高校最後の夏の大会は、穏やかな晴天に恵まれることになった。順調に勝ち進んだ私たちは、予想通りに決勝戦でライバルの北陵学園とぶつかることになった。
「秀人!」
決勝戦が始まる前、私は秀人の姿を探していた。秀人の気持ちを知ってからちょっとぎこちなかったけど、最後の戦いの前にどうしても声をかけておきたかった。
「なんだ? 慰めならいらないぞ」
「そんなこと、私がすると思う?」
控え室の離れた場所にいた秀人は、最後の戦いで勇也に敗れたばかりだった。気落ちしているかと思ったけど、意外とすっきりとした表情を浮かべていた。
「やれることはやって負けたんだから、悔いはないさ」
「そう、よかった。なら、しっかり私を応援してよね」
「あ? なんだよいきなり」
「だから、私の最後の走りをちゃんと見ておいてほしいの」
だるそうに受け答えする秀人に渇を入れ、私の望みを伝える。これまで私が走る時には、いつも秀人が傍にいてくれた。だから、今日のレースだけは絶対に秀人に見ていてほしかった。
「ったく、わかったよ。けど、代わりに条件がある」
「なに?」
「勝てよ、北陵に。絶対にだぞ」
ようやくいつもの笑みを浮かべた秀人が、私にエールを送ってくる。その言葉に深くうなずいた私は、気合いを入れて最終決戦へと向かっていった。
◯ ◯ ◯
晴れた空から降り注ぐ光に目を細目ながら、最後のレースが始まるのを静かに待つ。決勝戦に残ったのは六校で、どのチームも実力に差はなかった。
そのため、勝敗を分けるのはバトンパスにかかっていた。そのバトンパスも、完璧とは言えないけど、前の感覚に近いところまでうまくいくようになっていた。
トクンと一つ心音が跳ねたところで、決戦の火蓋となる号砲がトラックに響き渡る。第一走者が一斉にスタートしたと同時に、スタンドから各学校の応援が大歓声となって降り注いできた。
――よし、いけるよ!
序盤の戦いは、想定通りに二着で美由希にバトンが渡った。ここからは、前を走る北陵学園のエースにどれだけ離されないかが、今後のレースのキーポイントになっていく。
――美由希ちゃん……
予想では、ある程度の差が開くことは覚悟していた。けど、目の前の光景に、私の鼓動は一気に加速していった。
美由希は、負けていなかった。北陵学園のエースに離されないようにと、必死の形相で北陵学園のエースの背中にくらいついていた。
『美由希は、夜も一人で練習している』
不意に甦る秀人の言葉。その言葉通り、今日のレースのために誰よりも努力し続けてきた美由希が、今、自分の役割を懸命に果たそうとしていた。
美由希の役割は、北陵のエースにできるだけ離されないこと。そこには美由希自身の勝ち負けはなく、もちろん、美由希自身も勝ちを望んでいなかった。
ただ、美由希は自分の役割だけを忠実に守っている。その力強い意志の裏には、チームで勝つことに貢献したい美由希の純粋な気持ちが見えていた。
――この差なら、バトンパスさえうまくいけば北陵に勝てるかも
想像以上の美由希のがんばりによって、北陵学園との差はほとんどなかった。このままアンダーパスをきめることができれば、北陵学園を追い抜くことができそうだった。
突如訪れた勝利のチャンスに、息苦しいほどの緊張が体を包んでいく。アンダーパスが完璧にはできていないだけに、失敗したら私が勝つどころかチームとしても北陵学園に敗れる可能性もあった。
――どうする?
徐々に近づいてくる美由希の姿に、鼓動もピッチが上がっていく。アンダーハンドパスかオーバーハンドパスか。決断の時までに、もう一刻の猶予もなかった。
『絶対に北陵に勝とうね』
決断を下す寸前だった。
美由希のラインの言葉が頭をよぎった瞬間、その言葉に背中を押された私は、迷いを捨てて前傾姿勢のまま右手を後ろに大きく振り上げた。
私が選択したのはオーバーハンドパス。善戦してくれた美由希の不安を払拭してやりたい気持ちと、自分の役割に徹した嶋田さんの背中が、私にオーバーハンドパスを選択させた。
『あとは任せるね』
完璧なタイミングでバトンが渡された時、そんな声が聞こえた気がした。不安定な姿勢からのスタートダッシュは、流れるようにアンダーハンドパスを決めた北陵学園と差をつけられてしまったけど、私はおかまいなしに全力で走りだした。
目の前には大きく伸びたカーブ。バランスを取りながら、スピードダウンを最小限におさえるコースを見極めていく。北陵学園と差をつけられたけど、縮めることは可能だった。
――絶対に追いついてみせるから!
大声援が遠くに聞こえる中、私はただひたすら北陵学園の背中を追いかけた。この後のアンカー対決で北陵に勝ってくれることだけを信じて。
――嶋田さん、私、やっとわかった気がするよ
徐々に北陵学園との差を詰めながら、頭の隅で嶋田さんの最終レースの走りを思い出した。
ラインから優勝選手を出すために、ひたすら役割に徹した嶋田さん。きっと嶋田さんも、今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。
私を最後に突き動かしたもの。
それは、打倒北陵を目標に頑張ってきた仲間との絆だった。
『あとは任せた!』
心の中で叫びながら、ジャストのタイミングでバトンを渡す。北陵学園との差は僅差まで詰め寄ったから、最後はアンカーに全てを託すことになった。
全ての力を使いきった私は、息を落ち着かせるのも忘れて勝負の行く末を見守った。
最終決戦は、北陵学園との一騎討ち。
両膝に手を置いたまま、役割をやりきった気持ちもそっちのけで、ただゴールだけを見続けた。
景色が、一瞬で淡く滲んでいくのを感じた。
大声援が、遠くに聞こえるように意識から薄れていった。
全てがスローモーションで進んでいく中、打倒北陵の想いを込めた私たちのバトンは、チームの絆の力を示すかのように、一着でゴール線上をかけ抜けていった。
「秀人!」
決勝戦が始まる前、私は秀人の姿を探していた。秀人の気持ちを知ってからちょっとぎこちなかったけど、最後の戦いの前にどうしても声をかけておきたかった。
「なんだ? 慰めならいらないぞ」
「そんなこと、私がすると思う?」
控え室の離れた場所にいた秀人は、最後の戦いで勇也に敗れたばかりだった。気落ちしているかと思ったけど、意外とすっきりとした表情を浮かべていた。
「やれることはやって負けたんだから、悔いはないさ」
「そう、よかった。なら、しっかり私を応援してよね」
「あ? なんだよいきなり」
「だから、私の最後の走りをちゃんと見ておいてほしいの」
だるそうに受け答えする秀人に渇を入れ、私の望みを伝える。これまで私が走る時には、いつも秀人が傍にいてくれた。だから、今日のレースだけは絶対に秀人に見ていてほしかった。
「ったく、わかったよ。けど、代わりに条件がある」
「なに?」
「勝てよ、北陵に。絶対にだぞ」
ようやくいつもの笑みを浮かべた秀人が、私にエールを送ってくる。その言葉に深くうなずいた私は、気合いを入れて最終決戦へと向かっていった。
◯ ◯ ◯
晴れた空から降り注ぐ光に目を細目ながら、最後のレースが始まるのを静かに待つ。決勝戦に残ったのは六校で、どのチームも実力に差はなかった。
そのため、勝敗を分けるのはバトンパスにかかっていた。そのバトンパスも、完璧とは言えないけど、前の感覚に近いところまでうまくいくようになっていた。
トクンと一つ心音が跳ねたところで、決戦の火蓋となる号砲がトラックに響き渡る。第一走者が一斉にスタートしたと同時に、スタンドから各学校の応援が大歓声となって降り注いできた。
――よし、いけるよ!
序盤の戦いは、想定通りに二着で美由希にバトンが渡った。ここからは、前を走る北陵学園のエースにどれだけ離されないかが、今後のレースのキーポイントになっていく。
――美由希ちゃん……
予想では、ある程度の差が開くことは覚悟していた。けど、目の前の光景に、私の鼓動は一気に加速していった。
美由希は、負けていなかった。北陵学園のエースに離されないようにと、必死の形相で北陵学園のエースの背中にくらいついていた。
『美由希は、夜も一人で練習している』
不意に甦る秀人の言葉。その言葉通り、今日のレースのために誰よりも努力し続けてきた美由希が、今、自分の役割を懸命に果たそうとしていた。
美由希の役割は、北陵のエースにできるだけ離されないこと。そこには美由希自身の勝ち負けはなく、もちろん、美由希自身も勝ちを望んでいなかった。
ただ、美由希は自分の役割だけを忠実に守っている。その力強い意志の裏には、チームで勝つことに貢献したい美由希の純粋な気持ちが見えていた。
――この差なら、バトンパスさえうまくいけば北陵に勝てるかも
想像以上の美由希のがんばりによって、北陵学園との差はほとんどなかった。このままアンダーパスをきめることができれば、北陵学園を追い抜くことができそうだった。
突如訪れた勝利のチャンスに、息苦しいほどの緊張が体を包んでいく。アンダーパスが完璧にはできていないだけに、失敗したら私が勝つどころかチームとしても北陵学園に敗れる可能性もあった。
――どうする?
徐々に近づいてくる美由希の姿に、鼓動もピッチが上がっていく。アンダーハンドパスかオーバーハンドパスか。決断の時までに、もう一刻の猶予もなかった。
『絶対に北陵に勝とうね』
決断を下す寸前だった。
美由希のラインの言葉が頭をよぎった瞬間、その言葉に背中を押された私は、迷いを捨てて前傾姿勢のまま右手を後ろに大きく振り上げた。
私が選択したのはオーバーハンドパス。善戦してくれた美由希の不安を払拭してやりたい気持ちと、自分の役割に徹した嶋田さんの背中が、私にオーバーハンドパスを選択させた。
『あとは任せるね』
完璧なタイミングでバトンが渡された時、そんな声が聞こえた気がした。不安定な姿勢からのスタートダッシュは、流れるようにアンダーハンドパスを決めた北陵学園と差をつけられてしまったけど、私はおかまいなしに全力で走りだした。
目の前には大きく伸びたカーブ。バランスを取りながら、スピードダウンを最小限におさえるコースを見極めていく。北陵学園と差をつけられたけど、縮めることは可能だった。
――絶対に追いついてみせるから!
大声援が遠くに聞こえる中、私はただひたすら北陵学園の背中を追いかけた。この後のアンカー対決で北陵に勝ってくれることだけを信じて。
――嶋田さん、私、やっとわかった気がするよ
徐々に北陵学園との差を詰めながら、頭の隅で嶋田さんの最終レースの走りを思い出した。
ラインから優勝選手を出すために、ひたすら役割に徹した嶋田さん。きっと嶋田さんも、今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。
私を最後に突き動かしたもの。
それは、打倒北陵を目標に頑張ってきた仲間との絆だった。
『あとは任せた!』
心の中で叫びながら、ジャストのタイミングでバトンを渡す。北陵学園との差は僅差まで詰め寄ったから、最後はアンカーに全てを託すことになった。
全ての力を使いきった私は、息を落ち着かせるのも忘れて勝負の行く末を見守った。
最終決戦は、北陵学園との一騎討ち。
両膝に手を置いたまま、役割をやりきった気持ちもそっちのけで、ただゴールだけを見続けた。
景色が、一瞬で淡く滲んでいくのを感じた。
大声援が、遠くに聞こえるように意識から薄れていった。
全てがスローモーションで進んでいく中、打倒北陵の想いを込めた私たちのバトンは、チームの絆の力を示すかのように、一着でゴール線上をかけ抜けていった。