暦上は春といえど、まだ風は凍えそうなくらい冷たいし、マフラーなしでは肌寒い。日差しだけが暖かく降り注いで、冬の気配を薄めていた。

 卒業式は期待通りあっけなく終わった。卒業生代表として答辞を読んで、卒業証書を受け取って、お別れの歌を歌う。あとはそれぞれのクラスに戻って、担任のありがたいお言葉を聞けばめでたく終了。おまけのような通知表を受け取れば、中学生としての役目はなくなる。

 離れ離れになって寂しいと泣く女の子たちや、はしゃぐ男の子を尻目に、ぼくは何の感情も抱かなかった。寂しさなんてない。悲しみなんてない。涙も笑顔もこぼれてはこない。

 五年前から、ぼくはずっとこの日を待っていた。セーラー服を脱ぐ瞬間を。義務教育が終わるのを。ぼくにとって卒業式は、子供を終わらせる儀式だ。厳粛で、神聖な式典なのだ。感傷に浸る暇なんてあるはずもない。

 別れを惜しむクラスメイトたちを置き去りに、ぼくは早々と教室を出た。一刻も早く中学校から出たかった。セーラー服を脱いで、義務教育を終えたかった。

 昇降口に行くと、幼なじみの寧々がぼくを待っていた。髪の毛がいつもよりカールしている。唇がほんのり色づいていた。

「答辞、かっこよかったよ。自分で考えたの?」
「まさか。先生が用意したやつを呼んだだけ」

 ローファーを履いて外に出ると、今朝よりは幾分か暖かかった。
 いつもスカスカのグラウンドには、たくさんの車が狭苦しく並べられていた。隅っこに置かれた鉄棒。ところどころ傷んだ校舎や、古ぼけた体育館。思い出なんて何一つないこの中学校に来るのも、きっと今日で最後になる。

「部室には顔出さないの?」
「昨日お別れ会したから」
「みんな寂しがってたでしょ。野ばらは水泳部のエースだもん」
「もうとっくに引退したよ。昨日は色紙もらって、それでおしまい」
「ついに中学校も卒業かぁ」
 
 風で乱れた髪を手で押さえながら、寧々がしみじみと呟いた。

「全然実感湧かないや。そうだ、テルとは何か話した?」
「何で?」
「だって、一応幼なじみだし。高校ではみんなバラバラになっちゃうんだし、それに……ねぇ」
「えっ、なになに?」
「もぉー、だってテル、明らかに野ばらのことさぁ」

 んふふ、と変な笑い方をして、寧々が脇腹を小突く。何だよぉ、とつつき合っていると、後ろから「御陵」と名前を呼ばれた。

 振り向くと、そこには仏頂面のテルがいた。学ランのボタンを二つ開けて、カバンを片手で背負っている。どれだけ不良を気取っても、ツンツンと跳ねた髪型は昔のままだ。

「なんだ、小野寺もいたのか」
「なんだって何よぉ、テルのバカ」
「テルって呼ぶなよ。九条って呼べ」
「やだ。じゃああたしのことは寧々って呼んでよ」
「何でだよ」
「じゃあぼくも野ばらって呼んで」
「はっ?」

 テルが動揺したようにのけぞった。

「だ、だから何で呼ばなきゃならないんだよ」
「いいじゃん。今誰もいないよぉ」

 寧々がにやにやしながら囁く。最初は抵抗していたテルだったけど、やがて観念したように小さな声で、

「……野ばら、寧々」
「よろしい」

 ぼくたちは顔を見合わせて笑った。