木春菊が咲く。

その言葉を聞いた途端、私の中の何かが砕けて、涙が溢れ出た。私は声を出して泣いた。今すぐ桜さんに会いたかった。すぐにここにきて、思いっきり抱きしめて欲しかった。
「お母さん、お母さん」
私は何度もそう呼んだ。今すぐ謝りたかった。今すぐありがとう、って伝えたかった。これまでずっと私の側にいてくれた桜さんを、お母さんと呼びたかった。今すぐに。
 泉さんは泣きじゃくる私をそっと抱きしめてくれた。ただ何も言わずに、ずっと抱きしめてくれた。私は彼女の制服を掴みながらただひたすらに泣いた。こんなにやるせない思いになったのは、生まれて初めてだ。
 その日、結局私は散々泣いた挙句、そのまま眠ってしまった。泉さんは私をベッドに寝かせると、布団をかけて病室を出ていったらしい。翌朝目を覚ますと、真っ白な病室の一角に、泉さんがくれたあの花が活けてあった。ぼんやりとその花を見つめていると、誰かが病室の扉をノックした。曇りガラスの向こうにうつるその影を見ただけで、私はそこにいるのが誰なのかわかった。そして、開いた扉の向こうには、やはり桜さんがいた。
 桜さんは少し遠慮するように俯きながら病室に入ってきた。再び涙が込み上げてきた私は、唇をかみしめるだけで精いっぱいだった。
「きいちゃん、私は今日退院だから、もう、行くね」
桜さんはおずおずとそれだけ言うと、私に背を向けようとした。
「行かないで!」
私は涙よりも先に何とか叫んだ。桜さんはぴくりと肩を震わせて、私を見た。
「行かないで。お母さん」
私は小さい子が抱っこをねだるように、目に涙を溜めながら両手を広げて母を呼んだ。
「お母さん」
震える小さな声でそう呼んだのに、母は聞いてくれていた。そして何度も頷きながら、優しく、思いっきり、私を抱きしめてくれた。私もめい一杯母を抱きしめながら謝った。母は何度も首を振りながら、いいんだよ、と繰り返し言ってくれた。そして何度も私の頭を撫でてくれた。髪を通して伝わってくる母の温もりは、子どもの頃に感じたそれと少しも変わっていなかった。私と母は、しばらくそうして、抱きしめ合った。ようやく私が顔を上げると、母はいつものように優しく微笑んだ。
「きいちゃんも早く元気になって、退院しよう」
私も頷いて笑ってみせた。