「着いたよ」

 神奈に肩を揺すられて、ぼくはゆっくりと目蓋を上げた。眠たい目をこすりながら、シートから背中を浮かす。目の前に広がる光景に、はっと、息を呑んだ。

 シートベルトを外して車から出た。柔らかい砂に足をとられて、よろけそうになった。潮風のにおいが鼻をくすぐる。穏やかな波の音に誘われて、ぼくはゆっくり歩き始めた。

 そこは、海だった。五年前と変わらない、透き通るような青。朝日に照らされた水面は、宝石を散りばめたようにきらきらと輝いている。新しい日を告げるかもめが、甲高く鳴いていた。

 戻ってきたのだ。空と海の境界を眺めて、ぼくは目を細めた。肌に絡みつく潮のにおい。鼓膜を揺さぶる波の音。瞳を青く染める、広大な海。全てあの頃のままだ。

 言い表せない感動が、左胸を強く打った。帰ってきたんだ、ぼくは。

「まだ泳ぐには寒いでしょ」

 後ろから神奈が声を掛ける。そうだね、と頷いて、ぼくはその場にしゃがみこんだ。白い波が何度も行き来して、砂浜の色を濃くしている。波を掴もうと手を伸ばしたら、ドライアイスに触れたようにひやっとした。

「神奈?」

 背後から声が聞こえて、ぼくらは同時に振り向いた。

 女の人が立っていた。一つに束ねた、亜麻色の長い髪。透けるような白い肌。白いワンピースが風になびいている。砂浜に咲く百合のような、清楚な雰囲気を持っていた。

「ちょっと、どこに行ってたの!」

 地響きが起きそうなくらい大きな声だった。その綺麗な女の人は、両腕に抱えた荷物を置いて、大股で神奈に詰め寄った。

「昨日から車もないし、何の連絡もくれないし……心配したんだから!」
「ご、ごめんごめん……」

 鬼のような剣幕に神奈がたじろぐ。その様子がおかしくて、ぼくはくすっと笑ってしまった。

「ユリさん」

 立ち上がって、名前を呼ぶ。ユリさんは、今初めてぼくの存在に気づいたように振り返った。

「……もしかして、野ばらちゃん?」
「うん。久しぶり」
「えっ、ええーっ!」

 早朝の海に、ユリさんの悲鳴が響き渡った。ぼくと神奈は顔を見合わせて苦笑した。