“友達ほしい”って何。私は心でそう呟きながら、漬物を食べた。けれど答える気がないとあからさまな態度をとるのは、高校生活がうまくいっていないと言っているようなものなので、私は母からの質問に適当に嘘も交えて答えていた。実際、友達ができないないことを除けば、その他のことは基本的にうまくいっている。勉強も追いついていけているし、近々バスケ部にも入部予定だ。一人でだって、生活できる。
 それでも毎回夕食の場で高校のことを聞かれると、いい加減私もうんざりする。どうして母がこんなに高校生活のことを気にしてくるのか私には理解できなかった。私に所謂反抗期が無いからだろうか。だとしても過干渉過ぎる。少しいらいらしてきた私は、つっけんどんに母に聞いた。
「じゃあお母さんが高校生の時はどうだったの?」
すると母は一瞬黙り込んだが、その後頬を赤く染めてにっこり笑った。
「でへへ。実は大ちゃんに出会ったのが高校生の時だったの。だから、ね」
と言いながら母は父にウィンクをした。父は、おう、と言うだけだったが耳が少し赤くなっていた。なるほど。母にはそういう素敵な思い出があるから、私にも同じようなことを期待しているという訳か。母も自分と父との馴れ初めを言えて満足したのか、その日からはあまり高校生活については言及してこないようになった。
 勿論それは私の悩みが解決したことにはならない。結局友達が何なのかなんてわからないし、このまま三年間ずっと友達がいないままでいいのかという自問にも自答できなかった。バスケ部に入部しても、その答えは一向に見つからなかった。自分の心のどこかで、“同じ部活だから”という理由で特別な存在を手に入れられると願っていなかったわけでもない。実際にそのチャンスも何度か転がっていた。けれどその答えがわからない私は、やはり手を引っ込めてしまうのだった。入部をすると、母は手を叩いて喜んでくれた。父はその日、よかったな、と頷いてくれただけだったけれど、翌日の夜にはバスケットボールのついたキーホルダーを買ってくれたらしく、私の机の上にそれがぽつんと置かれていた。
 そんなさなか、私は所謂“いじめ”というものを初めてこの目で見てしまった。ある日の昼休みに女子トイレに行くと、数人の女子が一人の女子を取り囲んでいたのだ。
「マジででしゃばんなよ」
「いい加減にしろよ」
「うぜーから」