物音を立てないように気をつけながら、ぼくはそっと部屋に入った。電気がついていないせいで、部屋の中は海のように薄暗い。

 蒼葉は薄っぺらい布団の上で、死んだように眠っていた。ぼくはゆっくりと近づいて、蒼葉の顔をよく見ようと膝を折った。薄く開いた唇の隙間から、静かな寝息が聞こえる。穏やかな寝顔には、痛みや辛さは見られない。確かに、生きている。安心したら急に体が重くなって、倒れるように蒼葉の隣に横たわった。

 部屋の中は、時がとまったようにひっそりと静まり返っていた。外から聞こえる雨音だけが、飾り程度に鼓膜に響いてくる。雨のにおいが畳に染み込んで、なんとなく空気が湿っぽい。

 ごめんね、蒼葉。

 心の中で呟いて、そっと蒼葉の手を握った。大きい、けれどどこか弱々しい手。この手が、ぼくを暗闇から光へと引き戻してくれた。駄菓子屋で出会ったあの夜も、そしてさっきも。

 海の中に沈んでいく時、光がどんどん薄れていって、怪物のおなかに呑み込まれていくようだった。見えない何かに体を掴まれて、死へと引っ張られていくような気がした。エメラルドグリーンの、綺麗な海。ぼくを優しく包んでくれる海は、全く別のものに変わっていた。きっと蒼葉は知っていたんだ。海は優しいだけじゃない、怖いものだってことを。

 波に呑まれる直前、一瞬だけ、蒼葉の姿が見えた。波をかき分けて泳ぐ蒼葉は、イルカのように力強くて綺麗だった。

 思い出すように、目蓋を閉じた。意識がどんどん遠くなって、深い夢の中へと引きずり込まれていく。重ねた蒼葉の手が、ぼくの手をぎゅっと握り返したような気がした。