、私は両手で祈りながら嶋田さんの走りを追いかけた。

 静かに始まる攻防。残り二周から前に出た嶋田さんが、後ろから来るライバルににらみをきかせていく。このままライバルを前に出せば、嶋田さんは絶好の四番手を確保することができそうだった。

 ――え?

 エールを送りながら両手を握りしめた瞬間、異様な光景に私は体が固まってしまった。

『嶋田の野郎、突っ張りやがった!』

 冷めた目で見ていたおじいちゃんたちのテンションが、一気に上がっていくのが伝わってくる。それもそのはず、真ん中のポジションをとるタイミングで、嶋田さんはライバルを前に出させないように一気にスピードを上げたのだ。

「おじいちゃん、嶋田さんは――」

「ああ、嶋田の奴、自分の勝ちを捨ててラインで勝ちに行くみたいだな」

 動揺する私とは反対に、冷静な眼差しでレースを見守るおじいちゃん。けど、他の人たちと同じように興奮した気配は隠しきれていなかった。

 ――嶋田さん、優勝した姿をお母さんに見せたかったんじゃないの?

 猛然と前をキープする嶋田さんの姿に、私は自分の胸の中でなにかがゆれ動くのを感じていた。

 けど、それがなにを意味しているのかはわからなかった。ただ、焦りに似た衝動のようなものが胸の中をつきぬけていくような感覚だった。

 レースは鐘の音を迎え、最後の位置取りをめぐって白熱していく。一度は後ろに下がったライバル選手も、負けられないとばかりに再び嶋田さんに襲いかかっていった。

 残り一周を迎えたところで、嶋田さんとライバルが激しくやりあうことになった。前に出たいライバルと、前に出させない嶋田さんが二つ並んでもがきあっていく。互いに引けない同期対決は、嶋田さんがライバルを前に出させない形で決着を迎えた。

 同時に、観覧席からわきあがる大歓声。これまでヤジばかりだったのが一転して、嶋田さんを応援する声に変わっていった。

 そんな声援を背にして、嶋田さんはがむしゃらに先頭を走っていく。このままゴールして欲しかったけど、現実はやはり甘くはなかった。

 残り半周で明らかにスピードが落ちた嶋田さんを、後ろから来たラインが追い抜こうとする。その動きに合わせて、嶋田さんの後ろにいた花形選手も一気にスパートしていった。

 濁流にのまれる木葉のように、後退していく嶋田さん。あまりにも過酷な現実に胸が苦しくなった私は、レースをまともに観ることもできなくなっていた。

 そんな私をよそに、会場の興奮はマックスに達し、大声援が降り注ぐ中で花形選手が一着でゴールしていった。

 ――え?

 呆然としたままコースを流していく選手を見つめていると、思いもしなかったことが観覧席で起こり始めた。

『嶋田、ありがとう!』

『嶋田、よくやった!』

 昨日までのヤジとは違い、嶋田さんにささげられる拍手と称賛の声。結果は八着だったのに、まるで優勝したかのように、ファンの人たちは惜しげもなく嶋田さんを褒め称えていた。

「千夏、どうだったか?」

 レースが終わり、コース上では優勝した選手のインタビューの準備が始まっていた。その様子をただ眺めていた私に、おじいちゃんが満足気な笑みで声をかけてきた。

「よくわらかないけど、嶋田さん、本当にこれでよかったの? お母さんに優勝した姿を見せたかったはずだよね?」

「嶋田のおふくろさんのことを考えたら、嶋田は優勝したかっただろうな」

「だったら、どうして?」

「その答えは、あそこにある」

 一度うなずいたおじいちゃんが指さした先には、優勝した選手とインタビューする人が並んでいた。おじいちゃんに促されてインタビューを聞いていた私は、その受け答えに胸の奥になにかが突き刺さるような衝撃を受けた。

『優勝できたのは、ラインの力のおかげです。特に嶋田のがんばりがあったからこそ、優勝できたと思います』

 開口一番、優勝した選手が褒め称えたのは嶋田さんのことだった。しかも、優勝したのは自分の力ではなくラインのおかげと断言していた。

 迷いなく胸を張って答えるその姿に、私の中でなにかが変わっていこうとしているのを感じた。

「千夏、これがチームプレイというもんだ。嶋田は、地元の花形を勝たせる為に走った。確かに嶋田は勝つことはできなかったが、優勝した選手からお前のおかげと言われることは、先行選手としては最高の誉れでもある。だから、嶋田はレースには負けたがラインの勝負には勝ったんだ。勝負には、必ずしも一着が勝ちとは限らないこともあるんだぞ」

 アドバイスの締めくくりみたいに、おじいちゃんが満面の笑みで大切ななにかを語ってくれた。私にはまだよくわらなかったけど、嫌でも高鳴る鼓動が私の中で気持ちを高ぶらせていた。

 ――嶋田さん、おつかれさまです

 控え室に消えていった嶋田さんの見えない背中に、心の中でねぎらいの言葉をかける。

 あの日、偶然のきっかけで知ることになった嶋田さんは、最後の最後に大切ななにかを私に教えてくれたような気がした。