木春菊が咲く。

 電話をかけても答えてくれないので、大地はそれから毎日のように桜の家に行き、両親に桜の様子を尋ねた。けれどいくら待っても桜の意識は戻らなかった。
「待ちます。桜の意識が戻るまで、絶対に待ちます」
大地は父親にそう言ったが、父親は憎しみを露にするだけだった。
「助けられなかったどころか、お前は、桜が苦しんでいたことに気づきもしなかった」
それだけ言うと彼は大地の鼻先でぴしゃりと扉を閉めてしまった。それから三日後、今度は母親が顔を出し、もう来ないでくれと大地に告げた。
「これ以上来たら、警察を呼びます」
それでも大地は食い下がった。
「僕は桜さんが回復するまで、絶対に待ちます。僕は、桜さんを愛しているんです」
けれど母親は聞き入れてくれなかった。代わりに、扉を閉めながら震える声で言った。
「本当にあの子を愛しているのなら、もう放っておいてください」
そして、大地を突き放すように告げた。
「可哀そうなのよ」
もう来ないで、と短く叫ぶと彼女は扉を閉めた。大地はもう一度扉を叩こうとしたが、すんでのところでその手を止め、手を下ろした。そして力なく桜の家に背を向けた。それ以降、大地が桜の家に行くことはなかった。
 大学に入り、大地は希という女性に出会った。誠実で凛とした性格の彼女は、いつもさみし気な大地を気にかけてくれた。次第に大地も彼女の優しさに魅かれるようになり、恋人として希と交際を始めた。けれどいつも、心の片隅に希に対する罪悪感があった。桜を忘れるためだ、そう自分に言い聞かせていたからだ。それでも希と過ごす時間は何時も落ち着いていて、穏やかだった。ああ、きっとこの人は突然自分の前から姿を消したりなんてしない。大地がそう安心できるくらいだった。
 社会人になったある年の冬、大地はありったけの勇気を振り絞って彼女にプロポーズをした。これまで両親への期待に応えようと勉強してきたせいか、大地はその年にしては収入も良く、それなりの指輪を彼女に渡した。希は涙を流しながら何度も頷いてくれたのだ。こうして二人は結婚し、二年後には子どもも授かった。桜が大地の前からいなくなったあの日から、実に九年の年が流れていた。
 希が生まれたばかりの桜を愛おしそうに抱きながら、大地に名前をどうしようかと尋ねた。
「夢ちゃんなんてどうかな。愛とか」
大地は声をあげて泣く娘を眺めながら、ぽつりと言った。