背は高いのに、シャツから出た腕は恐ろしいくらい細い。押したらそのまま倒れてしまいそうなのに、何故か大男のような迫力がある。まるで痩せ細った熊みたいな、おかしな風貌だった。五十代にも、二十代にも見える。前髪に隠れた黒い瞳が、ぼくを映して微かに揺らいだ。

「……天使が、お迎えにきたかと思った」

 ひとりごとのように呟いて、その人はぼくの涙をそっと拭った。

「どうして泣いてる」
「……逃げ出し、たくて」

 ぼくは瞬き一つせず、男の人をじっと見つめた。暗闇で顔がよく見えない。

「どこへ?」
「分かんない。……分かんないから、ここに来たの」

 生ぬるい夜風が吹いて、駄菓子屋の風鈴が寂しげに鳴った。

「ユリさんは?」
「いない」

 お兄さんはちょっとぶっきらぼうに答えた。ぼくは部屋の奥を覗き込んだ。闇に目を凝らしてみても、確かにユリさんの姿は見えない。ぼくはお兄さんに視線を戻した。

「あなたは、だぁれ?」
「……蒼葉」

 消え入りそうなほど小さな声で、お兄さんが言った。蒼葉。夏の太陽がよく似合う名前だ。

「どうしてここにいるの?」
「もうすぐ、いなくなる」

 ぼくが首を傾げたら、蒼葉はちょっとだけ微笑んだ。

「俺も、逃げてるんだ」

 冗談めいた声なのに、何故か冗談には聞こえなかった。男の人にはそぐわない、甘いお菓子みたいな笑みが、暗闇に青白く浮かんでいる。そのアンバランスさがおかしくて、強く惹かれた。 

 ぼんやりと立ち尽くすぼくに、蒼葉はそっと手を差し伸べた。 

「一緒に来るか?」
「……うん」

 ためらいなんて、一ミリもなかった。

 差し出された手を掴んだ。どうしてそうしたのかは分からない。だけど蒼葉なら、蒼葉だったら、平凡な悲劇の中から、ぼくを助け出してくれると思った。重ねた手から、蒼葉の体温が伝わってくる。いつの間にか涙はとまっていた。

 さようなら、ぼくの世界。ぼくの居場所。