部屋に戻って、買ってきたものを二人で整理した。どれだけクーラーの温度を下げても、直射日光が窓から入ってきて、じんわりと額に汗が滲む。カーテンを閉めたら、部屋の中が暗くなった。蒼葉は冷蔵庫から麦茶を取り出して、二つのコップに注いだ。

「水着、着てみれば」

 畳の上に水着を広げていたぼくは、蒼葉の声で顔を上げた。

「いいの?」
「だって、お前のだし」

 テーブルにコップを運びながら、蒼葉が答える。ぼくは大きく頷いて、水着を掴んで脱衣所に行った。

 慣れない水着になんとか着替えて鏡を見る。いつもより少し女の子っぽいぼくが映っている。その場でくるりと一回転したら、スカートの部分がふわっと膨らんだ。長い髪を両手で二つに掴んで、ちょっと首を傾げてみる。無意味に数回ジャンプしたら、頬が緩んだ。居間に戻ると、蒼葉がお、と声を上げた。

「かわいいな、それ」

 手に持っていたコップをテーブルに置いて、上から下まで丁寧に見られた。それがなんだか恥ずかしくて、ぼくはへへ、と照れ笑いをした。

「変じゃない?」
「変じゃない。似合ってる」
「こういう水着、初めて」
「初めてだらけだな。……後ろ、リボンがついてるのか」

 背中を覗き込んで、蒼葉が感心したように言った。

「ねぇ、泳いでもいい?」

 絡みつく視線をほどくように言ったら、蒼葉が「いいよ」と腰を浮かせた。そのまま外に出ようとするので、ぼくも慌ててサンダルを履いた。

「蒼葉も泳ぐの?」
「俺は、見てるだけ」
「どうして?」
「もう、海ではしゃぐような年じゃない。……浮き輪出してやるから、ちょっと待ってて」

 階段を下り終えて、お店の裏側にある倉庫を開く。覗き込むと、浮き輪やビーチボールがたくさん置かれていた。その中から一番小さな浮き輪を取り出して、ぼくに手渡した。

「これでいいか」
「うん」

 花柄の浮き輪を受け取って、ぼくは一目散に海へと走った。砂浜の上でサンダルを脱いで、ぱしゃぱしゃと海の中に入っていく。浮き輪の上に乗って浮かんだら、空が一段と近く見えた。

 昼間だというのに、海にはぼくしかいなかった。砂浜を歩く人影もない。聞こえるのはかもめの鳴き声と、はしゃぐような波の音だけだ。耳を澄ませたら、入道雲が動く音すら聞こえるような気がする。まるで、世界でひとりぼっちになった気分だ。

 静かな海を漂いながら、ぼくはぼんやりと空を仰ぐ。とまっているようなスピードで形を変える雲を目で追って、人差し指でそっと指す。あれはうさぎ。あれはイルカ。あの雲は、花の形をしている。

 昔から、手足を動かして泳ぐより、こうしてぷかぷかと浮いている方が好きだった。学校のプールで泳ぐと、すぐに後ろの子に追いつかれて、ぶつかってしまうのが嫌だった。

 授業が終わる直前、先生は決まって十分の自由時間をくれた。他のみんなは泳いだり、水をかけ合って遊んでいたけど、ぼくはプールの片隅で、ただぼんやりと浮かんでいた。誰にも邪魔されず。誰にも急かされず。水中の音に耳を澄ませて空を見ていると、泳ぐよりずっと、自由になれるような気がした。

 海のゆりかごに揺られながら、太陽の光に目を細めた。学校のプールよりずっと広い、エメラルドグリーンの海。大勢の子供がぎゅうぎゅう詰めにされたプールとは違う。この波に揺られるのは、この海に抱かれるのは、世界中でぼく一人だけ。そんな錯覚に陥る。雲の上から見下ろしたら、きっとぼくは、砂漠を這う蟻のように見えていることだろう。どこにでも行けるけど、きっとどこにも行けない。小さなぼくは、大きすぎる自由をもてあましてしまう。あれほど望んでいた自由なのに、いざこうして海に浮かぶと、孤独が強く胸を叩いた。

 なんだか急に寂しくなって、砂浜の方を振り向いた。建物の二階、部屋の窓から、蒼葉がじっとこっちを見ていた。今朝と同じ、険しい顔をしている。ぼくの方を見ているのに、その瞳にはぼくなんてちっとも映っていない。蒼葉の視線を追ってみたけれど、やっぱりそこに広がるのは、果てなく続く海だけだった。 

 波に揺られながらうとうとしていると、浜辺から、「おーい」と神奈がぼくを呼んだ。

「お昼ご飯作ったよ!」

 まるで小さな子供みたいに、大きく両手を振っている。ぼくは浮き輪を体に通して、砂浜までバタ足で泳いだ。