「美夜ちゃん、今日はなんだかご機嫌だね。何かいいことでもあった?」

  机を合わせ、向かいの席で手作りのお弁当箱を開いていた夏恵が、唐突にそんなことを口にする。私が昨日の夜から創作意欲が湧いてきていることを話そうとすると、それよりも早く夏恵は含みのある笑みを浮かべて言った。

「それとも、これから何かあるのかな? 彼氏とデートとか」

 全く予測していなかった発言が飛んできて、今しがた飲んだコンソメスープを吹き出しそうになる。ごくりと熱いスープを飲み込み、喉を火傷しそうになりながら、否定の声を上げる。

「違うよ! そもそも、そんな相手いないし……!」

 訳もなく、まだ半分ほど中身が残っているスープジャーの蓋を固く締める。

 夏恵には倉吉先輩のことも、赤いマフラーのことも話していない。

 これまでの夏恵との会話で、恋愛絡みの話題が上がったことは一度もなかった。心拍数が非常に速くなっているのは、そんな夏恵の口から突然恋愛に関する単語が飛び出したから。そう自分の中で理由付けしていると、夏恵はふっと微笑んだ。

「だよね。美夜ちゃんは毎日文芸部に通ってる真面目な子だもん」

「そ、そういう夏恵こそ、西園くんとどうなの?」

 こちらに向いている話題の矢印の向きを変えようと、口早にそう指摘する。すると夏恵は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で言った。

「どうして、そこで西園くんの名前が出てくるの?」

 至極不思議そうな声色。赤いマフラーが見えずとも、その声と表情だけで夏恵が西園くんに対してどう思っているのかが読み取れる。

 何故だか、西園くんのことをとても応援したい気持ちになった。

「いや、ほら……この前階段ですれ違った時、仲良さげだったからさ」

「そうかな? 確かに最近よく話しかけられるけど――」

 そのまま話題は西園くんのことに移り、夏恵がいかに西園くんを異性として見ていないかをひしひしと感じた。徐々に西園くんを憐れむ思いが膨らんでいき、苦笑を続ける頬が引きつり始めた頃。

「あれ。美夜ちゃん、スマホ光ってるよ」

 夏恵にそう言われて下を向くと、机の隅に寄せていたスマホの横のライトが点滅していた。自然な流れでスマホを手に取って電源を入れると、ロック画面の上部によく使っているSNSの通知を示すマークがあった。それをタップすると見覚えのある名前が表示され、私は小さく声を漏らす。

「美夜ちゃん?」

 画面を見たまま固まる私を不審に思ったのか、夏恵は机に身を乗り出して私のスマホを覗き込む。

「〝穂乃花〟って、美夜ちゃんの友達?」

「うん。小中が一緒の学校で、家もわりと近くて、仲が良かった子なんだけど……」

 夏恵は最後の方の言葉を濁す私を訝しげに見つめ、少し躊躇う素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。

「何か、あったんだね」

 それは問いかけというよりも、確信に近いものだった。

 私は下唇を噛んで、小さく頷く。

「うん……。喧嘩別れして、そのまま疎遠になっちゃったんだ」

 彼女の名前の横に表示されているのは、『久しぶり』の四文字。何気ないその四文字の挨拶は私の心にとても重くのしかかってきて、頭の片隅に追いやっていた苦い記憶を引きずり出す。