夜になると「リリィ・ローズ」の看板に光が灯って、お客さんがぽつりぽつりと集まり始めた。周りに建物がないから、太陽が沈むと光を放っているのはここだけになる。どこからともなく集まるお客さんは、まるで花に集まるちょうちょみたいだ。甘い蜜を求めて、この小さな隠れ家のような場所に飛んでくる。昨日から、ぼくもそのうちの一匹になってしまった。
今夜のご飯は、神奈特製のロコモコだった。添えられたサラダにはしいたけがたっぷり入っている。蒼葉の嫌そうな顔を見て、神奈は意地悪くふふん、と笑った。
「ちゃんと残さず食べてね」
神奈がカウンターを離れた隙に、蒼葉は素早くぼくのお皿にしいたけを乗せた。
「やる」
「神奈に怒られるよ」
「怒っても怖くない」
「だめだよ、好き嫌いしちゃ」
神奈に気づかれないようにひそひそ声で言う。蒼葉は子供のように唇を尖らせた。
「お前、好き嫌いとかないわけ」
「ぼく? うーん、あんまりない」
「昨日、海鮮丼にわさび入れなかったろ」
「大人になれば食べられるようになるって、お姉ちゃんが言ってたもん」
「……大人になっても、食えないものもあるだぞ」
「でも、せっかく神奈が作ってくれたんだから、一口だけでも食べて。はい」
しいたけを箸で挟んで差し出すと、蒼葉は嫌そうに顔を背けた。
「神奈に気づかれちゃう。あーん」
ぐいっと口元に箸を持っていく。蒼葉は周りをちらちら見たあと、目をつぶってぱくっとしいたけを食べた。まるでゲテモノを食べたような表情で数回噛んで、水をぐいっと喉に流し込む。
「やっぱりまずい」
「でも食べられたよ」
「お前が無理やり食わせたんだ」
「そうかも」
えへへ、と笑ったら、蒼葉は恨めしそうにぼくのほっぺたを引っ張った。
店内には、昨日と同じ穏やかな音楽が流れていた。どこかで聞いたことのあるような、でもやっぱり知らないような、おしゃれなジャズ・ミュージック。普段ぼくが聞くのは、お姉ちゃんの好きな男性アイドルの曲くらいだ。知らないジャズも、澄んだ海も、白い砂浜も、ぼくの町にはない。王国と名づけたぼくらの公園も、この場所に比べたら、なんてつまらない場所なんだろう。
夕食を食べ終えてしばらくしたら、めぐさんがお店にやってきた。その後ろには立夏さんたちもいる。
「あーっ、蒼葉だ!」
蒼葉に気づいた立夏さんが、大声を上げて蒼葉に駆け寄った。
「久しぶり。相変わらず元気ないね」
「……相変わらず、元気だな」
「だって花の女子大生だもん。今日から友だちと一緒にバカンスなんだよ。気が向いたら蒼葉も遊んでね」
「やだよ」
蒼葉は短く答えて、逃げるようにオレンジジュースを飲んだ。友だち二人が、立夏さんに「この人、誰?」とひそひそ声で聞いている。蒼葉は一瞬で女の子たちに囲まれてしまった。
「こらこら、あんまり騒がないの」
めぐさんが注意しても、彼女たちは楽しげなおしゃべりをやめない。蒼葉は居心地悪そうに肩をすくめて、適当に相槌をうっていた。
「お嬢様方、注文何にするか決めた?」
カウンターから、神奈がかしこまった口調で三人に問いかけた。
「あっ、あたしカシスオレンジ。麻衣は?」
「えーっとじゃあ……」
女の子たちがメニューを眺め始めた隙に、蒼葉はそそくさと席を立ち、こっそりとお店を出ていった。ぼくはぴょんっと席から飛び降りて、蒼葉の背中を追いかけた。
今夜のご飯は、神奈特製のロコモコだった。添えられたサラダにはしいたけがたっぷり入っている。蒼葉の嫌そうな顔を見て、神奈は意地悪くふふん、と笑った。
「ちゃんと残さず食べてね」
神奈がカウンターを離れた隙に、蒼葉は素早くぼくのお皿にしいたけを乗せた。
「やる」
「神奈に怒られるよ」
「怒っても怖くない」
「だめだよ、好き嫌いしちゃ」
神奈に気づかれないようにひそひそ声で言う。蒼葉は子供のように唇を尖らせた。
「お前、好き嫌いとかないわけ」
「ぼく? うーん、あんまりない」
「昨日、海鮮丼にわさび入れなかったろ」
「大人になれば食べられるようになるって、お姉ちゃんが言ってたもん」
「……大人になっても、食えないものもあるだぞ」
「でも、せっかく神奈が作ってくれたんだから、一口だけでも食べて。はい」
しいたけを箸で挟んで差し出すと、蒼葉は嫌そうに顔を背けた。
「神奈に気づかれちゃう。あーん」
ぐいっと口元に箸を持っていく。蒼葉は周りをちらちら見たあと、目をつぶってぱくっとしいたけを食べた。まるでゲテモノを食べたような表情で数回噛んで、水をぐいっと喉に流し込む。
「やっぱりまずい」
「でも食べられたよ」
「お前が無理やり食わせたんだ」
「そうかも」
えへへ、と笑ったら、蒼葉は恨めしそうにぼくのほっぺたを引っ張った。
店内には、昨日と同じ穏やかな音楽が流れていた。どこかで聞いたことのあるような、でもやっぱり知らないような、おしゃれなジャズ・ミュージック。普段ぼくが聞くのは、お姉ちゃんの好きな男性アイドルの曲くらいだ。知らないジャズも、澄んだ海も、白い砂浜も、ぼくの町にはない。王国と名づけたぼくらの公園も、この場所に比べたら、なんてつまらない場所なんだろう。
夕食を食べ終えてしばらくしたら、めぐさんがお店にやってきた。その後ろには立夏さんたちもいる。
「あーっ、蒼葉だ!」
蒼葉に気づいた立夏さんが、大声を上げて蒼葉に駆け寄った。
「久しぶり。相変わらず元気ないね」
「……相変わらず、元気だな」
「だって花の女子大生だもん。今日から友だちと一緒にバカンスなんだよ。気が向いたら蒼葉も遊んでね」
「やだよ」
蒼葉は短く答えて、逃げるようにオレンジジュースを飲んだ。友だち二人が、立夏さんに「この人、誰?」とひそひそ声で聞いている。蒼葉は一瞬で女の子たちに囲まれてしまった。
「こらこら、あんまり騒がないの」
めぐさんが注意しても、彼女たちは楽しげなおしゃべりをやめない。蒼葉は居心地悪そうに肩をすくめて、適当に相槌をうっていた。
「お嬢様方、注文何にするか決めた?」
カウンターから、神奈がかしこまった口調で三人に問いかけた。
「あっ、あたしカシスオレンジ。麻衣は?」
「えーっとじゃあ……」
女の子たちがメニューを眺め始めた隙に、蒼葉はそそくさと席を立ち、こっそりとお店を出ていった。ぼくはぴょんっと席から飛び降りて、蒼葉の背中を追いかけた。