「あのう、社長、会長へのご挨拶なんて、私なんの準備もしていません」
「大丈夫、ちょっとドライブだから」
彼は嬉しそうに私を見つめた。
彼と海に出かけた、仕事中に海を見てるなんて罪悪感はあったが、彼と一緒にいることに幸せを感じていた。
「美希が東條と二人きりなんて、絶対我慢出来ねえ、美希は俺のものだからな」
えっ、東條さんに嫉妬してたの、信じられない。
「美希、俺のマンションに引っ越してこい」
彼の言葉にいい加減さは感じられない、でも彼との恋愛に踏み出す勇気はなかった。
その時彼のスマホが鳴った。
「社長、至急お戻りください、早川社長がお見えです」
東條さんからの電話だった。
「わかった」
彼はそう答えて、車を会社に走らせた。
「美希ごめんな、今度の休みまた出かけような」
「大丈夫です」
社に戻ると、早川社長が待っていた。
早川社長は彼の仕事仲間である、大学時代からの親友、いや悪友と言った方がいいかもしれない。
「鏑木、社長就任おめでとう、これでやっと俺と一緒のラインに立てたな」
「別に社長になりたかった訳じゃない」
東條さんに教えてもらったのだが、犬猿の仲なのか必ず衝突するらしい。
私は挨拶も含めて社長室にお茶を運んだ。
「紹介するよ、俺の秘書の藤城だ」
彼は早川社長に私を紹介した。
「はじめまして、鏑木の秘書の藤城と申します」
「ヘェ?美人だな、鏑木、お前には勿体無いよ」
そう言って席から立ち上がり、私に近づいて来たそして名刺を差し出した。
「早川と申します、今度お食事でもご一緒に如何ですか」
早川社長から名刺を差し出され、受け取ろうとすると、彼が二人の間に割って入ってきた。
「名刺は東條が管理している、藤城に渡す必要はない」
彼は不機嫌そうな表情だった。
「おい、秘書以上の関係を感じるが、俺の勘違いか」
「藤城は俺の命より大切な存在だ、指一本も触れることは許さない」
「わかったよ、でも俺とのデートを彼女が望んだとしたら?」
「絶対行かせない」
「はあ、本気か?」
「本気だよ、藤城は誰にも渡さない」
「わかった、わかった、首輪でもつけておくんだな」
早川社長は社長室をあとにした。
命より大切な存在って、彼の言葉に心臓が破裂しそうな感覚に陥った。
彼は私に近づき私を見つめ抱きしめた。
「美希、俺はお前が大切だ、俺の命と引き換えてでも守る、誰にも触れさせたくない、悪いが、美希が他の男のところに行きたいと思っても許可出来ない、覚悟してくれ」
彼は私にキスをした。そして……
「俺のマンションに引っ越してこい」
真剣な眼差しに私は頷いていた。
「おはようございます、朝食出来ました」
彼はベッドの中から手招きをする、何が始まるの恐る恐る近づくと、手を引き寄せられて、私の身体は彼のベッドに引きずり込まれた。
抱きしめられて、抵抗出来ず、私の唇は彼の唇で塞がれた。蕩けるようなキスにこのまま時間が止まってと願った。
「美希、おはよう、いいな、毎朝美希がいる」
そして彼は私を抱きしめた。
「社長、もう起きて支度しないと迎えが来ます」
「いいよ、待たせておけば」
「東條さんに私が怒られます」
「美希が怒られるんじゃ駄目だ、起きるか」
彼は支度を始めて、私の作った朝食を初めて口にした。
「すっげ?うまい、美希は俺の性欲だけじゃなく食欲も満たすんだな」
性欲を満たすって、まだ最後まで行ってないのにキスして、抱きしめて、私の身体に触れただけでそれ以上は進まない。
私は恋愛経験が少ない、最後まで行ったのは一度だけ、しかも最初で最後の恋と思っていた、でもふられた、「美希とは身体の相性悪いな、満足出来ない」と言われて……
それから恋に臆病になった。
また満足出来ないとふられるかもと、脳裏を掠める。今、彼は好きって言ってくれる、この先付き合いが進み、最後まで行ったら嫌われるかもしれないと思ってしまう。
「美希、どうした?」
「どうもしません、支度してきます」
迎えが来て二人で会社に向かった。
会社に到着すると、早速仕事が待っていた。
パソコンを開き、東條さんが説明を始めた。そこへ社長が来て、「藤城には俺が教える」と二人の間に割って入ってきた。
「承知いたしました、御用があればお呼びください」
そう言って東條さんは秘書室を後にした。
「社長、これから桂木社長と会食になっていますが、そろそろ出発しないと遅れます」
「そうか、美希も一緒に行こう」
そう言って東條さんを呼んだ。
「桂木社長との会食に藤城も連れて行くから、あとよろしく」
「社長お待ちください、藤城さんには会社に残ってやっていただく仕事が山積みです、私が指導いたしますので藤城さんは残ってください」
「藤城の山積みの仕事はお前がやればいいだろう」
「藤城さんは我が社の社員です、仕事は熟していただかないと、他の社員に示しがつきません」
彼は東條さんに言われて返す言葉がないのか暫く黙っていたが、次の瞬間とんでもない事を口にした。
「東條、お前が残って藤城に指導するのは許可出来ない、藤城が社に残らなければならないのなら桂木社長との会食はキャンセルする、俺が藤城の仕事を指導する」
「失礼を承知で言わせていただきます、それは私への信頼がないと言うことですか?」
「そうではない、藤城が他の男と二人きりなんて我慢出来ないだけだ」
「私のことは信じて頂けてないと言うことでしょうか」
気まずい空気が社長室に流れた。
どうしよう、私が口を挟むことが出来る状況ではないよ?
彼は口を開いた。
「俺の気持ちの問題だ、嫌なものは嫌なんだ」
「子供みたいな事を言わないでください、冷静になってください」
彼はふっと息を吐き、とんでもないことを口にした。
「俺は冷静だ、もし俺の言うことが通らないのなら、藤城は退職させる」
えっ何を言い出すの?私辞めさせられちゃうの?
どう言うこと?もう何がなんだかわからない。
そして彼の口から出た次の言葉は想像を遥かに越えた事だった。
「藤城を俺の妻として迎える、それなら会食やパーティーに同席出来るな」
「はい、しかし、結婚は一人では出来ません、藤城さんの返事はちゃんといただいておりますでしょうか」
「まだだ」
「では藤城さんから良いご返事をいただいてからになります、きちんと手続きが済んでから発表の段取りになります。社長になると言うことは大変な事です、わがままは通りません」
初めて見た、彼が反論出来ないところ……
なんか可哀想になって私はとんでもないことを口走った。
「私、社長のプロポーズお受けします」
私はなんてことを言ってしまったのだろう。
そして鏑木建設社長鏑木蓮の結婚報告会見が決まった。
どうしよう、今更だが私が蓮さんと結婚なんて……
しかも結婚会見って、しかもテレビ中継なんて。
今まで結婚会見をテレビで見ていた私が、テレビに出るなんて、あ?っ大変なことを言ってしまったと後悔した。
「蓮さん、あのう、私留守番してます」
「なんで?主役いない会見なんて聞いたことないぞ」
「主役は蓮さんじゃないですか」
「皆、鏑木建設社長夫人を見にくるんだぞ」
「どうしよう」
「どうもしなくていいから、俺の隣にいればいい質問には全て俺が答える、大丈夫だ心配するな」
彼はいつも冷静で頼もしい、彼に着いていけば私は幸せになれると確信した。
テレビ中継が入り、会見が始まった、質問は全て彼が答えてくれた。
このテレビ中継を、私の元彼が見ていた。
これから始まる思いもよらぬ出来事を、私は知らずにいた。
私は会社を退職し、そして鏑木蓮と結婚した。
今までと違うことは一緒に出社していたが、私は彼を見送り、家事を熟す、そして夕食の支度をして彼の帰りを待つ生活に変わった。
彼は社長就任後とても忙しい、しかし必ず抱きしめてキスをしてくれる。
でもまだそこまで、私の心配は消えていないのである。
「美希、仕事続けたかった?」
「いきなりどうしたんですか」
「俺は美希と結婚したかったから、すごく幸せだが、美希はどうなのかなって思って」
今日の彼はいつもと違い、なんか弱気だ、でもまたそれが魅力的に写っている。
「正直不思議です、今、蓮さんの妻でいることが……私のどこを好きになってくれたのか、いまだに信じられません」
「美希は可愛いいし、優しいし、俺の方が年下なのに美希を放っておけない、守ってあげたいって思ってるよ」
「なんか擽ったいです、そう言えば聞きたかったことがあって、社長就任の日が初めてじゃないって言ってましたけど、前に私達会っていますか」
彼は三年前の私達の出会いを話し始めた。
「美希、血液型RHマイナスだよな」
「そうです、だから輸血が必要になると大変なんですよね」
「三年前輸血したの覚えてる?」
彼に言われて記憶を辿って見た、確かに輸血した覚えがある。
あの時たまたま居合わせたのがRHマイナスの私で輸血を申し出たのである。
あの日私は友達と買い物をして帰るところだった。
大通りに出てタクシーを拾おうとした時、目の前をオートバイが横滑りして、道路の植え込みに突っ込んだ。