何曲かめぐさんの歌を聞いているうちに、だんだん目蓋が重たくなってきた。うとうとして体を傾けていると、蒼葉が突然席を立った。

「上に戻る」
「ええっ、もう?」

 神奈が不満そうに口を尖らせた。

「子供はもう、寝る時間」

 蒼葉はひょいっとぼくの体を抱き上げた。ぼくはあくびをしながら、蒼葉の首に腕をまわした。

「そっか。おやすみ、二人とも」
「おやすみなさい……」

 むにゃむにゃと挨拶をして、ぼくと蒼葉はお店をあとにした。外に出た途端、生ぬるい潮風が全身をするっと撫でた。蒼葉が階段を上るたび、カンカン、と乾いた音が鳴る。

 部屋に戻って、部屋の隅っこにぼくを下ろすと、くしゃくしゃになっていた布団を畳の上に伸ばした。押入れを開いて、もう一つ布団を取り出す。その上に枕を放り投げて、「お前は、こっち」と言った。

 適当に頷いて、ぼくはごろりと布団の上に寝転がった。枕に顔を押しつけると、何年も奥深くにしまわれていたような、古いにおいがした。部屋のカーテンを閉めて、部屋の電気を消すと、一気に視界が黒く染まった。うっすらと目を開けたら、風呂場の明かりだけがぽっと明るく光っていた。シャワーの音が聞こえてくる。

 昨日の夜シャワーを浴びていたのはお姉ちゃんだった。あのあとすぐに家を飛び出して、ユリさんの駄菓子屋に走って、蒼葉に出会った。昨日のことなのに、なんだか随分昔のことのように感じる。ずっと前から、蒼葉を知っていたような気さえする。エメラルドグリーンの広い海を。優しいさざなみを。綺麗な歌声を。

 シャワーとドライヤーの音がやむと、蒼葉が隣の布団に横たわった。

「蒼葉」

 囁くように名前を呼んだ。蒼葉がびっくりしたようにぼくを見た。

「まだ起きてたのか。……起こしちゃった?」
「ううん、起きてた」

 ぼくらの声は、内緒話をするようにひっそりとしていた。カーテンの隙間から漏れる月の光が、ぼんやりと部屋を照らしている。

「今日は、いろんなことがあったね」
「そうだな」
「神奈のご飯を食べて、買い物して、海で泳いで」
「泳いだのはお前だけだけど」
「夕焼けも見たし、めぐさんの歌も聞いた」
「ああ」
「明日は何が起きるのかなぁ……」

 とろとろのバターみたいに、声がどんどん溶けていく。あくびが言葉の邪魔をして、うまく蒼葉に伝わらない。

「蒼葉」
「……」
「あおば」
「……聞こえてる」
「寝ちゃったかと思って」
「そんなに早く寝れるかよ」

 あくびを噛み殺しながら答えて、蒼葉はぼくに背を向けた。広くて大きい、蒼葉の背中。服のしわが波のようだ。掴みどころがなくて、素っ気なくて、でも傍にいると安心する。海みたいな、男の人。

「あのね……もうちょっとだけ、ここにいていい?」
「……いいよ」

 ぶっきらぼうだけど優しく、蒼葉が答えた。よかった。ぼくは安心して、重たい目蓋を素直に閉じた。今日あった出来事が、頭の中でぐるぐると渦巻いている。眠いのに。もう寝たいはずなのに。ああ、どうしよう。

 波の音がうるさくて眠れない。