木春菊が咲く。

その言葉で、私の視線は自然に涼とかすみの方へと流れた。車の中で、二人が楽しそうに話し、私に気がつくと手を振ってくれた。私もそんな母親になれるのだろうか。めい一杯彼女を愛し、めい一杯彼女を守り切れるだろうか。
 私の不安が住職にも伝わったのだろうか。干し柿を齧っていた彼は顔を上げ、優しく笑いかけてくれた。
「あなたも素敵なお母さんに、なられたのですね」


   * * *
   
 明日は英語のテストか。そんなことを考えながら八百瀬大地は自転車を漕いでいた。高校に入学し、特に部活にも入らなかった彼は、日々勉強に勤しんでいた。彼の両親はどちらも一流大学の出身で、両親からの期待はとても大きなものだった。それでも勉強さえできれば彼の居場所はいくらでもあったので、大地はただなんとなく、机に向かう日々だった。退屈ではあったが、逃げ出したいと思うほどの毎日でもない。でもそれは桜と出会う前のことだった。明日のテストさえ乗り越えれば、土曜に桜とのデートがある。大地は自転車を漕ぐ足を速めた。桜と大地の出会いは、本屋だった。そこでアルバイトをしている大地が、桜に一目惚れをしたのだ。緊張ばかりの接客は次第にぎこちない会話になり、不安と期待で一杯になりながらデートを重ね、段々と二人の距離は縮まり、対に付き合うことになったのだ。互いが高校一年生の秋だった。
 それから二年後の夏。土曜の十一時、大地は駅の改札にいた。数分後、白いワンピースを着た桜が現れた。いつもはおろしている黒髪を、今日はポニーテールにしていた。艶やかなその髪から、爽やかな香りが大地の鼻をくすぐった。桜は少し汗ばみながら笑った。遠くで蝉が鳴いている。
「ごめんね、遅れちゃった」
大地は頬を赤くしながら肩をすくめた。
「待ってない」
そう言うと桜は嬉しそうに笑い、大地の手を引いた。
「遊園地、楽しみだね」
ぐいぐいと人ごみの中を進んでいく彼女を追いながら、大地は黙って頷いた。
 その日、大地は桜と遊園地で過ごした。ゲートを潜り抜けると、まず初めにおそろいの被り物を買った。それからゴーカートに乗り、ジェットコースターに三回乗った。ポップコーンを食べ、コーヒーカップに乗り、再びジェットコースターに乗り、お化け屋敷にも入った。桜はずっと大地の腕にしがみついていた。入ろうと言ったのは桜の方だったのに、はやく出ようと言ったのも桜だった。