そばにあを

それからしばらくたったある日。その日は、たまたま葛木荘に俺と拓海さんしかいなかった。なんとなく、嫌な予感はしていたのだ。他愛のない話をして、テレビを見て笑って、面倒くさいといいながら2人でお皿を洗って。

「なあ、要。」

不意にテレビの電源を落とした拓海さんは、俺の方を向く。・・・ああ、もう。

「嫌だ。」
「要。」
「嫌だってば。」
「聞いてくれ」
「嫌だっつってんじゃん!何も聞きたくない!」

何やってんだろ俺。なに子供みたいなこと言ってんだろ。頭ではわかってるのに、心と体が言う事を聞かなくて。

「やだんだってもう・・・頼むからなんも言わないでくれよ。」
「・・・要。」
「ねえ、一緒にどっか遠いところに行こうよ。このままさ、海外でもどこへでもだって行けるよ。」
「行かないよ。」
「なんでだよ、いいじゃんこのまま。飛行機に飛び乗ろうよ。そしたら、そしたらさ!!」
「要。」

俺の名前を呼ぶ拓海さんの声があまりにも優しくて、我慢できずに涙がこぼれる。馬鹿みたいなことを言ってるのは分かってる、分かってるんだ。でも頭でわかっていても心と体が連動しない。
俯いてしまった俺に、ありがとな、と彼は笑う。

「泣くなって、男だろ。」
「・・・うるさい」

俺の頭をポンッと叩いてから、そのままガシガシと撫でる。

「・・・拓海さん、あのさ。」
「ん?」
「手紙が、残ってたんだ。」

誰の?とは聞かずとも分かったようで、拓海さんが息を飲んだのがわかった。
彼が命を経ってから数日後、亡くなってしまった男の子の母親がメディアに向けてある文章を公開した。それは男の子の遺書とは呼べないほど短い手紙で、拓海さんの死をきっかけに公開を決めたのだと、アナウンサーが読み上げていた。映し出された写真に、呼吸を忘れてしまった。


『お願いがあります。』


『先生が僕を守ろうとしてくれた事、絶対に忘れないから。だから先生も。』

『僕が先生の生徒だった事、忘れないでね。』


優しい字だった。綺麗とか、上手とか、そういう事じゃなくて。どんな気持ちでシャーペンを握ったのか、どんな気持ちでこの手紙を残したのか。誰かに対する恨みではなく、この言葉を残した。それを選んだ。そんな君が、どうして。

拓海さんが俯いた先に、ポツリ、と水滴が落ちる。その数は次第に多くなっていって、ゆっくりと机を濡らしていく。

「・・・ああ、抱きしめてやりてえけど、出来ないんだなあ。」

涙声の彼は、そう言って笑った。悔しさと、悲しさと、でもなによりも、優しさが溢れている笑顔。俺も涙が止まらなくなって、俯いたまま唇を噛み締めた。
不意に拓海さんは俺の頭をもう一度ポンッ、と叩く。

「・・・生きろよ。」

たった一言。その言葉はとても重くて。そこに彼の思いがどれだけ込められているのだろう。
俯いたまま何も言えず嗚咽をもらす俺に、拓海さんは優しく微笑んで、何度も頭を叩いた。


2人の言葉は重たくて苦しくて、どうしてこんなに素敵な人達が自ら命を絶たなければならなかったんだろう、そう思ったら胸が張り裂けそうなほど痛んだ。