汗だくになった蒼葉とタオル一枚のぼくを見ると、めぐさんは驚いたように目を見開いた。

「あんた、そんなに走って!」
「こいつのこと、頼む」

 苦しそうに咳き込みながら、蒼葉はめぐさんにぼくを渡した。めぐさんは何か言いたげに蒼葉を睨んだけれど、何も言わずにぼくを優しく抱き締めた。そのまま寝室に行くと、人形を置くようにぼくをベッドに座らせた。クローゼットから白いマキシスカートを取り出して、タオルの代わりにすっぽりと被せる。

「目、真っ赤」

 めぐさんは腰を曲げて、タオルで優しく涙を拭ってくれた。鏡を見ると、言われた通り、ぼくの目はうさぎのように真っ赤だった。あの、血みたいな夕焼けが、瞳に焼きついてしまったみたいだ。

「びっくりしちゃったんだね。もう大丈夫だよ」

 ぼくはまだめそめそしていた。視界が滲んでよく見えない。なんとか首を縦に振ると、めぐさんは「ちょっと待ってて」と部屋を出ていった。

 その言葉通り、めぐさんは一分もしないうちに戻ってきた。そして、はい、とぼくにパンツと白いガーゼのようなものを差し出した。

「……これ、何?」
「生理用ショーツとナプキン。血がこぼれないようにするんだよ」

 確か、美奈子先生が授業で話していた気がする。めぐさんはナプキンを広げると、「セイリヨウショーツ」にぴたりと貼りつけた。
「履いてみて」

 ぼくは恐る恐るそれに足を通した。なんだかおむつみたいで気持ち悪い。

「これが多い日用。血の量が少なくなったらこっちね。あとでショーツは買い足しとくから。少し大きいかもしれないけど、今日はそれで我慢しておくれ」

 ぼくは何も言わずに頷いた。めぐさんはにっこり微笑むと、ぼくをトイレに連れていって、ナプキンのつけ方や捨て方を丁寧に教えてくれた。そうしているうちに、少しずつ、心の整理がついてきた。

 散らかったおもちゃ箱のようだった頭の中は、夕日が海に吸い込まれるにつれて、ゆっくりと綺麗になっていった。目は真っ赤に腫れたままだけれど、涙は干潮のようにすぅっと引いていった。涙が引いて、心の浜辺に現れたもの。それは綺麗な貝殻なんかじゃなくて、死んだ魚の群れみたいな、汚らしい感情だった。

 生理に、なってしまったのだ。
 おんなに、なってしまったのだ。

「……気持ち悪い」

 おなかに手をあてて呟いたら、めぐさんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫かい? 少し休みな。蒼葉には言っておくから」

「うん……」

 結局その日は、そのままめぐさんの家に泊まることになった。大きくてふかふかのベッドは、蒼葉の家の布団よりもずっと気持ちよかったけれど、ぼくはちっとも寝つけなかった。

 不安が波のように押し寄せてくる。時計の針が進むたび、体がびくっと飛び跳ねた。足の間が気持ち悪い。心臓が音を立てるたび、体の血液がちょっとずつ外に流れていくような気がする。おなかの奥に力を込めても食いとめられない。

 おんなって、こんなに大変なのかな。毎月一週間も血を流していたら、そのうち死んでしまいそうだ。ぼくは明日、一週間後、一ヶ月後、生きているのだろうか。血が足りなくなって、死んでしまわないだろうか。ううん、今はそんなことどうだっていい。ぼくが不安なのは、それじゃなくて。

「……蒼葉……」

 蒼葉は今、どうしているだろう。何を考えているのだろう。ぼくのこと、どう思っているだろう。せっかく、ぼく自身を見てくれる人を見つけたのに。おんなにならなくてもいいんだって、安心させてくれたのに。

「お前はまだ、おんなじゃない」

 そう言ってくれた蒼葉を、裏切ってしまった。

 視界がぐにゃりと歪む。涙を振り払うように寝返りをうつと、カーテンの隙間に、まんまるな月が浮かんでいた。

 蒼葉もこの月を見ているのかな。同じ空の下なのに、遠く離れてしまったみたいだ。

 蒼葉。蒼葉。――蒼葉。

 何度名前を呼んでも、蒼葉に届くことはなかった。