校門のところに、男の人が立っていた。保護者にしてはまだ若い。卒業式に不釣り合いな、黒のロングコート。男の人にしては少し長い黒髪。心臓が、どきんと跳ねた。春の嵐のように、心が騒いだ。

 じっと見つめていたら、その人もぼくに気づいたようだ。口元に微かな笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「野ばらちゃん」

 懐かしい声でぼくを呼ぶ。この人を、ぼくは知っている。

「僕だよ、僕。忘れちゃった?」
「……神奈?」

 恐る恐る、名前を呼んだ。五年前と変わらない瞳が、ぼくを映して頷いた。

「誰? 知り合い?」

 寧々がひっそりとぼくに尋ねる。だけどぼくには、答える余裕なんて少しもなかった。

「……ごめん。やっぱ、先行ってて」
「おい、野ばら……」

 引き留めようとするテルから、逃げるように離れた。見えない糸に引かれるみたいに、するすると体が引き寄せられた。足がふらふらする。視界がぐらぐら揺れる。

 辿り着いた先にいるその人を、観察するようにじっと見つめた。昔よりも背が縮んだように思える。いや、違う。ぼくが大きくなったんだ。大きくてまんまるな瞳が、懐かしそうに細められた。

「久しぶり。卒業、おめでとう」
「ありがとう。……びっくりした。髪の色、変わってたから」
「え? ああ、そっか。五年ぶりだもんね」

 神奈は髪の毛を指でいじって、照れくさそうに笑った。

「野ばらちゃんも変わったね。背も伸びたし、髪も伸びて……女らしくなったよ。もう野ばらちゃんっていうより、野ばらさんだね」 

「なぁに、それ」

 おかしな言い方に、思わず顔がほころんだ。雰囲気は少し大人びたけれど、やっぱり何も変わっていない。優しい瞳。人懐っこい笑顔。全部、思い出の中の神奈と同じだ。

「……どうしてここに?」

 試すように尋ねた。答えなんて、分かっているけれど。

「君を迎えにきたんだ」

 予想通りの言葉を、神奈は告げた。

「あいつと会う前に、僕とデートしようよ」

 ポケットに突っ込んでいた右手を出して、王子様のように差し伸べる。

 背中に寧々たちの視線を感じた。視界の隅っこに、セーラー服と学ランがちらちら映った。

 この手を取ったら、きっともう引き返せない。もう二人の元には戻れない。ぼくはきっと、ぼくじゃなくなる。何故だか分からないけれど、そんな気がした。

「……いいよ」

 小さな声で答えて、ぼくは神奈の手を取った。