死体処理道中

「さて」
 完全に空が黒く染まり、僅かに星が見えるようになると腰を上げる月野ちゃん。
「ホテル、戻る?」
 私も一緒に立ち上がる。
「ううん、もう一か所行かなきゃいけない場所がある」
「行かなきゃいけない場所?」
 この近くにホテルを取ったくらいだから、ここが今日の最終目的地なのかと思っていた。もう外も暗いし、昨日みたいに砂浜に寝そべろうにも、この辺りにそういう場所もなさそうなのに。
「ちょっと歩いてもいいかな」
「うん」
 きっと詳細を聞いても教えてくれない。危険だからと拒否する権利もあると思う。それでも、着いていく。
「とりあえずここを出よう。岩で転ばないように注意してね」
「うん」
 岩盤を引き返す。下はほとんど見えない。だけど月野ちゃんが導いてくれるから大丈夫。
「うわ、めっちゃ虫に刺されているよ。かゆいなぁ」
「そう? 私は全然だよ。月野ちゃんの血が美味しいのかな」
「えー、どうして」
 林を抜けて、ホテルも素通りして、外灯も少ない真っ暗な道を歩く。
「月野ちゃん、昔から人気者だからね」
「蚊に人気でも嬉しくないよ」
 歩く。
「ここの道、外灯はないけど歩道は整備されているね」
「観光地だからね、私の故郷とは違って」
 歩く。
「このまま、ずっとまっすぐなの?」
「えーっと、そろそろ右だったかな。看板とか見えなくて」
「スマホの地図とか見れば? 外に出しておけばライトも使えるし」
「あ、その手があった。奈緒ちゃん天才!」
 歩く。
「もうすぐ、着く?」
「うん」
 歩き続けて、辿りついたのは。
「……怖い、場所だね」
 断崖絶壁。
 真っ暗。まともな光源すらない。響く波の音、ぼんやりと見える岩肌。きっと度胸試しに利用する場所としては最適であるに違いない。
「一応、恋人の岬らしいよ、ここ」
「そ、そうなの」
 意外。雰囲気と違ってロマンティックな場所だったのね。月野ちゃんがスマホのライトで照らした先には、ハート形のオブジェと【恋人の岬】と書かれた石碑。
「ということは、月野ちゃんにここで告白でもされるとか?」
 少し安心したおかげか、冗談が口から零れる。ううん、内容的に冷静じゃないかも。
「あはは、それもありだけどさ。目的はそっちじゃないんだ」
 月野ちゃんが、スマホのライトを後ろに向ける。つられてそちらに目を向けると。

【投身自殺者慰霊碑】

「ひっ」
 思わず声が漏れる。
「驚くようなとこ?」
「だ、だって」
 安心しきったところでの不意打ちだったから、
「こっち、ついてきて」
 月野ちゃんが歩きはじめる。私は小走りでその後を追う。
「こっちに、なにがあるの?」
「……」
 返事はないけど、代わりにライトで看板が照らされる。【海岸公園】という文字。下に書かれた立ち入り可能時間はとっくに過ぎているし、入り口はロープで閉鎖されている。
「まあ、平気っしょ」
 それなのに、月野ちゃんは平然とそこを乗り越えてようとして。
「立ち入り禁止だって」
「いいんだよ、最後なんだから」
 最後、最後ってどういうこと?
「つき――
『この先は夜間立ち入り禁止です。危険ですので引き返してください』
「ひっ」
 私が声をかける前に、鳴り響く機械的な音声。
「げっ」
 センサーみたいなものが付いていたのかな。
「ほ、ほら、駄目だよ。帰ろうよ」
 ビックリしたけど、助かった。これで月野ちゃんを止めることができる。
「……それなら、方針転換」
「つ、月野ちゃん」
 だけど月野ちゃんは止まらない。来た道を引き返すと、ホテルとは反対側、木々に囲まれた真っ暗な道を進んでいく。
「ま、待って」
「奈緒ちゃん、きて」
 手を引かれる。有無を言わさない、拒否権はないと言わんばかりに。
「月野ちゃん」
 だけどその手は、月野ちゃんの手は、震えている。
「危ないから、ゆっくり歩こう」
「……ごめん」
 月野ちゃんの足の運びがゆっくりになる。同時に、手の震えも止まる。
「しばらく歩くの?」
「地図だと、もう少し」
 先の見えない森の中、スマホのライトだけを頼りに歩く。
「動物とか、出そうだよね」
「そういやここ、クマの生息地だったかも」
「じょ、冗談はやめてよ」
「あはは、ごめん」
 白々しく弾む会話。少しずつ開けていく視界。
「あ、ここだ」
 そうして進んだ先に現れたのは、草木が雑然と生い茂った、廃墟のような公園。
「管理をしている人が消えちゃってさ、ずっと放置されているんだって」
「月野ちゃん、来たことがあるの?」
 普通、始めて来る人間では知りえないような場所に見えるのに。
「調べたんだよ、念入りに。それでこっちにもさ、ほら」
 草を掻き分けて進んでいくと、現れる断崖絶壁。その先の海。
「さっきの場所と違って有名な名所じゃないから、案外規制されないんだよね」
 整備されていない、岩の足場。
「怖い?」
「……怖いよ」
 怖くない訳がない。
「……見て、上」
「上?」
 見上げる。
「光……」
 星空だ。満点の星空、光の川。
「周囲に建物がないからかな、輝いているね」
 月野ちゃんはそう呟きながら、懐から袋を取り出し、海に向かって放り投げる。
「これで最後の、死体処理」
「ねえ、それは」
「陽子ちゃんの骨だよ。火葬されたあと、こっそり持ち出したんだ」
「そっか……」
 途中で気づいた。
 死体処理、白い粉。陽子ちゃんを見送る間、ずっと傍を離れなかった月野ちゃん。
「昔、陽子ちゃんと言い合ったんだよ。もし死んだら、海に灰や骨を撒くのがいいねと」
 きっとそれは、海沿いの街で育った彼女たちなりの冗談。
「本当は地元でそれをしなきゃいけないのは私も分かっている。だけどあの場所だと陽子ちゃんが成仏できないかもしれないから、選んだのが他の街の海」
 だけど月野ちゃんは、それにすがるしかなかったんだ。
「ここね、生前の陽子ちゃんと来てみたいって話していたの。大きくなったら、成長したら、この場所にきて、美味しいご飯をいっぱい食べて、綺麗な砂浜で遊んで、海を目いっぱい楽しんで」
 きっとそれは、私の知らない二人の時間の中のお話。幼いころから積み重ねてきた二人の、二人じゃなければ理解できない世界のお話。
「知らない世界を二人で想像して、疑うこともなく未来を信じていた。若いうちに死んじゃうなんて、そんな未来は、二人とも想像していなかった」
 まだ十七歳だった。普通に生きてきた私たちは、死を想像することさえしなかった。あの時、陽子ちゃんが死んでしまうまで。
「一緒にやりたいことがたくさんあった。大人になったら毎年のように一緒に旅行して、おばあちゃんになるまで傍に居続けようと約束していた。あの日、十七歳で青春が終わってしまわなければ、陽子ちゃんが消え去ってしまわなければ。私たちはずっと一緒に生きていたんだと思う。奈緒ちゃんも含めて、三人で」
 それが想像した未来。叶わなかった、私たちの理想の未来。
「陽子ちゃんの骨、今回の旅行中みたいに色々な海に撒いてきたんだ。キラキラと輝いた未来予想図の中にあった場所の全てに。時間が止まった彼女と一緒に、私は旅をしていた」
 少しずつ、処理していたんだ。消えない彼女の存在を。陽子ちゃんから離れることができない自分の中から。
「でもこれで本当におしまい。もう陽子ちゃんの欠片はない、行き逃した場所もない、ここが最後の場所」
 この場所が特別、というより、必要なものを備えていたのが、この場所だった、そう考えれば。
「月野ちゃんは、ここで陽子ちゃんと一緒に死ぬの?」
「そうだね。あとは私がここから降りれば終わり」
 死体処理の本当の意味、これが彼女の思い描いていた最後の舞台。だけどそれなら。
「どうして、私を連れてきたの?」
 私は彼女の幕引きを見届ける観客なの?
「……」
 それとも。
「ここで一緒に死にたかったの?」
「……奈緒ちゃんが死にたがっていれば、ね」
 そうだよね。
「死体を二体、まとめて処理しようと思ったんだよ。陽子ちゃんの欠片と一緒に」
 月野ちゃんはやさしいから。私が既に壊れてしまっていることを理解していたから。
「陽子ちゃんが事故で死んだ後、私は色々な物を失った。大切な友達、水泳の選手として将来、全部なくしてしまった。それは奈緒ちゃんも同じでしょ」
 私たちは同じ。陽子ちゃんが死んでから、大切な二人の友達を失くした。音楽を辞めた。心に影が差して、ただ生きるのが苦しくて、たまらなくて。歯車は狂い、何一つ思い通りにならない人生。生きる意味なんて失くしていた。
「奈緒ちゃんは、生きたい?」
「私は」
 だけど、私は。
「生きたいよ」
 私は。
「生きたいよ、月野ちゃんとなら」
 今回の旅の中で大切な人と時間を共有できる、大切に想える相手が横にいてくれる。それだけで私は楽しかった。心が満たされた。陽子ちゃんを思い出すのは辛かったけど、月野ちゃんと苦しみを分かち合えるのが、月野ちゃんと共に居られるのがそれ以上に。
「……そっか」
 ずっと握られていた手が離れる。
「月野ちゃんが傍にいて欲しい」
「それは、私が好きだから?」
「うん。だけどそれ以上に、月野ちゃんが誰かを求めているから」
 寂しがり屋だもんね、月野ちゃんは。
「だけど、私は」
 一歩、月野ちゃんが私から離れる。
「私は生きたい」
 一歩、近づく。
「陽子ちゃんが、下で待っているから」
 一歩、離れる。
「友達だよね、私と月野ちゃんも」
 一歩、近づく
「それは……」
 月野ちゃんの動きが止まる。
「一人、取り残されて寂しかったんだよね。誰かが傍にいて欲しかったんだよね」
 一歩、近づく。
「私は逃げた。目を逸らしたくて、あの場所から、あなたの傍を離れた」
 近づく。
「ほんの少しでいいから償わせるチャンスをくれない? 二度と寂しい想いはさせないから、死にたいなんて二度と考えさせないから」
 手が触れ合う。
「お婆ちゃんになるまで、私の傍にいて」
 震える手を、強く握る。
「……私さ、死ぬのが怖かったんだよね」
 月野ちゃんが、その場に座り込む。
「さっきはあんなこと言ったけど、旅をしている間に一人で死のうと思ったこと、本当は何度もあった。だけど怖くて死ねなかった」
 私も同じように座る。ゴツゴツとした岩の感触。
「それでも二人なら死ねると思ったのに。奈緒ちゃんは一緒に死んでくれると思っていたのに」
 握り合う手のひらに、水滴が落ちる。
「これは、予想外だったな」
 決壊。限界だったのかな、声を殺して泣き出す月野ちゃん。そんな彼女を私は抱きしめる。
 ほんの少し前までは恐ろしい場所でしかなかったのに。今ではここを離れたくなかった。この時間が、永遠に続けばいいとさえ思った。