僕の名前は勇気。
 ママが強い男の子になれますようにって、つけてくれたんだ。
 だから、僕はいつか絶対強くなりたい。
 大好きなママを守れるぐらいの男の子に。


 僕には年の離れたおにぃがいる。
 7歳上のお兄ちゃん。すごく身体が大きくて、頭もいい。
 県内でもトップクラスの高校に入れたんだ。
 柔道をやっていて、全国大会でも優勝するほど強い。
 おにぃは僕にとって、憧れの人かな。


 ある日、おにぃに聞いたんだ。
「ねぇ、どうやったらそんなに強くなれるの?」
「おにぃだって、別にそこまですごくないよ。この家で一番強いのはパパだよ」
 僕はビックリした。
 パパは確かに大人だけど、身体の大きさじゃ、おにぃの方が大きいもん。
 おにぃは柔道だってやってるし……二人が戦ったらきっとパパが負けそう。
「どうして?」
「あのな、パパはおにぃよりも頭が良いし、昔は不良も倒したことあるんだぞ」
 そう言うおにぃの目はキラキラと輝いていた。
 パパの話をするおにぃは嬉しそう。


 でも、僕はあまりパパが好きじゃない。
 夜遅くまで帰ってこないし、早くに帰って来ても酔っぱらってる。
 日曜日も家にいるけど、ずっと怒った顔して怖い。
 僕の大好きなママと話すとき、必ず「おい」とか「おまえ」としか呼んでくれない。
 休みの日は、いつもパパがママに命令して、お弁当を作らせる。
 パパは遊園地とか、公園とか、海に連れて行ってくれるけど、ママが準備していると怒り出す。
「おまえはついてくるな!」
 僕はいつもそれを見ていて悲しかった。
 みんなで仲良く遊びに行けたらいいのに……。
 なんでそんないじわるするんだろう。


 小学校で仲が良くなったひろみちゃんが、家に遊びにきたときだった。
 ひろみちゃんとゲームをして、盛り上がった。
 遊んでいる最中、ひろみちゃんが僕の番なのに……。
「勇気くん、ちょっと貸してよ!」
「なんで? いま僕の番だよ!」
 少しケンカっぽくなっちゃった。
 コントローラーを取り合っている時、僕のひじがひろみちゃんの頬にぶつかった。
「うわぁん!」
 泣き出したひろみちゃんを見て、僕は困った。
「ごめん、ひろみちゃん……」
「ひどぉい!」


 泣き声を聞いたおにぃが、僕の部屋に入ってきた。
 顔を真っ赤にして怒っている。
「勇気! お前、女の子に手を出したのか!」
 鬼のような怖い顔で怒鳴ってきた。
「ち、ちがうよ……これはちがくて…」
「女に手を出す男は最低だって、いつも言っているだろ!」
 僕が言い訳する間も与えてくれず、おにぃに右足を蹴られた。
 何回も何回も……強い力で。
「うわぁん! ごめんなさぁい!」
「いいか、女に手を出すなよ!」
 ひろみちゃんもおにぃの姿に、ビックリしていた。


 そんなことがあって、僕は毎日おにぃに説教された。
「事故だとしても、女の子には絶対に手を出すなよ!」
「わかった。約束する……けど、なんでダメなの?」
 僕がそう聞くと、おにぃは顔を真っ赤にして怒る。
「ダメなもんはダメなんだよ! 勇気は強い男になりたいんだろ? 女の子を守れるような男にならないと……」
 そうか、女の子に手を出すってことは、弱い男がすることなんだ。
「わかった! 絶対に守るよ!」


 ある夜、僕はおしっこをしたくて、自分の部屋からトイレのある廊下に向かった。
 おしっこをしている最中に、なにかが割れる音が聞こえてきた。
 僕はその音の方に、こっそり近づく。
 リビングから怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだこれは!」
 パパの声だった。
 ドアの隙間から明かりが漏れている。
 覗くと、床に割れた白いお皿の破片があった。
 それをママが困った顔で拾っている。


 僕はドキドキしながら、その光景をじっと見つめていた。
「腐っているんじゃないのか、このメシは!」
「今日作ったばかりです……」
 ママは怒られて泣きそうな顔をしていた。
「さっさと捨ててこい!」
「はい……」
 酷いや、僕も夕方にあの料理を食べたけど、腐ってなんかない。
 ムカついたから、パパに一言文句を言ってやろうと、ドアノブに手を回した瞬間。
 おにぃがそれを止めた。
「勇気……ダメだ。部屋に戻れ」

10
 それからも、パパはママに酷いことばかり言っていた。
 決まって酔っぱらっているときなんだけど……。
 怒ってこう言うんだ。
「恩にきせやがって!」
 僕は、一体なんのことだろうって、不思議に思った。
 頭の良いおにぃなら、知っているかもしれない。

11
「ねぇ、おにぃ。『おんにきせる』ってどういう意味?」
 勉強していたおにぃはそれを聞いて、すごく驚いていた。
 鉛筆をポロッと落としちゃうぐらい。
「勇気、それ、どこで覚えたんだ?」
「え? なんかパパが酔っぱらうと毎回言うから……」
 おにぃは深く息を吐くと、真面目な顔でこう言った。
「この話はパパに絶対内緒だぞ?」
「うん」

12
 おにぃが教えてくれた。
 パパとママが結婚した時、今とは違って、ママが働いていて、パパが大学生だったらしい。
 先に仕事をしていたママがパパを『やしなっていた』んだって。
 だから、パパはそれを気にしているらしい。
 おにぃは付け加えるように、こういった。
「でもママよりパパの方がすごいんだぞ! パパは頭が良いから出世してえらい人なんだ」
「そっか……」

13
 おにぃの言った通り、パパはすごかった。
 今年も会社で一番成績が良かったらしく、またえらい人になった。
 そのご褒美として、なんとハワイ旅行をプレゼントされたんだ。
 僕はすごく興奮した。
 でも、いざハワイに行く準備をママがしていると、パパは怒ってこう言った。
「おまえは来るな! おまえが来たらなにも楽しくない!」
「はい……」
 ママだって毎日、家族のために料理や洗濯、いろいろ頑張っているからご褒美をもらってもいいはずなのに。酷いや。

14
 いつも家にいるはずのママが、急にいなくなった。
 僕は心配で近くの駅まで探しにいった。
 すると、改札口からスーツを着たかっこいいママが出てきた。
「あら、勇気どうしたの?」
 ママはキョトンとしていた。
「心配したよ、ママ……どこにいってたの?」
「ママね、ちょっとお仕事はじめたの」
「ええ、ママが?」
 僕はすごく驚いた。

15
 ママが言うには、保険のセールスをしているらしい。
 ただ「パパには内緒ね」と釘をさされた。
 僕はママと指切りげんまんした。
 でも、パパが働いていて、お金もたくさんお家に入るのに、なんでママが働く必要があるんだろう?
 産まれてからずっと、ママはお家のお仕事をしているイメージが強いから、なんだか不思議だなぁ。

16
 ママが外でお仕事を頑張っているし、僕も学校でなにかをがんばろうと思った。
 最近、成績が良くないから、算数の勉強に力を入れよう。
 ママが夕方まで帰ってこないけど、一人でも勉強できるぞ。
 毎日、がんばった。
 けどテストの時期になって、結果は悪いまま。
「僕はダメだなぁ……」
 おにぃと違って、頭が良くないんだ。

17
 だから、おにぃに質問した。
「ねぇ、おにぃはどうやって、そんなに頭がよくなったの?」
「おにぃだって、最初は成績悪かったぞ」
「そうなの?」
「うん、頭のいいパパに教えてもらったから、ここまで成績があがったんだ」
「へぇ」
 知らなかった。僕はそれを聞いて思った。
 じゃあ僕もパパに教えてもらおうっと。

18
 冬休みに入る前に、僕はパパに言った。
「ねぇパパ、お勉強教えて」
「ああ、任せておけ」
 パパは自信たっぷりに答えた。
 これで、僕もおにぃみたいになれるぞ!
 嬉しくてたまらなかった。

19
 それから毎日、パパがつきっきりで勉強を教えてくれた。
 ただ、パパの教え方はとても厳しかった。
 少しでもわからない問題があると、すぐに怒る。
「バカ! なんでこんなこともわからないんだ!」
「ごめんなさい」
「勇気、おまえはバカなんだから、暗算するな!」
「はい……」
 毎日、夜遅くまで怒られた。
 お仕事が休みに入ったパパは、朝からお酒を飲んでいた。
 だから、自然と怒り方が怖くなっていく。
 酷い時は、夜中までご飯を食べさせてもらえず、頭がぐちゃぐちゃになるまで勉強をさせられた。

20
 そして、年が明けて、お正月を迎えた。
 けど、僕はお年玉ももらえず、遊びにいくことも許されず、教科書とにらめっこ。
 トイレ以外は部屋から出してもらえなかった。
 勉強をしているというより、パパに怒られないように少しでも問題を間違いたくなかった。
 必死になればなるほど、空回りして頭に入らない。
 時折、おにぃが部屋に入って「なんでこんな問題もわからないんだ!?」と文句を言ってくる。
 だって、わからないものはわからないよ。

21
 そんな楽しくない悲しい毎日が続いて、僕は心も身体もボロボロになっていった。
 パパは日に日にお酒を飲む量が、増えていく。
 僕が間違えると、お説教に力が入って、たまに頭を強く叩かれた。
 その回数が少しずつ増えていく。
 パパの怒鳴り声と、振り上げる手が怖くて怖くて仕方なかった。

22
 もう僕は限界だった。
 頭を強く叩かれて「うわぁん!」と泣き出しちゃった。
 パパは泣く僕を見て、さらに怒りだす。
「これぐらいで泣くな! やかましい!」
 キッチンでお酒のおつまみを作っていたママが、ボソッと呟いた。
「そんな教え方だからダメなのよ……」
 パパはその言葉を聞き逃さなかった。
「なんだと!」
 顔を真っ赤にして、ママのところへずかずかと突っ込んでいく。

23
「おまえは黙っとけ! 俺のやり方に口を出すな!」
 キッチンでスープを作っていたママの右足を思いきり蹴った。
「いたい!」
 ママは痛みのせいか、目をつぶって床に倒れる。
 そんな姿を見ても、パパは気にせず、ママを蹴り続けた。
「この、この……おまえはいつも俺に恩をきせやがって!」
「やめて、痛い!」
 酷いや。女の子のママに、男の子のパパがあんな風に蹴るなんて……。
 許せない!

24
 怖いのと、辛いのと、悔しいのと、いろんな気持ちが頭の中を駆け巡った。
 その時、騒ぎに気がついたおにぃが、リビングにやってくる。
「おい、勇気! おまえがちゃんと問題を解かないから、パパとママがあんな風になっちゃんだろ! おまえが悪い!」
 僕はそれを聞いて、腹が立った。
「おにぃのウソつき!」
「え?」
「女に手を出す男は最低だって、言ったくせに! パパは悪い! おにぃは強いんだから倒してよ!」
 僕が泣きながら叫ぶと、おにぃは黙ってうつむいてしまった。
「無理だよ……パパは強いから」
「もういい!」

25
 僕は近くにあった鉛筆を手にすると、ママを蹴り続けるパパにこう叫んだ。
「ママをいじめるな!」
「なんだと!? パパが悪いのか!?」
「悪いよ!」
 尖った鉛筆をパパに向ける。
「勇気! なんだその顔は!? 勉強を教えてやったのに!」
「おまえなんか、強くない! 女の子を守れない弱い男だ!」
「なんだ、その言い方は!?」
 持っていた鉛筆を手で叩き落とされる。
 そのあと、僕はパパにお腹を思いきり蹴られた。
 子供の僕は、軽々と宙に飛び上がり、キッチンの棚に頭をぶつけた。

26
 気がつくと、僕は暗闇の中にいた。
 なんか頭がガンガンする。
 声が聞こえてきた。
「ママが我慢してれば、パパも警察に連れていかれなかったのに!」
「だって、勇気があんなことになってるのに、黙ってられないでしょ?」
「とにかく僕は反対だ! 僕はパパと残るからね!」
「待ちなさい! あなたも勇気と一緒に……」
 どうやら、ママとおにぃが言い争っているみたい。
 僕はベッドの上で寝ていた。
 壁一面、真っ白な所。きっと病院だ。

27
 ゆっくりと、起き上がろうとする。
 それに気がついたママが、僕を抱きしめる。
「ごめんね、勇気……ママのせいで、ケガさせちゃって」
 ママは涙をポロポロと流していた。
 それを後ろで見ていたおにぃが、僕に言った。
「おまえが悪い……。おまえがパパにあんなことを言わなかったら、今まで通り暮らせたんだ…」
 おにぃは悔しそうな顔をして、病室から出ていった。
「ママ、僕はなにか悪いことをしたの?」
「ううん、あなたはママを守ってくれたいい子よ」

28
 幸い、僕の頭のケガは大したことなかった。
 少しの間、意識がなくなっていたみたい。
 次の日、ママが小さなカバンを一つ持って病院に訪れた。
 そして僕にこう言った。
「勇気、ママと一緒についてきてくれる?」
「いいよ」
「すごく遠いところよ?」
「ママと一緒ならいいよ」

29
 その晩に、僕とママは夜行バスに乗った。
 ママが育った遠いところに行くんだって。
 おにぃはついてこなかった。
 家族がバラバラになってしまったけど、僕は間違ったことをしてないと思う。
 だって、僕は強い男になりたいから……。