「大丈夫か? 来月の締め切りまで、あと少ししかないだろ」

「いっそのこともう小説は諦めて、俳句か短歌を作って提出しようかと考えています。それなら、締め切りまでにもなんとか間に合うかなと」

「俳句か短歌、ね……」

 倉吉先輩はシャーペンの先を唇に当てる。暫しの沈黙の後、彼は自分の鞄から水色のルーズリーフファイルを取り出して、こちらに差し出してきた。

「えっと……?」

 倉吉先輩の意図がわからずに首を傾げる。すると彼は、揶揄うように笑って人差し指を自分の顔に向けた。

「俳句も短歌も専門外だけど、詩なら俺にも教えられる。憧れの言祝先生直伝の、詩の作り方。まぁ、無理にとは言わないけどな」

 差し出されたルーズリーフファイルから顔を上げて、まじまじと倉吉先輩の顔を見つめる。よく見てみると、その笑顔はぎこちなくて、細められた瞳もどこか自信がないように感じた。

(……倉吉先輩なりに、私のことを心配して、歩み寄ろうとしてくれてるのかな)

 自然と顔がほころんで、私はルーズリーフファイルを両手で受け取る。

(倉吉先輩の厚意に、甘えさせてもらおう)

 そう思った私は、笑顔で倉吉先輩に頭を下げた。

「ぜひ、よろしくお願いします」

 倉吉先輩はほっとしたように肩を下ろすと、パイプ椅子から立ち上がってその隣の席――私の正面の席に座り直した。

 さっそく受け取ったルーズリーフファイルを開き、倉吉先輩がこれまでに作ってきた詩を黙読する。

「……ありがとな」

 小声でそんな言葉が聞こえて、倉吉先輩へと顔を向ける。彼はこちらを見てはおらず、さっそくルーズリーフに詩の作り方のコツを書き出していた。

 そんな倉吉先輩を眺めながらそっと口元に手を伸ばし、先程から緩みっぱなしの唇に触れる。


 ねぇ、倉吉先輩。

 お礼を言うのは、私の方なんですよ。

 赤色の世界に対する見解も、好きな人を前にして高鳴る心臓の音も。

 全部全部、倉吉先輩から教えてもらったんです。


 だから、お礼を言わなければいけないのは、私の方なんですよ。


 過去に、一人で決めて始めた賭けを思い出す。

 人の好意は、告白の段階で必ずしも双方に向いているとは限らない。告白をきっかけに相手を意識し始め、結果的に赤いマフラーを巻きつけることもある。

 けれど今は、その賭けをするつもりはなかった。

 ようやくDVの辛い日々から解放され、まだ少し異性に対して苦手意識を抱いているであろう倉吉先輩に、酷な思いはさせたくなかったから。


 だから、私が送るのは「好き」という告白じゃなくて。

 生まれて初めて作る、たくさんの「ありがとう」を込めた詩を。

 赤色のマフラーを捨てた、どこまでも優しくて、大好きな貴方に。


(了)