それは何事もなく過ぎていたある日の事だった。
「え・・・?」
・・・鈴香さんが、いなくなったのだ。
いつもと同じように学校から帰宅すれば、そこにはなぜか雨野さんと拓海さんがいた。どうしたんですか、と尋ねれば雨野さんの口から出たのは衝撃の一言だった。
「鈴香が、葛木荘から出て行った。」
一瞬時が止まる。あまりの衝撃に思考回路が停止して、何も考えることができなかった。だって私、何も聞いてない。昨日も普通に夕飯を食べて、おやすみなさいを言って、朝だっていつも通りの鈴香さんだった。
「・・・なんで。」
震えた声でそう問う拓海さんに、雨野さんが目を伏せて答える。
「遠くで暮らしていた祖母が体調をくずしてしまったらしい。」
だから介護が必要になった、そう雨野さんは続けたけれどそんな事は頭に入ってこなかった。
嘘でしょう。だって今朝だって、いってきます、そう言って彼女は笑ったのに。雨野さんはいつから知っていたのだろう。鈴香さんはなんで何も教えてくれなかったのだろう。どうして、どうして。不意に血の味を感じて、自分が血が滲むほど唇を強く噛み締めていたことに気づく。とても悲しくて、何も教えてもらえなかった事が悔しくて、こぼれそうになる涙を必死で堪える。
知らなかったのは、私だけだったのかな。ふとそんな事を考えて拓海さんを見れば、俯いたままのその肩は震えていた。・・・私同様、何も聞かされていなかったんだろう。じゃあ、要は。そう思って彼の方をむけば。
「っ・・・!」
彼の顔は、真っ青だった。
私と同じように唇を強く噛み締めて、一点をじっと見つめている。その表情は何と形容すればいいのだろう。鈴香さんと一緒に暮らせなくなってしまったことを悲しんでいる、そんなレベルではなくて。まるで、もう鈴香さんに会うことが二度と叶わないかのような、そんな表情だった。
「なーんか、雨降りそうだね。」
「ねー・・・。」
鈴香さんがいなくなってから数週間。葛木荘での生活は変わらないが、やはり前よりも静かだ。不意に鈴香さんの顔を思い浮かべると、泣きそうになることがある。
「あ、そうだ。私そろそスマホ変えるんだ。」
少し悲しい気持ちに陥っていたら、教室の窓の外を眺めていた千里が私にそう声をかける。
「そうなの?」
「そう、壊れちゃって。だから電話番号もう一回教えてよ。」
分かった、と千里に返事をした後、不意にどうしてだろうとある疑問が沸き起こった。それは、スマホから鈴香さんの連絡先が一切消えていた事。もともと知らなかったのか、それとも間違えで消えてしまったのか。それは全く覚えていなくて。でも勝手に消えるなんて事は普通に考えて有り得ないだろう。きっと最初から交換していなかったんだ。・・・毎日葛木荘に帰れば会えるから。そう、安心していたんだろうなあ。そう自分の中で結論を出して、千里の方へ向き直る。
「私、なんで鈴香さんに連絡先聞いとかなかったのかなあ。」
は?と千里は私の言葉に眉をひそめた。馬鹿だね、なんで聞いとかないの。そんな事を言われるんだろう。
そう、予想していたのに。
「鈴香さんって誰?」
「・・・え?」
千里の口からこぼれたのは、そんな疑問だった。思わず動きを止める。
「ちょっと、何言ってるの・・・?」
自分の声が震えているのが分かる。
「それはこっちの台詞だよ。・・・奈月の知り合い?」
千里はふざけていなかった。素直な性格の彼女は、嘘がつけない。こんな本当に不思議そうな顔をして、嘘をつけるはずがないのだ。
「冗談やめてよ・・・。」
絞り出した私の言葉に、千里は本当に分からない、というように首をかしげた。千里が鈴香さんを知らない訳がない。鈴香さんの話をした事は何回もあるし、直接会った事だってある。鈴香さんがいなくなってしまってからも、何度も泣いている私を慰めてくれたのは千里だ。
・・・どういう事?俯いたまま固まってしまった私を心配して、千里が私の肩を揺する。何か言っているようだけどなにも耳に入ってこなくて。・・・けれど急に。
「そういえば、中学校の話聞いた?」
その言葉が、やけに鮮明に耳に入ってきた。それを話しているのは千里ではない、近くに座っていた、2人のクラスメイトだ。
「中学校って、ここから一番近い所の?」
「そう、駅の近くの。」
拓海さんが働いている学校も駅の方だっけ。彼女達の話している声だけはやけに鮮明に聞こえてくる。
「あそこ、いじめがあったらしいよ。」
「えー、なにそれ怖。どこ情報?」
「弟の友達情報。」
半笑いで話す2人とは対照的に、私の鼓動は激しさを増す。
「それで、いじめられてた子がさ、この前 __。」
ガタンッ
急に大きな音がなって、教室中の話し声が止む。だれかが勢いよく立ち上がったのだ。その人物に視線が集まって、教室は少しの間沈黙に包まれる。
「ちょっと!奈月!どうしたの!?」
椅子を強く引いて立ち上がったのは、他の誰でもない私だった。
戸惑ったような千里の声と、私に集まっているのが分かる多くの視線。けど今はそんなものどうでもよくて。
「奈月!?」
机にかけてあった鞄を掴んで教室を飛び出した。後ろから千里が私の名前を呼ぶけど、振り返らずに走り続ける。・・・帰らなきゃ。なぜか強くそう思った。理由なんて自分でもよく分からない。けれどどうしても今帰らなきゃならない気がして、まっすぐ、葛木荘へと走った。
「え・・・?」
・・・鈴香さんが、いなくなったのだ。
いつもと同じように学校から帰宅すれば、そこにはなぜか雨野さんと拓海さんがいた。どうしたんですか、と尋ねれば雨野さんの口から出たのは衝撃の一言だった。
「鈴香が、葛木荘から出て行った。」
一瞬時が止まる。あまりの衝撃に思考回路が停止して、何も考えることができなかった。だって私、何も聞いてない。昨日も普通に夕飯を食べて、おやすみなさいを言って、朝だっていつも通りの鈴香さんだった。
「・・・なんで。」
震えた声でそう問う拓海さんに、雨野さんが目を伏せて答える。
「遠くで暮らしていた祖母が体調をくずしてしまったらしい。」
だから介護が必要になった、そう雨野さんは続けたけれどそんな事は頭に入ってこなかった。
嘘でしょう。だって今朝だって、いってきます、そう言って彼女は笑ったのに。雨野さんはいつから知っていたのだろう。鈴香さんはなんで何も教えてくれなかったのだろう。どうして、どうして。不意に血の味を感じて、自分が血が滲むほど唇を強く噛み締めていたことに気づく。とても悲しくて、何も教えてもらえなかった事が悔しくて、こぼれそうになる涙を必死で堪える。
知らなかったのは、私だけだったのかな。ふとそんな事を考えて拓海さんを見れば、俯いたままのその肩は震えていた。・・・私同様、何も聞かされていなかったんだろう。じゃあ、要は。そう思って彼の方をむけば。
「っ・・・!」
彼の顔は、真っ青だった。
私と同じように唇を強く噛み締めて、一点をじっと見つめている。その表情は何と形容すればいいのだろう。鈴香さんと一緒に暮らせなくなってしまったことを悲しんでいる、そんなレベルではなくて。まるで、もう鈴香さんに会うことが二度と叶わないかのような、そんな表情だった。
「なーんか、雨降りそうだね。」
「ねー・・・。」
鈴香さんがいなくなってから数週間。葛木荘での生活は変わらないが、やはり前よりも静かだ。不意に鈴香さんの顔を思い浮かべると、泣きそうになることがある。
「あ、そうだ。私そろそスマホ変えるんだ。」
少し悲しい気持ちに陥っていたら、教室の窓の外を眺めていた千里が私にそう声をかける。
「そうなの?」
「そう、壊れちゃって。だから電話番号もう一回教えてよ。」
分かった、と千里に返事をした後、不意にどうしてだろうとある疑問が沸き起こった。それは、スマホから鈴香さんの連絡先が一切消えていた事。もともと知らなかったのか、それとも間違えで消えてしまったのか。それは全く覚えていなくて。でも勝手に消えるなんて事は普通に考えて有り得ないだろう。きっと最初から交換していなかったんだ。・・・毎日葛木荘に帰れば会えるから。そう、安心していたんだろうなあ。そう自分の中で結論を出して、千里の方へ向き直る。
「私、なんで鈴香さんに連絡先聞いとかなかったのかなあ。」
は?と千里は私の言葉に眉をひそめた。馬鹿だね、なんで聞いとかないの。そんな事を言われるんだろう。
そう、予想していたのに。
「鈴香さんって誰?」
「・・・え?」
千里の口からこぼれたのは、そんな疑問だった。思わず動きを止める。
「ちょっと、何言ってるの・・・?」
自分の声が震えているのが分かる。
「それはこっちの台詞だよ。・・・奈月の知り合い?」
千里はふざけていなかった。素直な性格の彼女は、嘘がつけない。こんな本当に不思議そうな顔をして、嘘をつけるはずがないのだ。
「冗談やめてよ・・・。」
絞り出した私の言葉に、千里は本当に分からない、というように首をかしげた。千里が鈴香さんを知らない訳がない。鈴香さんの話をした事は何回もあるし、直接会った事だってある。鈴香さんがいなくなってしまってからも、何度も泣いている私を慰めてくれたのは千里だ。
・・・どういう事?俯いたまま固まってしまった私を心配して、千里が私の肩を揺する。何か言っているようだけどなにも耳に入ってこなくて。・・・けれど急に。
「そういえば、中学校の話聞いた?」
その言葉が、やけに鮮明に耳に入ってきた。それを話しているのは千里ではない、近くに座っていた、2人のクラスメイトだ。
「中学校って、ここから一番近い所の?」
「そう、駅の近くの。」
拓海さんが働いている学校も駅の方だっけ。彼女達の話している声だけはやけに鮮明に聞こえてくる。
「あそこ、いじめがあったらしいよ。」
「えー、なにそれ怖。どこ情報?」
「弟の友達情報。」
半笑いで話す2人とは対照的に、私の鼓動は激しさを増す。
「それで、いじめられてた子がさ、この前 __。」
ガタンッ
急に大きな音がなって、教室中の話し声が止む。だれかが勢いよく立ち上がったのだ。その人物に視線が集まって、教室は少しの間沈黙に包まれる。
「ちょっと!奈月!どうしたの!?」
椅子を強く引いて立ち上がったのは、他の誰でもない私だった。
戸惑ったような千里の声と、私に集まっているのが分かる多くの視線。けど今はそんなものどうでもよくて。
「奈月!?」
机にかけてあった鞄を掴んで教室を飛び出した。後ろから千里が私の名前を呼ぶけど、振り返らずに走り続ける。・・・帰らなきゃ。なぜか強くそう思った。理由なんて自分でもよく分からない。けれどどうしても今帰らなきゃならない気がして、まっすぐ、葛木荘へと走った。

