「起きなさいよ!」耳を劈くような金切り声が聞こえた。
瞼を薄っすらと開くとそこには豪華なドレスに身を包んだ女性がおり、般若の如き形相で睨んでくる。
何事だろう…
とエラは思った。
別に怒鳴られることはいつものことだが、まだ起きる時間ではない。
ふと窓を見るとまた空は暗く、日が昇る気配は無かった。
そんなことを考えていると、バシィと張りのある音がした。
エラは布団(と言うには雑巾の方が近いかもしれない)から転げ落ち、床に叩きつけられた。
「あぅっ……」
「起きろと言ってるでしょう!このノロマが!」
「申し訳ございません。」
エラは急いで土下座をする。右の頬が腫れている。おそらく平打ちをされたのだろう。
しかし手当てよりも土下座を優先させたのは、この目の前にいる女性―実の姉シリアの機嫌を損ねないようにするためだった。
「早くお茶を持ってきて!」
「えっ……」と思わず顔を上げた。
しまった。と思ったときには遅く、今度は左頬にも鋭い痛みが走った。
「誰が顔を上げろと言ったの!私に口ごたえするつもり?」
「申し訳ございません。すぐにお茶のご用意をいたします。」
そう言って寝衣の姿のまま荒屋を出て行こうとすると入口で髪を後ろから掴まれ、
「後で覚えてなさいよ。」とシリアが微笑んだ。
しかし目が笑っておらずエラはすぐに意図を察した。
この笑みはエラが折檻され、いつもシリアが嘲笑うときに顔に浮かべているものだったからだ。
今日は、何をされるんだろう…明日のお仕事に支障が出ないといいな。
そんなことを考えてしまうのは折檻が毎日のように繰り返されている証拠であろう。
ふん、と満足したようにシリアはエラの髪を離し 荒屋を出ていった。
エラがソフラディ家に到着したのは、シリアが荒屋を出て行ってから少し後になってしまった。
寝衣から普段着に着替えるのに両頬が痛くて
少々手間取ってしまったからだ。
これ以上遅れたらシリアが黙っていないため、早足で厨房に向かう。
灯りはついておらず無人だった。
それはそうか。とエラは思う。
こんな真夜中にいくらお茶を用意するためとはいえ、彷徨いていたら泥棒と間違われてもおかしくはない。
なにせ今自分が着ている服は、この屋敷に仕えている侍女よりも粗末なお古なのだから。
と、自嘲気味に考えていると背後から
「あれぇ?こんな真夜中に何をしているのかなぁ?無能ちゃん?」
と聞き慣れた声がした。
驚いて振り向くとそこには平凡な顔立ちだが、着ている服はひと目見たら上質なものだと分かる男がいる。
「何かご用でしょうか?ワンテ様?」
この男は、ソフラディ家の次男でありこの国の上位魔力保有者―実の兄ワンテ。
女遊びが激しいことで有名であった。
今までに妊娠させたご令嬢は数知れず、平民の娘にまで手を出したことで有名になっている。
その愚行が許されているのは、ひとえにソフラディ家の後ろ盾があることに他ならない。
しかしこの男は、いつまで経っても遊び呆けており自重する気配が無いので実の父―ソフラディ家当主の悩みの種となっている。
「いやぁ、厨房から変な気配がしたから気になって来たんだよ?」
「そうですか。申し訳ありません。シリア様のお茶のご用意をしておりまして―」
急いでいるので早くここから出て行ってほしい。という意味で言ったのだが遮られた。
「あぁ。シリアからの命令かなぁ?でもこんな時間に厨房へ侵入したら、泥棒だと思われるよぉ?」
先程自分が考えていたことを憑かれてはっとする。
この男は、自分を泥棒に仕立て上げて遊びたいだけなのだ。
「申し訳ございません。しかしこんなお時間に外出から帰宅されたワンテ様は何をしていらっしゃったのでしょうか。」
ワンテは眉間にシワを寄せて、黙り込む。
言えるわけがあるまい。先程までどこぞのご令嬢達と閨で睦み合っていたなど。
エラに知られたらこれから会うシリアに吹き込まれ、当主から叱責を受けるのは目に見えていた。
実際、シリアはエラの話など耳を傾けたことなどないのだが、そうとは知らないワンテはエラの思惑通りに思考したようだ。
「ふん、まぁいい。早くここから出ていけ無能。」
エラを泥棒扱いして遊ぼうと思っていたのにそれが出来なくなったことが悔しいのか、あからさまに不機嫌になった。
エラはさっさとお茶の用意を済ませてワンテの横を通り過ぎ、厨房を後にした。