その日、空は浮かない色をしていた。

「……ごちそうさま」

 オムライスを半分ほど食べたところで、ぼくはスプーンをテーブルに置いた。

「あれ、これだけしか食べないの?」

 カウンター越しにお皿を覗き込んだ神奈が、びっくりしたように問いかけた。ぼくは力なく「うん……」と頭を下げた。

「具合、悪いのか」

 隣に座る蒼葉も、物珍しげにぼくの顔色をうかがってくる。ぼくはちらりと蒼葉を見て、すぐに目を逸らした。

「ううん、平気。神奈、残しちゃってごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。体調悪かったら我慢しないで言うんだよ?」
「うん。……海、見てくるね」
「あんまり遠くにいくなよ」

 背中に投げられた蒼葉の優しさに耳を塞いで、ぼくはそそくさとお店を出た。

 真昼間であるにもかかわらず、海は普段のようなきらめきを失っていた。分厚い雲が太陽の邪魔をしているせいだ。光は届かなくても気温だけは高くて、ムシムシとした空気が肌をじんわりと汗ばませた。

 ぼくは波打ち際にしゃがみこんで、足元に伸びてくる波をぼんやりと眺めた。

「海に入れないって、辛いなぁ……」

 思わず、そんなひとりごとが口から漏れた。海に入れば、昨日お姉ちゃんが言った言葉も、この胸に積もったもやもやも、全部忘れられるのに。

 ――蒼葉は、強盗犯なのかもしれない。

 昨日の夜からずっと、その疑惑は頭の隅にカビみたいにこびりついて離れなかった。

 蒼葉は悪い人なのだろうか? 優しい蒼葉が強盗をするなんて、にわかには信じられない。だけど百パーセント「違う」と否定するには、分からないことがいくつもある。

 あの日、どうしてユリさんの駄菓子屋にいたの? 蒼葉はユリさんを知っているの? 「ユリさんは?」と聞いたら、「いない」と答えたけれど、あれは本当? 

 濡れた砂浜に埋もれている、大きな石を手に取った。まっさらな砂浜を汚すように、ガリガリと地面を掘っていく。どれだけ掘り進めても、答えなんて出るわけないのに。

 直接聞けばいいのかな。「蒼葉は強盗犯ですか」って? 「どうしてあの夜、駄菓子屋にいたの」って。だけど多分、蒼葉は答えてくれない。そんな気がする。

 ぼくは顔を上げて、淀んだ色の海を見た。

 今日の海は、寂しい。いつもなら、太陽光が波に乗って、どこもかしこもきらきらしているのに。今は暗い表情で、ただ、そこに広がるだけ。蒼葉の瞳と、同じ色だ。
 ぼくにとって蒼葉は、ぼくを認めてくれた人で、ぼくを受け入れてくれた人で。だからこそ、傍にいたいと思った。傍に、いてほしいと思った。 

 でもきっと、蒼葉にとってのぼくは、出会って数日しか経っていないただの子供だ。それ以上でも、それ以下でもない。偶然出会っただけの他人なんだ。どこまで近づくことが許されて、どこからがだめなのか。どこまで踏み込むのが自然で、どこからが不自然なのか。境界線はどこにあるの。どこまでが許容範囲なの。分からないよ、蒼葉。

 答えのない問いばかりがぐるぐる回る。まるであの夜に戻ったみたいだ。いろんな色の絵の具をこぼしたように、頭の中がぐちゃぐちゃになる。なんだか無性に悲しくなって、視界がぼんやりと滲んだ。どうしてなのかは分からない。ぼくに呼応するように、ぽつり、ぽつりと、涙のような雨が空から落ちてきた。肌にあたる雨が痛い。すり切れた糸のように細い線が、空と海を繋いでいる。空と海の境界線を、曖昧にしている。

 水平線を眺めていたら、ふと、肌を打っていた雨がやんだ。膝を抱えたまま見上げると、雨からぼくを守るように、蒼葉が傘を差し出していた。

「風邪、ひくぞ」

 ぶっきらぼうに、だけど温かく、蒼葉が言う。ぼくは何も言わずに、じっと蒼葉を見つめた。いつもと変わらない、疲れたような表情。前髪から覗く暗い瞳。出会った時から何も変わらない。変わっていない、はずなのに。

 何も言わないぼくを不思議に思ったのか、蒼葉は膝を折ってぼくの顔を覗き込んだ。

「どうした」

 ぼくは逃げるように目を逸らした。何か言わなければいけない。そう思うのに、探せば探すほど、言葉は見つからなくなっていく。人形のように動かずにいると、ぼくの耳に、蒼葉がぴたりと何かをあてた。