「リリィ・ローズ」の扉を開けると、楽しげな鈴の音が不釣り合いに響き渡った。奥のソファに腰掛けていた神奈が、ぼくらに気づいて顔を上げた。朝の陽気な表情は見る影もない。大きな瞳は、ぼくと同じ色をしている。

「蒼葉はどう?」

 めぐさんが問いかけると、「大丈夫だ」としゃがれた声がした。ぼくは神奈の向かい側に座っている、大柄な男を見た。ぼくらの方なんて見向きもせずに、腕を固く組んでいる。

「一時的に体に負担がかかっただけだ。じきに回復する」
「そう。よかった……」
「全然よくねぇ」

 めぐさんの安堵を、烏丸先生はぴしゃりと打ち砕いた。

「あいつ、また薬を飲まずにいやがったんだ。この間あれだけ説教したのに。俺の言うことなんて何一つ聞きやしねぇ。そもそも、何でこんな雨の日に海に入ったんだ? 自殺行為だ!」

 ドンッ! と先生がテーブルを叩いた。ぼくはめぐさんに飛びついた。全身がまた震え始めた。こらえていたはずの涙が、再び視界をぼやけさせた。

「野ばらのせいじゃない」

 めぐさんはぼくを抱き寄せて、優しく囁いた。

「でも、もう雨の日に海に入っちゃだめだよ」

 ぼくは頷くこともできずに、めぐさんの胸に顔を埋めた。ぼくが海に入らなかったら、蒼葉が倒れることもなかった。あと一歩で自分も蒼葉も死んでいたかもしれない。そう考えると怖くて、とても怖くて、考えなしに海に入ってしまった自分を責めずにはいられなかった。

「このガキ、蒼葉の何なんだ?」
「野ばらちゃんだよ。今、蒼葉と一緒に住んでる」

 神奈が疲れた声で教える。恐る恐る顔を上げたら、すぐ近くに烏丸先生のしかめっ面があった。

「一緒にぃ? どういうことだ?」
「あんまり怖い顔しないでおくれ。怖がってる」

 めぐさんはかばうように先生からぼくを遠ざけた。「元からこういう顔なんだ。仕方ねぇだろ……」烏丸先生がちょっと困ったように頭を掻いた。

「……ぼく、蒼葉のところへ行く」

 ぼくはめぐさんから体を離して、小さく呟いた。思うことはいろいろあるけれど、今は一刻も早く蒼葉に会いたかった。

「蒼葉なら部屋で寝てるよ。起こさないようにね」

 神奈の言葉に頷いて、逃げるようにお店を出た。ちらりと後ろを振り返ると、烏丸先生が怪訝そうにぼくを見ていた。