蒼葉を置いて一階に下りると、めぐさんが朝食を食べにきていた。さっきの出来事を話すと、めぐさんと神奈は大きな声を上げて笑い出した。

「そりゃきっと烏丸先生だね」
「からすま?」

 神奈の作ってくれたフレンチトーストを食べながら、ぼくは首を傾げた。めぐさんは笑いをこらえながら「ああ」と頷いた。

「昔なじみでね、町医者をやってるんだ。悪い人じゃないんだけど、愛想がないからねぇ。怖かったろ」
「……ちょっと」

 いや、嘘だ。かなり怖かった。おじさんの般若みたいな顔を思い出したら、全身がぶるりと震えた。あんな怖い顔で診察されたら、病状が悪化してしまいそうだ。神奈はひぃひぃと苦しそうに笑いながら、フルーツをミキサーでかき混ぜた。

「やばいよ、超面白い」
「ちょっと、笑いすぎだよ」
「めぐさんだって笑ってるじゃん。それにしても、こんな朝っぱらから来る必要ないのにね」
「逃げられないようにと思ったんだろ。でも、野ばらが出たからびっくりしてたんじゃないのかい?」
「そうは見えなかったけど……」
「いやぁ、びっくりしてたと思うよ! 顔には出ないんだ」

 神奈は眉間に思いっきりしわを寄せて、目玉をぎょろぎょろと動かして見せた。ぼくは口に手をあてて、トーストを吹き出しそうになるのを咄嗟に阻止した。

 朝食を食べ終えてジュースを飲んでいると、蒼葉が目をこすりながらお店に入ってきた。

「おそよう、蒼葉。何か食べる?」
「今はいい。飲み物くれ」
「はいはい」

 神奈は肩をすくめて棚からコップを取り出した。蒼葉はあくびをしながらぼくの隣に腰掛けた。髪に寝ぐせがついている。

「烏丸先生が来たんだってね。野ばらから聞いたよ」
「みたいだな」

 神奈からオレンジジュースを受け取りながら、蒼葉が答える。めぐさんはあきれたように笑った。

「まだ顔見せてなかったのかい。相当お怒りだよ、あの人」
「しかめっ面なのはいつものことだけどね」

 神奈は苦笑しながら、ぼくに向かってウィンクした。

「行っといた方がいいんじゃないの。きっとまた来るよ」

 蒼葉はストローをくわえながら、反抗的にずるずると音を立てた。

 そんなに会うのが嫌なのかな。大人なのに、時折蒼葉は子供みたいだ。じっと見つめていると、蒼葉は一気にジュースを飲み干して立ち上がった。

「今から行ってくる。……こいつのこと、頼む」
「はいはぁい」

 神奈がひらひらと手を振る。蒼葉はぼくの頭を軽く叩いて、そのままお店から出ていった。

「こりゃ、夕方までは帰ってこないねぇ」
「そんなに?」

 めぐさんは苦笑しながら頷いた。

「お説教されるんだ。烏丸先生は、蒼葉の兄貴みたいなもんだから」

 外からエンジンのかかる音が聞こえてきた。砂埃を舞い上がらせながら、蒼葉が海から離れていく。そうか。蒼葉は今日いないのか。遠ざかっていく車を見たら、夏なのに、心が少しだけ寒くなった。別に一緒に遊んでくれるわけじゃないし、特におしゃべりをするわけでもない。それなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう……。

「野ばらちゃん、今日はどうする? 僕、ちょっと用事があるから昼間は遊べないんだ」
「えっ、神奈もいないの」

 ごめんね、と神奈が両手を合わせる。ぼくは腕を組んでうーんと唸った。一人で海に浮かぶのもいいけど、ずっとそれじゃあつまらない。

「じゃあうちに来るかい?」
「めぐさんのおうち? あの岬の上の?」

 岬の上にある大きなお屋敷を思い出した。そうだよ、とめぐさんが頷いた。

「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。どう?」
「……行く! 行ってみたい」

 身を乗り出して答えると、めぐさんはにっこりと笑った。