翌日の準決勝戦でなんとか三着以内に入った嶋田さんは、無事に決勝戦へと進んだ。もちろん、勝ち方には相変わらず辛辣なヤジがつきまとっていたけど、嶋田さんは気持ちがふっきれたかのように、堂々と先行勝負を避けて勝ちにいっているように見えた。

 このまま優勝してもらいたい気持ちがあるけど、おじいちゃんによるとそう甘くはいかないらしい。決勝戦は、各レースを勝ち上がってきた強者たちが競い合うだけに、これまで以上にラインの絆が問われるという。

 特に、嶋田さんがラインを組むのは地元の先輩であり優勝候補でもある花形選手だ。ファンの期待も花形選手に集中しているだけに、嶋田さんの重圧がすごいのも予想できた。

 今日は昼過ぎに練習が終わるから、その後に秀人と決勝戦を観に行くことにしていた。相変わらずバトンパスはうまくいかないけど、嶋田さんのおかげで少しずつふっきれてきたことで、徐々にタイミングが合ってきたような感触もあった。

「千夏、これから予定ある?」

 練習の終わり間際、最後の調整を終えたところで、まさかの勇也から声をかけられた。

「え? どうしたの急に」

 いやでも裏返りそうになる声を咳払いでおさえつけ、冷静さを極力保つ。この後予定はあったけど、まずは勇也の誘いの内容を確かめることにした。

「陸上部のみんなで決起会みたいなことをしようと話があってね。千夏も参加するよな?」

 柔らかい笑みを浮かべた勇也の言葉に、瞬間的に胸が高鳴りだしていく。陸上部のみんなというのが引っかかったけど、勇也に誘われて断る理由はなかった。

「あ、秀人はなにか言ってなかった?」

「秀人は用があるから来れないって。せっかくだからと粘ってみたけど、どうしても外せない用があるって言ってた」

 ちょっと不思議そうに首を傾げながら語る勇也の言葉に、かすかなざわめきと痛みが同時に胸に広がっていく。秀人を誘ったのは私だっただけに、罪悪感がおもりのように肩にのしかかってきた。

「私は大丈夫かな」

 一瞬迷ったけど、勇也に誘われた嬉しさが勝るように、私は二つ返事で誘いにのった。秀人も私が行かないとわかれば決起会に来るかもしれないし、競輪の結果はおじいちゃんに聞けばすむことだった。

「じゃ、また後で」

 コートの後片付けに戻っていく勇也に手を振りながら、おさえきれない喜びで、顔が真っ赤になっているのがわかるくらいに全身が火照っていた。

 ――秀人にちゃんと伝えておこう

 急いで制服に着替え、集合場所の校門前に行く途中で秀人の姿を探した。けど、どこにも姿は見つからず、男子部員にそれとなく聞いたところ、秀人はまだ部室でシューズの手入れをしているみたいだった。

 なんとなく気まずい気持ちのまま、男子の部室へと急いで向かう。開き戸のドアが半分開いたままの部室には、秀人が一人残っていた。

 ――大丈夫、秀人なら笑って許してくれる

 ドアの陰で一息つき、声をかけようとした時だった。

『ったく、本当に情けないよな』

 不意に聞こえてきた秀人の声。今まで聞いたことのないような弱く震えた声に、私の体は硬直したまま動けなくなった。

『ほんと、勇也には勝てないよな。陸上でも、千夏のことでも』

 ぎこちなくドアの隙間から覗くと、床に座り込んでうなだれた秀人が、頭を抱えたまま辛そうにぼやいていた。

 ――え? ちょ、どういうこと?

 聞こえてきた声に戸惑いながらも、必死に頭の中で秀人の言葉を整理する。秀人は陸上だけでなく、私のことでも勇也に負けたくないと言っている。単純だけど、そこから導きだされるのは一つしかなかった。

 ――秀人は、私を好きってこと?

 不意に判明した事実に、一気に頭がくらくらしてきた。近くで鳴いていたセミの音が遠くに聞こえ、降り注ぐ日射しとは別の熱さが、全身を急速に包んでいった。

『勇也には、千夏だけはとられたくなかったのに、俺はなにをやってんだろうな』

 脱いだシューズを床に叩きつけながら、叫ぶように呟いた秀人の言葉が胸に突き刺さってくる。顔を上げた秀人の頬に光るモノを見た瞬間、私は気づくとあとずさりしていた。

 宙に浮くような感覚の中、ふらふらとみんなが待つ校門前に向かう。秀人は、私が予定をキャンセルしたことを知っていた。たぶん、私が秀人よりも勇也を優先したと思っているだろう。

 それは事実として間違いなかった。私の気持ちは勇也にあるから、勇也の誘いにのっただけの話だ。

 でも、なんでだろう?

 さっきまではステップ踏むような嬉しさしかなかったのに、今は戸惑いと遅れてきた罪悪感で、踏み出す足が重くてしかたなかった。