ぼくの町に着くのは夕方になる、と蒼葉は言った。
「寝てていいぞ」
「やだ」
「着いたら起こしてやる」
「まだ朝だよ。蒼葉みたいにたくさん寝れないよ」
あきれ気味に言ったら、このやろう、と頭をどつかれた。
まるで逆再生のように、あの日来た道を辿っていく。蒼葉と出会ったあの夜は、周りの景色なんて見えなかった。吸い込まれそうな真っ暗闇の中、蒼葉はひたすら車を走らせて、ぼくはただ、町を離れられる安心感に溺れて眠っていた。
ぼくは車のシートにくたりともたれて、窓の外を眺めた。青い空が、白い雲が、対向車線を走る車が、左から右へ流れていく。一秒、一メートル。どんどん、海が遠ざかる。
「……海、綺麗だった」
「ああ」
「波の音って、落ち着くから好き」
「俺も。子守唄みたいだ」
「めぐさんの歌もすごく好き」
「あいつは昔からうまいんだ。ファンもたくさんいるしな」
「神奈の料理、また食べたいなぁ」
「あんまり褒めると調子に乗るぞ」
「烏丸先生ともっとしゃべりたかった」
「また来た時に話せばいい」
そんな他愛もない会話をしながら、ぼくたちは、滑るように高速道路を走っていった。一緒にいる時間を長引かせるように、途中、三回もパーキングエリアに寄った。珍しいお土産や食べ物に目移りしていたら、蒼葉がわかめソフトを買ってくれた。
「わかめが入ってるの?」
「いいから、食ってみろ」
ぼくはまじまじと緑色のソフトクリームを凝視した。恐る恐るぺろっと舐めてみる。
「おいしい!」
「だろ?」
蒼葉は得意げににっと笑って、ぼくのソフトクリームをぺろりと舐めた。
「自分の買いなよ」
「一口でいい」
「全然一口じゃない!」
一言、一言。言葉を吐くたび、タイムリミットが迫っているような気がした。別れの不安を振り払うように、ぼくたちは絶え間なくしゃべり続けた。 ?
意地悪な神様は、時の流れを緩めてはくれない。高速道路を抜けてしばらくすると、窓の外は見慣れた景色に染まっていった。海もない。かもめもいない。そんな平凡な町に着いたのは、五時を過ぎた頃だった。
家へと向かう前、ぼくたちは町で一番大きな病院に立ち寄った。
「302号室だって」
受付でユリさんのいる病室を聞いて、ぼくは蒼葉の元へと戻った。
「個室だって。昨日目が覚めたみたいで、体調もいいって」
「そうか」
蒼葉は短く答えて、ぼくの手を握った。大きな手が、緊張しているように汗ばんでいた。
病室の前に辿り着いたところで、蒼葉はためらうように足をとめた。呼吸を整えるように、少し、息を吐いた。大丈夫? 尋ねるように視線を投げたら、蒼葉は小さく頷いて、軽く扉をノックした。
返事はなかった。ぼくたちは顔を見合わせて、ゆっくりと扉を開いた。
白いカーテンが、風を含んで波のように揺れていた。白い壁。白い天井。絵を描く前のキャンパスのような、真っ白な空間。白いベッドに近づいたら、女の人が眠っていた。
穏やかに眠るユリさんは、一輪の花のように儚げだった。入院しているせいか、元々白い肌は更に白く、透けてしまいそうなほどだ。頭に巻かれた包帯が痛々しい。けれど、唇の隙間から漏れる寝息は安らかだった。
「眠ってる」
「……そうだな」
蒼葉はぼくから手を離すと、ユリさんの顔を覗き込んだ。海を見つめる時と同じ瞳だ。怯えるような、だけど焦がれるような、愛しそうな表情。恐る恐る手を伸ばして、白い頬にそっと触れる。
ぼくは静かに病室から出た。
「寝てていいぞ」
「やだ」
「着いたら起こしてやる」
「まだ朝だよ。蒼葉みたいにたくさん寝れないよ」
あきれ気味に言ったら、このやろう、と頭をどつかれた。
まるで逆再生のように、あの日来た道を辿っていく。蒼葉と出会ったあの夜は、周りの景色なんて見えなかった。吸い込まれそうな真っ暗闇の中、蒼葉はひたすら車を走らせて、ぼくはただ、町を離れられる安心感に溺れて眠っていた。
ぼくは車のシートにくたりともたれて、窓の外を眺めた。青い空が、白い雲が、対向車線を走る車が、左から右へ流れていく。一秒、一メートル。どんどん、海が遠ざかる。
「……海、綺麗だった」
「ああ」
「波の音って、落ち着くから好き」
「俺も。子守唄みたいだ」
「めぐさんの歌もすごく好き」
「あいつは昔からうまいんだ。ファンもたくさんいるしな」
「神奈の料理、また食べたいなぁ」
「あんまり褒めると調子に乗るぞ」
「烏丸先生ともっとしゃべりたかった」
「また来た時に話せばいい」
そんな他愛もない会話をしながら、ぼくたちは、滑るように高速道路を走っていった。一緒にいる時間を長引かせるように、途中、三回もパーキングエリアに寄った。珍しいお土産や食べ物に目移りしていたら、蒼葉がわかめソフトを買ってくれた。
「わかめが入ってるの?」
「いいから、食ってみろ」
ぼくはまじまじと緑色のソフトクリームを凝視した。恐る恐るぺろっと舐めてみる。
「おいしい!」
「だろ?」
蒼葉は得意げににっと笑って、ぼくのソフトクリームをぺろりと舐めた。
「自分の買いなよ」
「一口でいい」
「全然一口じゃない!」
一言、一言。言葉を吐くたび、タイムリミットが迫っているような気がした。別れの不安を振り払うように、ぼくたちは絶え間なくしゃべり続けた。 ?
意地悪な神様は、時の流れを緩めてはくれない。高速道路を抜けてしばらくすると、窓の外は見慣れた景色に染まっていった。海もない。かもめもいない。そんな平凡な町に着いたのは、五時を過ぎた頃だった。
家へと向かう前、ぼくたちは町で一番大きな病院に立ち寄った。
「302号室だって」
受付でユリさんのいる病室を聞いて、ぼくは蒼葉の元へと戻った。
「個室だって。昨日目が覚めたみたいで、体調もいいって」
「そうか」
蒼葉は短く答えて、ぼくの手を握った。大きな手が、緊張しているように汗ばんでいた。
病室の前に辿り着いたところで、蒼葉はためらうように足をとめた。呼吸を整えるように、少し、息を吐いた。大丈夫? 尋ねるように視線を投げたら、蒼葉は小さく頷いて、軽く扉をノックした。
返事はなかった。ぼくたちは顔を見合わせて、ゆっくりと扉を開いた。
白いカーテンが、風を含んで波のように揺れていた。白い壁。白い天井。絵を描く前のキャンパスのような、真っ白な空間。白いベッドに近づいたら、女の人が眠っていた。
穏やかに眠るユリさんは、一輪の花のように儚げだった。入院しているせいか、元々白い肌は更に白く、透けてしまいそうなほどだ。頭に巻かれた包帯が痛々しい。けれど、唇の隙間から漏れる寝息は安らかだった。
「眠ってる」
「……そうだな」
蒼葉はぼくから手を離すと、ユリさんの顔を覗き込んだ。海を見つめる時と同じ瞳だ。怯えるような、だけど焦がれるような、愛しそうな表情。恐る恐る手を伸ばして、白い頬にそっと触れる。
ぼくは静かに病室から出た。