「ごめんね、野ばら。怖がらせちゃって」

 着替えを終えて「リリィ・ローズ」に戻ると、めぐさんは申し訳なさそうに眉を下げた。

「立夏はあたしの姪なんだ。今日からしばらく遊びにきてるんだよ」
「そうなんだ……」 

 ぼくはテーブルに頬をくっつけて、外にいる立夏さんたちを眺めた。三人とも露出度の高いビキニを着て、ビーチボールで遊んでいる。ボールを高く上げるたび、大きな胸がぷるぷる揺れているのが分かる。女の人って、すごい。全く膨らむ気配のないぼくとは大違いだ。ぼくもいつか、あんな風に大きくなるんだろうか……。

「すごく綺麗になっててびっくりしたよ。この間まで制服着てたのに」
「まだまだ子供だよ。夜、またお邪魔しちゃうけどいい?」
「もちろん」
「悪いね、うるさくして」

 平気だよ、と言いながら、神奈はめぐさんとぼくにジュースを手渡した。さくらんぼとオレンジが飾ってある。ぼくは勢いよく上半身を起こした。

「おいしそう!」
「トロピカルジュースだよ。飲んでみて」

 くるくると渦を巻いたストローを口に含んで、思いきりジュースを吸い込む。甘酸っぱい味が口の中に広がった。

「おいしい!」
「でしょ?」

 神奈が得意げにウィンクした。

「何が入ってるの?」
「パイナップルとオレンジとマンゴーと……あとバナナとヨーグルト」
「好きなものばっかり」

 それならよかった、と神奈が笑う。ぼくは夢中でジュースをストローで吸い上げた。神奈は魔法使いみたいだ。一体どうやったらこんなにおいしいものが作れるんだろう。

「そうだ。はい、野ばら」 

 めぐさんはそう言って、ぼくに大きな紙袋を差し出した。

「なぁに?」
「あんたの服。気に入るか分からないけど」

 ぼくは紙袋を受け取って、服を一枚カウンターに広げた。

「わぁっ、かわいい」

 それは白いワンピースだった。フリルとリボンがたくさんついている。まるでお姫様みたいだ。紙袋を覗くと、花柄のスカートや水玉のシャツなど、女の子らしい洋服がたくさん入っていた。

「ぼく、こんな服着たことない」
「気に入らなかったかい?」
「ううん、ありがとう。大事にするね」 

 ワンピースを抱き締めると、めぐさんは嬉しそうに目を細めた。

「よかったねぇ、野ばらちゃん」
「うん」 

 神奈の言葉に頷いて、ワンピースをもう一度広げた。ユリさんが着ていたものとちょっと似てる。

「着てみるかい? サイズも見たいし」
「……うん!」
「じゃ、神奈。ちょっと後ろ向いてて」
「えっ、ここで?」
「気にしない気にしない」 

 めぐさんがぼくの服に手を掛けたのを見て、神奈が慌てて後ろを向いた。ぶかぶかのTシャツを脱いで、ワンピースを頭から被ると、めぐさんは鏡の前にぼくを立たせた。

「いいじゃない、かわいいよ」
「……これ、ぼく?」

 そこに映っていたのは、ぼくが知っているぼくじゃなかった。普段着ている洋服とはちょっと違う。ほんの少し、お姉さんになった気分だ。その場でくるりと回ってみると、ワンピースがふわりと翻った。絵本の中のお姫様みたいだ。

「ねー、もういい?」 

 神奈がじれったそうに叫ぶと、めぐさんが「いいよ」と答えた。

「わぁ、かわいい!」 

 神奈はぼくを見ると、興奮したように声を上げた。

「かわいいよ、野ばらちゃん。お姫様みたいだよ」
「なんか、恥ずかしい。普段こういう服着ないから……」 

 ぼくは照れくさくなって、ワンピースの裾を弱く握った。

「すっごく似合ってるよ。あっ、蒼葉にも見せてくれば?」
「えっ」 

 顔を上げると、にこにこ顔の神奈と目が合った。この服を、蒼葉に? 意見を求めるようにめぐさんを見る。めぐさんはにっこりと頷いた。

「そうだね。行っておいでよ」
「でも……」 

 こんな姿のぼくを見たら、蒼葉はどんな反応をするだろう。似合わないと笑われるかもしれない。それに、やっぱりなんだか恥ずかしい。ためらっているぼくを見て、神奈がわざとらしく「あっ、そうだ」と声を上げた。

「これから食材の買い出しに行くんだ。僕一人じゃ重たくて持てないから、蒼葉にも手伝ってほしいんだけどなぁ」 

 どうしようかなぁー、と大げさに首を傾げて、ちらちらとぼくを見る。

「……呼んでくる!」 

 ぼくは大きく叫んで、勢いよくお店を飛び出した。階段を上って扉を開けると、横たわっている蒼葉の足が見えた。クーラーから吐き出される冷気が、ごおおお、と低く唸っている。音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと蒼葉に近づいた。さっきと同じように、蒼葉はだらしなく寝転がっていた。

「蒼葉」

 耳元に口を近づけて、そっと名前を呼んでみる。蒼葉が起きる気配はない。

「蒼葉。……蒼葉」

 声のボリュームを大きくして、蒼葉の体を強く揺さぶった。閉じていた二つの目蓋が、お店のシャッターみたいにゆっくりと上がっていく。ぼくと目が合った瞬間、寝ぼけた瞳がカッと大きく見開かれた。

 突然、腕を掴まれた。ぼくはぴゃっと声を上げた。

 勢いよく上半身を起こした蒼葉は、蒼白な顔でぼくを見つめた。ユ……、と、薄い唇の間から声が漏れた。

「ど……どうしたの……?」

 ぼくはびっくりして蒼葉を見上げた。蒼葉はぼくよりもっとびっくりしていた。額には汗が滲んでいる。ようやく状況を理解したのか、蒼葉は「ああ……」と息を吐いて、ぼくの腕から手を離した。

「……その服は?」
「え? あ、めぐさんがくれたの」

 蒼葉は無言のまま、観察するように、ぼくを上から下まで眺め渡した。たった数秒くらいのはずなのに、なんだかものすごく長く感じる。ぼくがそわそわしていると、蒼葉はそっと微笑んで、ぼくのほっぺたに手を添えた。

「その服着てると、本当に、天使みたいだな……」

 大きくて、ごつごつしてて、あったかい。ぼくは慌てて俯いた。蒼葉に触れられているほっぺたが熱い。どきどきがおさまらないのは、きっと驚いたからじゃない。

「か、神奈が呼んでる。買い出し、手伝ってほしいって」
「ああ……すぐ行くから、下で待ってて」

 あくびをしながら立ち上がって、蒼葉はうーんと伸びをした。それからぼくの方を見て、

「一緒に来るだろ?」
「……うん!」

 勢いよく立ち上がると、蒼葉はおかしそうに目を細めた。