七月の最終日。自分の部屋にこもり、どのようにみんなで反撃するかを考えた。まずはみんなに勇気を持ってもらうことが最優先だった。
 真剣に悩んでいると、玄関から「いってきます!」と優香の声が聞こえてきた。

 リビングに降りて行き、母に優香がどこへ行ったかを聞いた。
「優香なら、公園で瑠夏ちゃん達と遊ぶって」
 当然石神の件だけでなく、優香を守らなくてはならない。
「僕も友達と遊んでくるね」
 母にそう言い、優香の現在の状況を確認しに出かけた。

 この頃、優香が誰と遊び、何をしているのかは知らない。もしかするともう既に、いじめの原因が生まれているのかもしれない。

 いじめとは曖昧なものだ。自覚していないだけで、弄いじりや悪口などは発生している可能性があった。

 優香は、校外学習の時に行った公園に出かけたらしい。僕が通っている小学校の生徒は、大体がその公園で遊んでいる。
 近くにある小さなスーパーに立ち寄り、飲み物を買ってから優香を見張ることにした。

「愛斗君」
 聞き覚えのある声で、話しかけられる。
「美来さん。なにしてるの?」
「買い物」
「そりゃそうだよね」
 少し気まずかった。校外学習のあの日以来、ほとんど会話をしていない。
「愛斗君は?」
「買い物」と答えようと思ったが、なぜだか美来に、これからすることを話したくなった。
「妹がどんな友達と遊んでるのか気になってさ。今から見に行くんだよ」
 美来はそれを聞くと、一歩引いて眉間に皺を寄せた。
「いや、悪い友達と遊んでないかなって」
 両手を胸の前で左右に振り、慌てて理由を説明する。
「妹さんとは仲良いの?」
「もちろんだよ」
 美来はそれを聞くと何かを迷い始めた。数分経ってから、美来が口を開く。
「私も行っていい?」
「え?」

 結局、僕らは二人で見張る事になった。美来は、また帰りに立ち寄ると言って買い物はせず、二人分の飲み物だけを買って、公園へ向かう。
 美来と散歩をするのは二回目だ。前回は石神の話をしながら歩いていた。美来は最後に「怖いのは必要だ」って言っていたけど、あの答えはまだ出ていない。

「愛斗君は変わった人だね」
 今回は美来が先に話しかけてくれた。
「心配なだけだよ」
「何が心配なの?」

 前回話した時もそうだったが、美来は質問が多い。他人の感情を理解するのが苦手なんだろう。といっても二十六歳が考えてることなんてわからないか。

「悪い男についていったり、誰かに仲間はずれにされたりするかもしれないだろう」
「それは心配だね。確認しなきゃ」
 美来は優香に興味があるようだった。
「愛斗君は、以前と違う人みたい」
「そうかな?校外学習から、まだ三ヶ月しか経ってないよ」
「ううん、もっと前よりってこと。前はあんまり考えてなさそうだったから」

 美来とこうやって話すのは、初めてのはずだ。三年生と四年生の時に、確か同じクラスだったと思うのだけど、話した記憶はない。だが今の美来の発言は、以前の僕と話したような口ぶりだった。
「あはは、確かに。でも、石神のクラスなら嫌でもこうなるよ」
 美来は一瞬下を向いた。

「美来さんは、前から大人っぽいよね」

 美来みたいな子はたまに見かける。教師をやっていた最初の年、初めてクラスを持った時にも、こう言うタイプの女の子はいた。その子は、クラスの友達や学校での行事に関心を示さず、いつも違う方向を見ているようだった。その態度が他の子を馬鹿にしているように映ったのか、その子もクラスで馴染めずにいた。

「私たちは、大人だね」
 美来は色っぽく笑っていた。

 公園に着くと、優香は友達と遊んでいた。優香を含めた四人の女の子が、広場に寝転がり、笑い合っている。その中には、いじめの主犯の女の子も、泣きながら家の前で待っていた、瑠夏という少女もいた。
 美来と僕は、遠目からじっと彼女達を見つめていた。

 夏休みの公園は、気温が上がり、立っているだけでも辛いのに、子供達が大声を出してあちこちで遊んでいる。先ほど買った飲み物は、着いたばかりなのに半分ほどになっていた。

 公園の広場で寝転がったあと、優香達は花冠を作り始めた。
 女の子の遊びは次々に代わっていく。男の子の遊び方と、女の子の遊び方は別のものだ。男の子は決められた時間精一杯を使い、一つのことに没頭することが多いが、女の子は、中心の子の号令で遊びをコロコロ変える。周りの女の子はそれに文句も言わないし、楽しんでいるので問題ないのだが、男の子は耐えられないだろう。

 優香を入れた四人の女の子は、シロツメクサで花冠を作り、クリスマスのプレゼント交換のように右隣の子へ渡す。今の状況だけでは、とても一人の女の子を無視したり、仲間はずれにしたりするようには見えない。しかし、実際一年後にそれは行われてしまう。

 教師の目は子供が思っている以上に鋭い。暴力や悪口を察知すると、僕らはそれに焦点を当てる。それが悪ふざけや喧嘩の類なのか、それとも加害者と被害者の「いじめ」という関係になってしまっているのか、後者ならばすぐに仲裁に入る。

 だが、陰湿なものはわからない場合も多々存在する。僕は以前、優香がいじめられた時に、優香の担任を恨んだ。どうして見ていてくれないのか。近くで見ていた先生が、なぜ対処しなかったのか。しかし、先生になって気づいたが、見抜けないものもある。無視や仲間はずれは、生徒達に上手く振る舞われると、大人の先生でも気づくことができない。そして、その陰湿さは、女の子の方が多い気がする。

 考え事をしていると、美来が僕の袖を引っ張った。
「愛斗君は妹を見張って遊ぶの?」
「勘違いだよ。知らないおじさんとか怖いだろう」
 もう一度揶揄われ、慌てて僕は答える。
「過保護」
 やっぱり美来は賢い。それに小学六年生とは思えないほどに大人っぽい。僕は美来と喋っている時、ついつい二十六歳の頃の自分で話してしまっている。

「ねー、妹さんはどれ」
「あれ」
 僕は手を一直線に伸ばし、優香を指差す。美来は照準をあわせるため、僕の手に顔を乗せた。 

「あの赤いTシャツの子?」
「その左のワンピースの子」
 僕がそういうと「あの子ね」と言って少し離れる。
 美来はしばらく観察し、考え込んでいた。そうして数分後に、僕には思いもよらないことを言った。

「愛斗君、妹さんあのグループから抜けた方がいいよ」

「えっ」
 僕は驚き、美来の方に正対する。
「どうして?」
「うーん、赤のTシャツの子いるでしょ。あの子と妹さんは合わないと思うの」

 信じられない。優香をいじめた主犯の子を、美来は見抜いたのだ。
 しかし、僕も先ほどからよく見ているが、今の時点で変わった様子はない。四人とも楽しそうに笑い、仲睦まじい関係に見える。美来はなぜ、彼女らがこれから崩壊することを予想できるのだろうか。

 今度は僕が続けて質問をする。
「どうして合わないと思うの?」
 美来を少し探るように聞いた。
「うーん。それはなんとなく」
 こんな遠くから雰囲気だけで、他人の裏の感情がわかるものなのだろうか。不思議に思っていると、美来が付け足して答える。

「見たことあるの…」

「見たことある」とはどういうことだろう。
 今回も美来の真意はわからなかった。
 そうしてしばらく四人を見ていると、優香が僕らを発見した。他の三人と話した後、優香だけがこちらに向かってくる。

「お兄ちゃん。あ、初めまして優香です」
 優香が美来に自己紹介をする。
「初めまして、中島美来です」
 美来も丁寧に頭を下げる。
「お兄ちゃんの友達ですか?」
 優香は美来に聞く。それには僕が答えた。
「そうだよ。今年から仲良くなってさ」
「お兄ちゃん最近、楽しそうだもんね」
 優香は美来を見ながら笑った。
「みんな待ってるから戻るね!」
 僕と美来は手を振り、優香は遊びに戻っていった。

「楽しく、遊んでると思うけど」
「うん。だけど、やっぱり、あの子とは合わないと思う」
 その時に見せた美来の表情は、どこかで見たことのあるものだった。

 そのあと僕らは、もう一度スーパーへと戻り、美来の買い物を手伝った。今日は美来が、お母さんに料理を教えてもらう日だったらしい。
 美来のご両親は共働きで、買い物は美来が担当しているそうだ。
 買い物を終え、美来の家まで送っていくことにした。かなりの量の荷物だったので、半分ほど請け負った。こんな荷物をいつも一人で持って帰っていると思うと心許なかった。

「今日はありがとう」
 家の前でお礼を言われた。
「こちらこそ。変な遊びに付き合わせてごめんね」
 僕がそういうと、美来は嬉しそうに笑う。
 スーパーから美来の家まで、僕らはたわいもない話をした。今日の夕飯のメニューや、優香が好きな物の話だ。公園での話はしなかった。
 最後に、僕がずっと気になっていたことを聞いた。

「怖いのが必要ってどう言うこと?」
 今日は僕の方が質問ばかりしている。
 
 しばらく考えた後、美来は悲しい表情で言った。
 
「みんな、大人じゃないから」

 その美来の顔を見て、僕はそれ以上聞くことができなかった。
 最後に美来は、僕の顔をじっと見詰めて、不安な表情を浮かべ忠告した。
「愛斗君、気をつけてね」
「何が」って聞き返そうとする前に、美来は「帰り」と言った。

 夏休みに美来と会うのは、この日が最後になった。