✼第一章 風薫る木陰✼


ピッピッピッピとメトロノームの音がなる。


「アメンボ赤いなあいうえお、浮藻に小エビも泳いでる、柿の木くりの木かきくけこ、きつつきコツコツ枯れけやき、ささげに酢をかけさしすせそ、その魚“あせせ”で刺しました」


あぁ…また失敗した。こんなに初めの方で詰まっている場合じゃないのに。

その魚、浅瀬で刺しました、その魚、浅瀬で刺しました。

心のなかで2回反復する。
よしやるぞ
気持ちを切り替えるとメトロノームの音が急激に大きく聞こえてくる。


「ささげに酢をかけさしすせそ、その魚“あささ”で…あーもう!」


メトロノームを荒々しく止める。
何度やってもできない自分が嫌になり夢の中へ現実逃避しようとするが。


「おっはよー!夏弧。さっきの『あめんぼの歌』ちょー面白かった、ふふっ」

「あっ、ちょっ、笑わないで助けてよ〜」


神様はそんなに優しくしてくれない。
高校に入ってからの一番の親友である栢山音緒が笑顔で話しかけてきた。
音緒は人の心を操る特殊能力でも持っているのではないかと思うほどいろんな人たちと仲良くなれる。
でも、そのせいで時々私がこんな性格だからこんなにはなしかけてくれてるのかなと思ってしまう。


「今日部活で練習しようね。そろそろ配役とかもするだろうし」


きれいな歯を出しにっこりと笑ってくれる。
それを見るとこんな醜い考え方は止めようと思わされる。
私と音緒は同じ「演劇部」に入っている。
はじめのころ、仲良くなったばかりの音緒に演劇部を猛アタックされたのだが、もともと私は早く喋ることが苦手なため乗り気ではなかった。しかし、目立つことが苦手なわけではないし、特に入りたい部活もないため根負けして一緒に入ることになった。


「ほんと私なんかに演劇部とか向いてなかったのかなぁ…」

「そんなことないに決まってるって!似合ってるよ!夏孤は…あっ…」


音緒が急に黙り込む。目線をみると窓の外、渡り廊下のあたりをじっと凝視している。視線の先を追ってみる。
あっ。
あの背中は見間違えるはずがない。毎日見ているあの髪型。
木々飛くんだ。


「ふふっ、夏弧見すぎ、まぁ確かに木々飛ってなんというか、めちゃくちゃモテ顔男子!!って訳じゃないけど顔も整ってるし肌も他の男子と比べたら白いし、だいぶモテる要素備わってるよね」

「そうなんだよねぇ…」


木々飛 爽くん。

心の中で言ってみる。やっぱりいい名前だな。
木々飛くんはバスケ部に入っていて、一応中の部活だからか、他の運動部と比べたら格段に色白で、日焼けしていない。
それにジャンプしている姿は飛んでいるかのようにかっこよかった。
羽が見えるほど軽く高く飛んでいた。
そんな彼に名前の「飛」と「爽」と言う漢字はとても似合っている。
でもクラスも部活も違う私達が会う機会はない。
もちろん話す機会もない。
なんなら木々飛くんは私のことを覚えてないかもしれない。
それくらい私達には接点と言うものがなかった。
でも、私はそんな彼に恋をした。もう2年目にもなる片思い。


  *  *  *  *  *


一年生のころ、まだ音緒とも友達じゃなかったとき。
部活動見学のとき、脳内マッピングが苦手な私はやはり迷っていた。
書道部がどこかわからなくて、どうしようかと焦っていたら声をかけてくれたのが木々飛くんとはじめて喋ったときだった。
優しくて、冷静で、穏やかそうで、ただ純粋に助けようとして声をかけてくれた。
私にはそんなことできない。クラスメイトならまだしも、クラスも違う知らない人に声をかけるなんて絶対無理だ。
だけど木々飛くんは優しく尋ねてきたくれた。


「どうかしました?あっもしかして君も一年生?誰か探してるの?」


とてもフランクで、やわらかい雰囲気のおかげでか、なんとなく早くしゃべらなくていいよと言われているような気がした。


「あ、いや、あの、書道部を探してるんだけど…」


ルーズに喋る私の言葉を相槌を打ちながら聞いてくれている。
いつもなら、私が喋るとみんなイライラしたような仕草や表情を見せる。
自分でも早く喋ろうと努力はしてみたのだが、この性格はなかなか直ろうとしてくれなかった。
だからか木々飛くんの表情は安心するし、いつもと比べて落ち着いて話すことができる。


「書道部かぁ…バスケ部は興味ない?って無いよね!ごめんごめん。俺もあんまり分かってないけど、一緒に探すよ」

「えっ、大丈夫だよ!えっと、部活動見学の時間取っちゃったら悪いし…。回りたい部活とかあるんじゃないの?」


流石に今日初めてあった人に一緒に探させるわけには行かないし。
でも木々飛くんはそんなこと気にする風もなく何故か少し意地を張った子供のように言う。


「いーや探す!なんと言われても探す!困ってるときはお互い様でしょ?それに俺、部活見学せずにもうバスケ部に決めたし!」


彼はその雰囲気に合うニカッとした笑顔で笑い、歩き出す。
私はそれについて行っていいのか分からなくて少し立ち止まっていた。
すると前から木々飛くんは「探しにいこう!」と振り返った。
その時の明るい笑顔は今でも鮮明に思い出せる。
一通り学校中を歩き回ったが結局書道部は見つからず、初めに居たところに戻ってきてしまった。
でも、その間も木々飛くんと沢山話ができた。
彼の名前や部活について、彼の友達、家族関係、私の名前やこの高校にした理由、勉強、趣味、好きな食べ物など、些細なことまで沢山の話をした。


「マジ書道室どこにあるのー!」


学校中を探し回っても見つからないとは思いもしていなかったため二人して行き詰まり立ち止まる。
2つの目があって見つからないような所にあるのか、はたまた私達の目が節穴なだけかの二択のうち、前者だと信じたい。


「俺もう一回校内探してくる!ここで待ってて!」


いきなり木々飛くんがそんなことを言い出すので、私は慌てて止めるが、木々飛くんは聞く耳を持たず「いや、もう一回行ったら見つかるはず!」と意気込んでしまっている。
多分一度自分がやると決めたことは最後までやり通す主義なんだろうなと思った。


「いや、でも…!」

「もしかして書道部をお探しですか?」


突如として降ってきた声に驚き肩が跳ねる。
二人で後ろを振り向くと少し困ったような顔をした人が立っていた。多分上級生だろう。
うちの学校は部活動見学の時はその部活の部長と副部長が腕に輪っかを通しているらしい。
その先輩の腕には輪っかはなかったけど、多分口ぶりからして書道部の人。


「あ、はい」

「あぁ、そう。書道部はここ」


そう言って女の先輩はすぐ角の方を指差す。
案内されるのではと思ったが、予想とは反してその先輩は書道室に戻っていった。
先輩の姿を目で追うと、よく見るとボロボロの焦げ茶色の厚い木の板に煤けた字で書道室と書いてある文字が目に入った。
いや、これは…


「見りゃ分かるなぁ……」


心を読まれたのかと思うほどグッドタイミングで木々飛くんが言った。
あまりのしみじみさとタイミングの良さについ声に出して笑ってしまった。


「あははっ、確かに。これは見たらわかるね…」

「逆になんで見つけれなかったのかが分かんないくらいだわ」

「こうゆうのを『灯台下暗し』っていうんだね」


二人して声を上げて笑った。一瞬しんと静まり返って木々飛くんは包み込むような優しい笑顔で言った。


「まぁでも、見つかってよかった」


暖かく優しい、でもやっぱり少し爽やかな笑顔。
優しい光が私を包んでくれているような、そんな感覚だった。
木漏れ日みたいに暖かくて爽やかで、優しい。
ほとんど一目惚れみたいなものかもしれないけど、理由は無いかもしれないけど、この時間がずっと続けばいいのになって思った。
たとえそれが一瞬だとしても_。


  *  *  *  *  *


「まぁでも、木々飛は幸せ者だよねぇ…夏弧にこんなに思われてるとか」


窓の外を見ながらしみじみと音緒が言うものだから思わず笑ってしまう。


「へ?あははっ、なにそれ。向こうは迷惑してるかもしれないじゃん。あんなたった一回喋ったことで好きになりましたとかさ…」

「あっ!はい!ネオのネガティブレーダーが察知しました。そんなこと言わなくても夏孤は可愛いし優しいし、魅力でいっぱいだから!!だから!!そんなこと、いわないでよ…」


初めの方は元気に、でも私のために怒っているように言ってくれた声はだんだん小さくなっていった。
うねるような、すがるような。
悲しそうな声色で言ってくるから心が痛くなる。


「え、ごめん、ごめんって!!だからそんな顔しないでよ…私が悪かったから」

「………」

「音緒?おーい」

「……ははっ、あははっ、騙されたー」


音緒が抱えきれなくなったかのように笑う。
私はわけがわからなくでぽかんと開いた口が閉じない。
当の本人は「あーお腹痛い」とくすくす笑っている。


「えっ?なになに、騙されったって?え?」


混乱している私を見ながら目に涙を浮かべた音緒が「ごめんごめん」と笑いながら言う。


「夏弧はこうでもしないとずっと自分を否定し続けるかなぁって思って。だからちょっと演技を入れて、あでも!言ったことはほんとだよ?」


音緒がにこりと笑う。
音緒はほんとに演技が上手い。
演劇部に入っている人さえも見分けられない。本当に女優レベルだ。
それくらいに上手い演技で言われてしまったら認めざるおえなくなるから、そこだけは苦手だけど、それよりもそんな音緒を尊敬している。
「私は、」と一拍おいて音緒が話す。


「夏弧には魅力が詰まってるからそんなに自分のことを下げないで欲しいの。夏弧は下げないと気が済まないのかもしれないけど、私からすると下げてほしくなんかないの。もっと自分のことを大切にしてほしいの。だから夏弧がネガティブなこと言ったら、私のネガティブレーダーが発動するからね!わかった?」


最後の方は机をばんばんと叩く勢いでまくし立てるように言った。
朝だったためあまり人はいないが感情的になっている音緒の声にチラチラと目線を向けてくるクラスメイトが多くいる。


「そんなにいうと恥ずかしいんだけど。…でもありがとう。音緒がいてくれて助かってるよ。いつもありがとう」


そう言うと音緒は数秒固まってからふいっとそっぽを向いてしまった。
さわさわと木の葉を揺らすそよ風が音緒の長めの髪を揺らす。
紅くなっている耳がちらりと覗いた。


「そうゆうところが良くないんだよ…」


私にはそのつぶやきは聞こえなかった。