次の日。目が覚めたぼくは、トイレに行ってぎょっとした。ナプキンがずれて、血がショーツに染み込んでいる。はっとしてワンピースの後ろを見ると、予想通りおしりの後ろが赤く染まっていた。慌てて謝ると、めぐさんは新しいショーツと服を用意してくれた。
「ごめんなさい……」
「よくあることさ。気にしなくていいよ」
めぐさんはそう言って、汚れたショーツとワンピースを洗濯機に放り込んだ。情けなくて、恥ずかしくて、また涙が溢れそうになった。唇を噛み締めて、ぐっと涙をこらえていたら、よしよしと頭を撫でられた。
「悲しむようなことじゃないんだよ。初めてなんだから」
「うん……」
「でも生理の時は、白い服は着ない方がいいかもね。あたしもうっかりしてたよ。ごめんね」
「えっ……白いワンピース、着れないの?」
「着れないってことはないけど、汚れた時に目立つから」
ぼくは俯いて、黒いスカートの裾をきゅっと握った。生理になると、白いワンピースも着られないんだ。せっかく、蒼葉が褒めてくれたのに。「天使みたい」って笑ってくれたのに。
朝ご飯にスープを一杯だけ飲んだ。そのまましばらく座っていたら、急におなかが痛くなった。ただの腹痛とはちょっと違う。「生理痛」ってやつだよ、とめぐさんは言った。
「生理の時って、気持ち悪くなったり、食欲がなくなったりする人もいるんだ。今日はしっかりお休み」
めぐさんからもらった薬を飲んで、また、ベッドに横になった。全身がだるくて、何もする気になれない。太陽の光が疎ましくて、開けたカーテンをまた閉めた。喉の奥が気持ち悪い。さっき食べたスープが逆流しそうだ。クーラーから吐き出される風が冷たくて電源を切ったら、今度は逆に暑くなった。肌に浮かぶ汗がべたつく。仕方なくまたクーラーをつけて、ごそごそと布団に潜った。真っ暗な闇の中に身を浸したら、不安が一気に重みを増した。
どうしよう。おんなに、なっちゃった。蒼葉の傍に、いられなくなっちゃった。ぼくには蒼葉しかいないのに。蒼葉に嫌われたら、ぼくはどうすればいいの。どこに行けばいいの。
「野ばらちゃん」
ドアをノックすると同時に、神奈の声がぼくを呼んだ。ぼくは布団から顔を半分だけ出した。
「僕だよ。入ってもいい?」
「……いいよ」
短く答えると、神奈が部屋に入ってきた。
「体調はどう?」
「う、ん……」
ぼくは曖昧に唸って、ごろりと神奈に背を向けた。どんな顔をすればいいのか分からない。神奈はベッドの近くにある椅子に腰掛けた。
「何か食べたいものとかあったら言ってね。野ばらちゃんの好きなもの、何でも作ってあげるからね」
「うん……」
「蒼葉も心配してたよ。あんなにあいつが慌てるの、初めて」
「……あおば……」
名前を聞いたら、こらえていた涙がどっと瞳に溢れてきた。胸の奥に石が詰まったみたいだ。うまく呼吸ができない。
「おんなに、なっちゃった」
喉の奥が、火傷をしたみたいに痛んだ。
「もう、蒼葉の傍にいられないよ……」
「……どうして?」
後ろから、神奈が優しく問いかけてきた。ぼくは布団の端っこをぎゅっと握り締めた。
「ぼくはずっと、おんなになるのが嫌だったの。自分の体が、自分のものじゃなくなる気がして。……おんなになると泳げなくなるし、男の子と一緒に遊べなくなる。それが嫌で逃げ出したのに……」
「蒼葉はそんなの気にしないよ。すぐに何かが変わるわけじゃない」
「でも蒼葉、おんなは苦手だって言ったよ。だから、おんなになったら蒼葉の傍にいられない」
「野ばらちゃんはおんなである前に野ばらちゃんだよ」
神奈の手がそっとぼくの頭に触れた。ガラス細工に触るように慎重に、赤ちゃんに触れるように優しく、ぼくの髪を撫でてくれた。
「ぼくは野ばらちゃんのこと、昨日も今も仲良しな友だちだと思ってるよ。それに女の子は男の子より融通がきくから。ぼくは野ばらちゃんがうらやましいよ」
「……どういうこと?」
ぼくは体の向きを変えて、涙越しに神奈を見た。
「男がスカート履いたら気持ち悪いって思われるでしょ? かわいいものとか持っててもバカにされるし。でもさ、かっこいい女の子って素敵じゃん。『ボーイッシュ』って、褒め言葉だしね」
確かにそうかもしれない。寧々みたいにかわいい女の子もいれば、隣のクラスのアキみたいにかっこいい女の子もいる。みんな、おんな。でも、みんな、違う。
「だから、君は何にでもなれるよ。おんなにだって、なれる。変身ができるようになったと思えばいいよ。海だって、またすぐ泳げるようになる」
「……蒼葉は、嫌じゃないかな」
涙が真横に流れていって、白い布団にシミを作った。
「ぼくのこと、嫌いになったりしないかなぁ……」
「そんなこと、あるわけない。野ばらちゃんだって、ほんとは分かってるはずだよ」
徐々に視界がはっきりして、神奈の優しい笑顔が見えた。太陽みたいな金色の髪。大きな瞳。夏の色をした肌。明るくて面白い、優しい優しいお兄さん。
神奈と話していたら、苦しかった呼吸がいつの間にか穏やかになっていた。まだ波は荒いけれど、嵐が去ったあとの海みたいに、心が凪いでいくのを感じた。
「落ち着いたら会いにいってあげて。昨日から心配でそわそわしてるんだ、あいつ」
「……うん。ありがとう……」
お礼を言ったら、神奈は照れたように目を細めた。クーラーの風が、優しくぼくの涙を乾かしていった。
「ごめんなさい……」
「よくあることさ。気にしなくていいよ」
めぐさんはそう言って、汚れたショーツとワンピースを洗濯機に放り込んだ。情けなくて、恥ずかしくて、また涙が溢れそうになった。唇を噛み締めて、ぐっと涙をこらえていたら、よしよしと頭を撫でられた。
「悲しむようなことじゃないんだよ。初めてなんだから」
「うん……」
「でも生理の時は、白い服は着ない方がいいかもね。あたしもうっかりしてたよ。ごめんね」
「えっ……白いワンピース、着れないの?」
「着れないってことはないけど、汚れた時に目立つから」
ぼくは俯いて、黒いスカートの裾をきゅっと握った。生理になると、白いワンピースも着られないんだ。せっかく、蒼葉が褒めてくれたのに。「天使みたい」って笑ってくれたのに。
朝ご飯にスープを一杯だけ飲んだ。そのまましばらく座っていたら、急におなかが痛くなった。ただの腹痛とはちょっと違う。「生理痛」ってやつだよ、とめぐさんは言った。
「生理の時って、気持ち悪くなったり、食欲がなくなったりする人もいるんだ。今日はしっかりお休み」
めぐさんからもらった薬を飲んで、また、ベッドに横になった。全身がだるくて、何もする気になれない。太陽の光が疎ましくて、開けたカーテンをまた閉めた。喉の奥が気持ち悪い。さっき食べたスープが逆流しそうだ。クーラーから吐き出される風が冷たくて電源を切ったら、今度は逆に暑くなった。肌に浮かぶ汗がべたつく。仕方なくまたクーラーをつけて、ごそごそと布団に潜った。真っ暗な闇の中に身を浸したら、不安が一気に重みを増した。
どうしよう。おんなに、なっちゃった。蒼葉の傍に、いられなくなっちゃった。ぼくには蒼葉しかいないのに。蒼葉に嫌われたら、ぼくはどうすればいいの。どこに行けばいいの。
「野ばらちゃん」
ドアをノックすると同時に、神奈の声がぼくを呼んだ。ぼくは布団から顔を半分だけ出した。
「僕だよ。入ってもいい?」
「……いいよ」
短く答えると、神奈が部屋に入ってきた。
「体調はどう?」
「う、ん……」
ぼくは曖昧に唸って、ごろりと神奈に背を向けた。どんな顔をすればいいのか分からない。神奈はベッドの近くにある椅子に腰掛けた。
「何か食べたいものとかあったら言ってね。野ばらちゃんの好きなもの、何でも作ってあげるからね」
「うん……」
「蒼葉も心配してたよ。あんなにあいつが慌てるの、初めて」
「……あおば……」
名前を聞いたら、こらえていた涙がどっと瞳に溢れてきた。胸の奥に石が詰まったみたいだ。うまく呼吸ができない。
「おんなに、なっちゃった」
喉の奥が、火傷をしたみたいに痛んだ。
「もう、蒼葉の傍にいられないよ……」
「……どうして?」
後ろから、神奈が優しく問いかけてきた。ぼくは布団の端っこをぎゅっと握り締めた。
「ぼくはずっと、おんなになるのが嫌だったの。自分の体が、自分のものじゃなくなる気がして。……おんなになると泳げなくなるし、男の子と一緒に遊べなくなる。それが嫌で逃げ出したのに……」
「蒼葉はそんなの気にしないよ。すぐに何かが変わるわけじゃない」
「でも蒼葉、おんなは苦手だって言ったよ。だから、おんなになったら蒼葉の傍にいられない」
「野ばらちゃんはおんなである前に野ばらちゃんだよ」
神奈の手がそっとぼくの頭に触れた。ガラス細工に触るように慎重に、赤ちゃんに触れるように優しく、ぼくの髪を撫でてくれた。
「ぼくは野ばらちゃんのこと、昨日も今も仲良しな友だちだと思ってるよ。それに女の子は男の子より融通がきくから。ぼくは野ばらちゃんがうらやましいよ」
「……どういうこと?」
ぼくは体の向きを変えて、涙越しに神奈を見た。
「男がスカート履いたら気持ち悪いって思われるでしょ? かわいいものとか持っててもバカにされるし。でもさ、かっこいい女の子って素敵じゃん。『ボーイッシュ』って、褒め言葉だしね」
確かにそうかもしれない。寧々みたいにかわいい女の子もいれば、隣のクラスのアキみたいにかっこいい女の子もいる。みんな、おんな。でも、みんな、違う。
「だから、君は何にでもなれるよ。おんなにだって、なれる。変身ができるようになったと思えばいいよ。海だって、またすぐ泳げるようになる」
「……蒼葉は、嫌じゃないかな」
涙が真横に流れていって、白い布団にシミを作った。
「ぼくのこと、嫌いになったりしないかなぁ……」
「そんなこと、あるわけない。野ばらちゃんだって、ほんとは分かってるはずだよ」
徐々に視界がはっきりして、神奈の優しい笑顔が見えた。太陽みたいな金色の髪。大きな瞳。夏の色をした肌。明るくて面白い、優しい優しいお兄さん。
神奈と話していたら、苦しかった呼吸がいつの間にか穏やかになっていた。まだ波は荒いけれど、嵐が去ったあとの海みたいに、心が凪いでいくのを感じた。
「落ち着いたら会いにいってあげて。昨日から心配でそわそわしてるんだ、あいつ」
「……うん。ありがとう……」
お礼を言ったら、神奈は照れたように目を細めた。クーラーの風が、優しくぼくの涙を乾かしていった。