恐る恐る看板の影から出ると、私は谷川の指を食らおうとするアヒルを見た。
「なつかれるんだね」
私が彼にそう言うと、谷川は、片方の口角だけを上げるとわざと自慢げに言った。
「子どもと動物だけからは、好かれるんで」
どういう意味かわからず首を傾げた私だったが、谷川は私の方を見もせずに、
「お前はオスか。ちっちゃいなあ。おい、奥さんどこだよ。逃げられたか?」
などと話していた。私もその場でしゃがむと目の前をよちよち歩くアヒルを眺めた。谷川が指をさしながら言う。
「尻尾がクルってなってるのがオスで、なってないのがメス。オスの方が、嘴が黄色いとかなんとか」
「詳しいね」
私が笑うと、谷川は、まあ、と頷いて立ち上がった。私も立ち上がったが、それからどこに行くという訳でもなく、ただ二人でアヒルの観察をして残り時間を潰した。その時、私は谷川と過ごす穏やかな時間に魅かれていた。
「そう言えば、来週の練習、女子は何時から?」
急にそんなことを言われて、私はびっくりした。すると谷川はもっとびっくりして言った。
「え!?まさか俺のこと忘れてる?俺。男バスなんだけど」
いやいや知らない。あ、うそ。知ってる。普段めちゃくちゃうるさい人だ。練習の時、高らかに笑ったり、騒いだり叫んだりする野生児みたいな人が居るなと思っていたけれど、冷静に考えて見たらまさにこの人だ。見た目は同じだけれど、あまりに落ち着いていたから気が付けなかった。
「うわーひどい。同じ部活の仲間を忘れるとか、本当にひどい」
「いやごめんって。でも普段と全然違うから、気がつかなくて。ほら、いつももっと騒がしいじゃん」
すると谷川はわざとらしく胸に手を当てて悲しそうな顔をした。
「え。うわ。それこっちの台詞なんですけど。八百瀬さんっていつも一人で落ち着いてるイメージだったのに、なに、いざ口を開くと悪口マシーンのタイプですか?」
いやなにそれ。私は突っ込みたいのを何とか堪えながら念のため謝っておいた。それからお互いに他愛もないことを話しながら時間が過ぎていった。
 時間になり、倉庫に戻った私は、谷川と別れると再び班員とさりげなく合流し、帰りのバスに乗った。帰りのバスでは歌が得意な南浜が見事な歌声を披露していたが、一時間もすると大半が眠りに落ちた。雨は再び土砂降りになっていたが、上野だけは最後まで元気だった。