「まさか、こんな朝早くから来るなんて思わなかった」

 そう言いながら、ユリさんはぼくと神奈にオレンジジュースを差し出した。

「リリィ・ローズ」という名のレストラン・バーは、この海辺にある唯一の建物だ。七十年代を彷彿とさせるレトロな内装で、奥にはピアノと小さなステージがある。ぼくはカウンター席に腰掛けて、ストローを口にくわえた。

「久しぶりだね。すっごく大人っぽくなっててびっくりした」
「ユリさんは全然変わってない。相変わらず綺麗」
「私なんてもうおばさんよ。でも、そう言ってくれると嬉しいな」

 ふふ、と照れたように笑って、ユリさんは両手を頬にあてた。

「卒業おめでとう。テル君や寧々ちゃんは元気?」
「元気だよ。高校はみんなバラバラなんだ」
「そうなの? じゃあ寂しいね」
「家は近所だし、いつでも会えるから平気だよ」
「いいね、仲良しで。また会いたいなぁ。三人は大切な常連さんだったもの」
「昨日一緒にいた子たち?」

 隣に座っている神奈が尋ねた。

「そう。幼なじみなんだ」
「神奈、会ったの?」
 
 ユリさんがびっくりしたように声を上げる。

「見かけただけだよ。中学校まで行ったから」
「ずるい、私も見たかった。ねぇ、写真とかないの?」
「うーん、あったかなぁ」

 ぼくはポケットから携帯電話を取り出した。画面を見ると、着信が十件も溜まっていた。お母さんから七件、お姉ちゃんから三件。メールも十五通来ている。確認することもせず、ぼくは携帯をポケットに戻した。

「ごめん、なかった」
「あら、残念」

 ユリさんが大げさに肩を落とす。

「セーラー服の野ばらちゃん、かわいかったよ。昨日写真撮っとけばよかった」
「そうよ、何で撮ってくれなかったの? 神奈のバカ」
「そんなこと言われても……」

 二人の会話を聞きながら、ぼくはちらりと店の入り口に目をやった。さっきからそわそわして落ち着かない。こうして何気ない会話をしている隙に、店の扉が開かないだろうか。ふらっと蒼葉が入ってこないだろうか。そんなことを考えていたら、突然神奈が席を立った。

「そうだ、おなか減ってない?」
「えっ?」

 ぼくは慌てて振り返った。

「五年ぶりに作ってあげるよ。フレンチトーストとサンドイッチ、どっちがいい?」
「じゃあ、フレンチトースト」
「了解」

 神奈はにっと笑って、調理場に消えていった。

「めぐ姉さんたちにも知らせなきゃね。野ばらちゃんに会えるの、ずーっと楽しみにしてたんだから」

 そう言い残して、ユリさんも神奈のあとについていく。

 一人残されたぼくは床を蹴って、回転椅子をくるくる動かした。右から左に部屋が流れていく。五年前のぼくは小さすぎて、椅子に座ることさえ一苦労だった。今はちゃんと両床に足が着く。

 回転をとめて、近くにある鏡を覗き込んだ。十歳のぼくが、成長したぼくを不思議そうに見ている。そんな感覚に襲われた。

 十五歳のぼくは、五年前より背が伸びた。顔つきも大人っぽくなった。胸も膨らんだ。昔より、「おんな」に近づいた。でも、中身はこれっぽっちも変わっていない。泳ぐことも好きだし、わさびだってまだ苦手。五年前、ここに来た頃のままだ。何も、変わってなんかいない。

 髪を手ぐしで軽く梳いた。顔はむくんでいないかな。服、変じゃないかな。鏡の中の自分とにらめっこする。そうしているうちに、キッチンから甘い香りが漂ってきた。五年ぶりの神奈の手料理だ。ぼくは大人しく、フレンチトーストが出てくるのを待った。