夕食の後、座敷でくつろぐおじいちゃんのところへ向かった。おじいちゃんは、小さい頃から私に対して激甘で、お父さんやお母さんが反対するようなことも裏でこっそりサポートしてくれるような人だ。

 小柄が多い長谷川家で、唯一巨体のおじいちゃんが新聞を手にお茶をすすっている。そのテーブルについて今日のことを話すと、おじいちゃんは眼鏡をはずして目を細めた。

「競輪選手とは思うが、そうだ千夏、ネットに選手のプロフィールがあるから調べてみてくれ」

 スポーツ新聞を折りたたみながら、おじいちゃんがあれこれ指示を出し始める。おじいちゃんは根っからの競輪好きだから、まさか私が競輪ネタを持ってくるとは思わなかっただけに、やけに嬉しそうだった。

「あ、この人!」

 ネットを検索すること数分、めくり続けたブロフィールの中についにあの人を見つけた。

「おお、こいつは地元の新鋭、嶋田英明じゃないか。千夏、お前本当に嶋田に会ったのか?」

 さらにテンションが上がったおじいちゃんが、スマホに映る嶋田英明選手を見て笑みをこぼした。

「間違いないよ。ていうか、この人すごい人なの?」

「すごいどころか、地元期待のエースだぞ」

 うんうんとうなずきながら、おじいちゃんが勝手に納得していく。私にはさっぱりだから、おじいちゃんの興奮する理由がわからなかった。

 ――二十七才なんだ

 ブロフィールに載る情報に目を戻し、一つ一つ確認していく。年齢と地元出身ということ以外は、載っている情報はよくわからなかった。

「おじいちゃん、嶋田さんてどれだけすごい人なの?」

「すごいってもんじゃないぞ。無傷でS級に特昇したぐらいのエリートだからな。地元じゃSSになるのは間違いないと期待されているんだぞ」

 興奮したまま語るおじいちゃんだったけど、なにを言ってるのかさっぱりわからなかった。とりあえず普段あまり感情を出さないおじいちゃんのテンションが爆上がりだから、すごい選手ということだけはなんとなく伝わってきた。

「でも、そんなにすごい選手なのに、なんであんなに思い詰めた表情してたんだろう」

「それは、嶋田にとっては次の地元記念レースで結果を出したいからだろうな」

「結果?」

「競輪選手はな、結果が全てなんだ。その結果は全て競争得点という形で表され、点数次第ではどんどんランクが下がっていくようになってる。だから、結果を残せていない嶋田にとったら、次の記念レースで返り咲きたい想いがあるんじゃないのか」

 笑顔だったおじいちゃんが、一転して渋い表情で湯飲みに手を伸ばす。いまいちピンとこないけど、嶋田さんはすごい人だけど成績があまり良くないらしい。

「嶋田は、S級に上がってから落車のアクシデントが続いてな。それで、最近は思うような成績が残せていないんだ。同期やライバルたちにどんどん先を越されているから、内心、焦りもあるのかもしれん」

 おじいちゃんいわく、競輪というレースには落車がつきもので、怪我によってなかなかステップアップできない人もいるという。

 ――だから、あんなに思い詰めた表情してたんだ

 ようやく見えてきた謎の答え。嶋田さんがあの時見せた表情の裏側には、次のレースに向けた意気込みや今の自分に対する焦りがあったということだった。

「ところで千夏、リレーはうまくいってるのか?」

 謎が解けてなんとなくしんみりしていたところに、腕を組んだおじいちゃんが意味深に尋ねてきた。

「全然かな。前に話したとおり、バトンパスがうまくいかなくなって苦労してるよ」

 おじいちゃんの思惑を探りながら、今の状況を説明する。おじいちゃんは、私が小さい頃からなにかある度に色んなアドバイスをくれてきた。今回もなにかアドバイスをと期待していたけど、今のところおじいちゃんからアドバイスらしきものはなかった。

「だったら、一緒に観に行くか?」

「観るって、まさか競輪のレース?」

「そうだ。今週に開催される地元記念レースで嶋田が走るから、嶋田を応援するといい」

 なにかアドバイスをくれるのかと思った矢先、出てきたのは単なるレース観戦の誘いだった。

「あのね、来週末には大会が始まるんだよ。そんな大切な時期に競輪なんか観てられないよ」

 おじいちゃんの提案に、隠すことなく不満をぶつける。バトンパスがうまくいかなくて悩んでいる孫に、アドバイスどころか競輪を観に行けと言うあたり、おじいちゃんはあまり私のことを心配していないのかもしれなかった。

「リレーはチームで走るもんだろ? 競輪もチームプレイだから似たようなもんだ」

「え? 競輪ってチームプレイなの?」

 おじいちゃんの意外な話に、私は呆れていた気持ちを切り替えておじいちゃんに食いついた。

「競輪はな、ラインと呼ばれるチームを組んで戦う競技なんだ。その激しさから、バンクの上の格闘技とも呼ばれることもある。そんな過酷なレースで勝利するには、なんといってもラインの絆がものをいうんだ」

 いつの間にか真顔になったおじいちゃんが、さとすように説明する。気づかなかったけど、どうやら競輪の観戦がおじいちゃんなりのアドバイスになるようだった。

「ラインの絆?」

「そうだ。リレーも、チームの絆が大切だろ? チームのメンバーがそれぞれの役割をしっかりやることで勝利する点は、競輪も同じだ。だから、プロの絆がどういうものかを感じるのもありだということだ」

 じっと見つめてくるおじいちゃんの瞳が、真っ直ぐに私を射ぬいてくる。その瞳は、バトンパスがうまくいかない原因が私にあることを、確実に見抜いているみたいだった。

「わかった、ちょっと考えてみる」

 おじいちゃんの瞳に威圧されて、私は渋々提案を考えてみることにした。本当は、最後の大会で悔いが残らないようにリレーの練習に集中したかったけど、なんとなくプロの絆というものに興味がわいていたことで、はっきりと断ることができなかった。

「詳しいことは現地で教えてやるから、心配せずに楽しむといい」

 なぜかしてやったりの顔で、おじいちゃんが声を弾ませる。その様子に、本当はアドバイス目的ではなく、単に孫とのデートを楽しみたいだけのような気がしてきた。