部屋に戻ると、ぬるい空気が肌に触れた。つけたばかりのクーラーが低く唸っている。蒼葉は窓枠に座って、疲れたように海を見ていた。長すぎる足が、置き場所に困ったように畳の上に投げ出されている。ぼくは蒼葉と同じように、窓枠におしりを軽く乗せた。

「どうしたの?」
「女は苦手だ」
「……ぼくは?」

 潮風に揺れる髪の毛を疎ましそうに払いながら、蒼葉はぼくの方に首を回した。一階から、お客さんたちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。さっきまでいた場所のはずなのに、何故かとても遠くに感じた。

「お前はまだ、おんなじゃない」

 ぼそっと呟いて、蒼葉は再び海に視線を戻した。ぶっきらぼうで、素っ気ない。だからこそ分かる、偽りのない言葉。

「……そっか」

 口元が緩まないように、ぼくは強く唇を噛んだ。おんなじゃない。蒼葉の低い声が耳をすり抜けて、暖かい潮風のように体中を巡っていく。

 たとえ周りの友だちがおんなになっても。先生に変だと言われても。そうだ、ぼくはまだ、おんなじゃない。おんなの色に、染まっていない。ぼくはぼくのままでいればいい。そう、言われたような気がした。

「戻らないのか」
「うん。……ここにいる」

 蒼葉はそうか、と頷いただけで、それ以上何も言うことはなかった。なびく髪を押さえながら、ぼくは外に目を向けた。夜空に浮かぶまんまるな月が、淡い光を海に注いでいる。もしも地球が大きな入れ物だとしたら、あれは外から差し込む光なのだろう。あの月に向かって歩いていけば、一面が光に包まれた、夢の世界があるかもしれない。そんな、おとぎ話みたいなことを考えた。

 ぼくの空想を笑うみたいに、波の音が静かに響いてくる。蒼葉はもう何も言わない。ぼくもまた、しゃべらない。特に話をするわけでもない。手を繋ぐわけでも、笑い合うわけでもない。でも何故か、蒼葉の隣は居心地がよかった。

 やがて、玄関のチャイムが二人だけの世界を破った。蒼葉は面倒そうに首を回して、のろのろと玄関へと歩いていった。

「どうした」
「騒いじゃってごめんね。これ、よかったらもらって」

 聞こえてきたのはめぐさんの声だった。窓枠から下りて玄関を覗くと、ぼくに気づいためぐさんが軽く手を振った。ぼくが手を振り返すと、めぐさんは「じゃあ」とお店に戻っていった。

 パタンと扉がしまると、蒼葉はぼくの方を見た。めぐさんから渡された袋をちょっと上げて、意見をうかがうみたいに首を傾げる。それが何であるか分かると、ぼくは大きく飛び跳ねた。