「今日、結構寒いな」

 渡世の呟きに私は頷く。
もう十月半ばだ。秋は短いから、あっという間に終わるだろう。そのあとは今よりずっと寒い冬が待ち構えている。
 下校時間にはまだ早い通学路は閑散としていて、制服を着て歩いているのは私と渡世くらいしかいなかった。私たちはいつもと違う景色の通学路を歩き続け、やがて信号に差し掛かった。
 信号を渡らず真っすぐ歩けば、私は自分の家に着く。渡世は信号を渡らなければ、家に帰れない。だから、私たちはいつもここでお別れをしている。
最初はボディガードとして渡世の家まで送らないければならないと思ったが、渡世はさすがにそこまでしなくていいと言った。家がどこにあるかは知らないけど、そんなに遠くないのかも。だとしたら、私と渡世は結構ご近所さんだったり……?

 サボると言っても、どこか寄り道をする計画を立てていたわけでもない私たちは、いつも通りここで別れる空気になった。ちょうど信号が赤になったので、青になるまで一緒に待ってあげることにした。

「朝倉。ここで……俺が赤信号なのに急に道路に飛び出したらどうする?」

 車が行きかう道路を見ながら、渡世が急にそんなことを言い出す。

「なに言ってるの。止めるに決まってるでしょ。人として当たり前に助ける」
「人として、か」
「ていうかそんなことしたら許さないから。それだと言ってたことと違うじゃん。渡世が死ぬのは不運なんでしょ? 自分から死ぬなんてありえない」

 なぜ渡世は、自殺をほのめかすような話をしてくるのか。冗談でも、こんな話は聞いていて気持ちいいものじゃない。

「じゃあ質問を変える。朝倉は――死にたいと思ったことはあるか?」

 私を見下ろしながら、渡世は小さく笑ってそう言った。

「……ないよ。今のところは一度も」

 どんなに日々が退屈でも、命を絶ちたいと思ったことはまだない。これからもないと思う。だって、死ぬ理由がないんだから。

「渡世は、あるの?」

 少しだけ、唇が震えた。

「あるよ」

 渡世ははっきりとそう言うと、自嘲しながらこう続けた。

「それと同じくらい、死にたくないとも思った」

 渡世がよくわからないことを言うのはいつものことだ。でも、今日は特に意味がわからない。
 自分が死ぬ未来を私越しに見て、少なからず恐怖を感じているのか。渡世の言葉の真意が、馬鹿な私にはまだ理解できなかった。

「あら、紬?」

 信号が青に変わったと同時に、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、そこには買い物袋を持った母の姿があった。

「まだ学校終わってない時間だけど、こんなところでなにしてるの」

 そうだ。絶賛学校サボり中だったんだ。渡世との妙な空気感から、いきなり現実に引き戻されてぎくりとする。

「それにこの人は一体……」

 お母さんは渡世の顔を覗き込む。すると、硬かった表情が一気にやわらいだ。

「やだイケメンじゃない! 紬、もしかしてそういうこと?」
「えっ? そういうことってどういうこと?」

 逆に聞き返してしまう。なにやらものすごい勘違いをされているような。

「申し遅れました。紬がいつもお世話になってます。紬の母ですー」

 余所行きモードの高い声で、お母さんは渡世に挨拶し始めた。

「いえ。こちらこそ。クラスメイトの渡世全と申します」

 渡世は一切動じずに、綺麗なお辞儀を返す。丁寧な返答にお母さんも満足げだ。

「渡世くん。お家はここから近いの?」
「すごく近いってわけじゃないですが、そんなに遠くもないです」
「今からまた雨がひどくなるみたいだから、落ち着くまでよかったらウチで休んでいったら? お菓子もいっぱいあるし、どうかしら!」

 お母さんが勝手に渡世を家に誘い始めたことに、私はぎょっとする。お菓子もいっぱいって……高校生相手に、お菓子で釣ろうとしているところがなんともお母さんらしい。だが、さすがの渡世もこんなのでほいほいついてくるわけ――。

「あ、じゃあお邪魔します」

 ない、と言いたかったのに。
 意外にも、あっさり渡世を釣ることに成功した……じゃなくて。えっ? 渡世が私の家に来るの!? 今から!? 本気で!?

「じゃあ雨が降り出す前に急ぎましょう」
「はい。あ、よろしければ荷物お持ちしますよ」
「まぁ! 頼りがいのある子ねぇ」

 慌てているのは私だけで、ふたりはさっさと先を歩いて行く。
 なぜか置いてけぼりをくらってしまった私は、小走りでふたりを追いかけた。

 雨に降られることもなく、無事家に到着した。……どういうわけか渡世も一緒に。

「飲み物とお菓子準備するから、ゆっくりしてってね」

 お母さんは渡世に愛想を振り撒きまくると、渡世から買い物袋を受け取って奥の台所へと消えていった。
 私の家は駄菓子屋を営んでおり、一階の半分以上はお店のスペースに使われている。渡世はたくさん並んでいる駄菓子を、ひとつひとつ手に取って観察していた。そんな渡世の様子を見て、今まで駄菓子と縁のない生活を送ってきたのだとすぐにわかった。

「この店、お母さんの趣味なんだよね。近くに小学校や保育園があるわけでもないのに駄菓子屋なんてって思わない? たまに近所の子供はくるけど」
「そうか? 俺は結構こういうの好きだけど」

 呆れ口調の私に、渡世は楽しそうに駄菓子を選びながらそう言った。いつの間にか両腕で抱えるほどの量の駄菓子を持っている。あれ、全部買うつもりなのだろうか。