ここは、夢?
『陽子ちゃん……』
 灰色の世界。俯いて動けなくなった私の姿。
 これはあの日の夢。陽子ちゃんの家族、友達、みんな泣いていた。いつも太陽みたいに輝いていた陽子ちゃんの死を悲しんでいて。私も例外ではなく、皆と共にめそめそと泣き続けて。
『…………』
 そんな中、月野ちゃんは泣きもせず、顔を歪めることもなく。無表情で、陽子ちゃんを見つめて続けていた。最後まで、火葬されたてお墓に入るまで、無表情のまま陽子ちゃんの横を離れずにいた。
 私はそんな彼女から、目を離すことができなかった。

「……陽子ちゃん」
 夢に彼女が出てきたのは久しぶりだった。原因は間違いなく、月野ちゃんとの会話。彼女が陽子ちゃんとの記憶を掘り返してくることによって起こった。だけどその結果、夢の主役が彼女、月野ちゃんだったのはなんて。
「そうだ、連絡……」
 あれ、スマホにメッセージが。
『さっきの白い砂浜にいるであります!』
 可愛いかもめのスタンプ付き。月野ちゃんが昔から好きだった、地元のキャラクター。
「懐かしいな」
 疲れは取れている。月野ちゃん、お腹を空かせているかな、早く行ってあげないと。

 砂浜、と言ってもどこにいるのか分からない。結構広いし、薄暗い中だとなかなか見つからない。
「あっ……」
 探し続けて数分、海の傍、今にも飲み込まれてしまいそうな場所で佇む女の子を発見。
「そこに座っていると濡れちゃうよ」
 離れた位置から、声をかけてみる。
「……だね」
 月野ちゃんは立ち上がって少し後ろに下がると、砂浜に寝そべってしまう。
「服、汚れるよ」
「大丈夫、あとでちゃんと砂を落とせば」
 そんなものなのかな。
「奈緒ちゃんも」
「うん」
 素直に従って、月野ちゃんの横に腰かける。
「寝そべると、気持ちいいよ」
「そうだね」
 少しだけ躊躇したけど、彼女と同じように身体を横たえる。
「あぁ」
 ひんやりとした感触。程よくざらざらした砂。これは確かに気持ちいいかも。
「私は好きなんだよ、こうやって砂浜に寝そべるの」
「旅で、よく海へ行くの?」
「そうだね。私たちは海の子だから、不思議と引き寄せられちゃうみたいで」
 海の子、あの場所で育って、輝いた、たった一年の記憶。
「今はさ、海の匂いがする場所に来ると、楽しい気持ちになれる。あの事故の後しばらくは、近寄りたくもなかったのに」
 そうだよね。きっと海には陽子ちゃんとの思い出がいっぱい詰まっているだろうから。
 遺族を除けば、もしかしたら除かなくても。陽子ちゃんの死の影響を最も受けたのは月野ちゃんだ。少なくともたった一年の付き合いだった私とは比べ物にならないほどのショックを受け、悲しんだ。
「綺麗だよね、キラキラと輝いていて」
「キラキラ……」
 人の気配が消えた夜、微かな光に照らされる白い砂浜は、この時間にしか見られない輝きを放っている。
「ここ、いいね」
「へっ」
「これ」
 そう言いながら、月野ちゃんは懐から小さな袋を取り出す。中に入っているのは、白い、粉?
「それは?」
「……死体処理中」
 そして中身を静かに、砂の上へ落とす。さらさらさらさら、白い粉がこぼれ落ち、白く輝く砂浜に混ざって消えていく。
「ひとまず、これで」
 月野ちゃんは最後まで行為の意味を説明することなく、袋を自らの懐へしまう。
「ねえ、今の」
「儀式だよ、ちょっとした」
 儀式。そんな、中二病の女の子みたいな言い訳。少なくとも今は話したくないということなのかな。
「奈緒ちゃんは今、どんな人になっているの?」
 その証拠に、無理やり話を変えられる。私のあまり触れてほしくない方向に。
「……普通の大学生かな」
「普通の、か」
 そう、普通の大学生。平均的な総合大学へ通う。それ以上でも、それ以下でもない。
「音楽はもう、やっていないんだね」
「うん」
 きっと今ピアノを弾いてもまともに演奏はできない。そんなレベルまで落ちるほど、音楽とは無縁な生活を続けている。
「ごめんね。知らなかったの」
「気にしないで」
 悪気があるわけじゃない。この子は意図的に人を傷つけられる子じゃないと、私は知っている。
「友達のはずなのに、お互いに知らないことばかり」
「友達失格かな」
「そんなことないよ。ただ私たちの繋がりには、いつも陽子ちゃんが居たから。互いに直接お話することもなく、陽子ちゃんを介していたから。それが当たり前になっちゃったんだよ」
 あの一年は、それ以外の人生すべてと比較しても、より濃密な時間。途切れてしまったからこそ、際立つ時間。そこで生まれた関係性は覆しようがない。
「……街灯のない田舎道。歩道はほとんどない。でも普段は車なんて通らない場所だから、少女は普通に道の真ん中を歩いていた」
「…………」
 陽子ちゃんの話。
「特別な行為じゃない。いつものこと、当たり前の日常の一部。だけどその日、たまたま通りかかった車にあっさり轢かれちゃった。でも責められないよね。街灯もない真っ暗闇の中、運転手さんは逃げることもなく救護してくれた、とてもいい人だった」
 それでも陽子ちゃんは助からなかった。あっさり死んでしまった。
「みんなさ、物事の善と悪とはっきりさせたがる。それが一番楽だから。悪者を責めるのが一番楽だから。実際私も考えたよ、誰が悪いのか」
 月野ちゃんが落ちていた石を拾って海へ投げ入れる。ポチャリ。小さな音が響く。
「轢いてしまったドライバー? 見通しの悪い夜道を呑気に歩いていた陽子ちゃん? 外灯をちゃんと整備していなかった行政? だけどね、いくら考えても悪者を見つからなかった。明確な悪人なんて存在しないから、当たり前なんだけどさ」
 そんな考え方ができる時点で、彼女は立派だ。私は何も考えずに憎んだ。陽子ちゃんを轢いたドライバーを。陽子ちゃんの家族もそう、みんなで謝る彼を罵倒して、頭を下げさせて、その結果、少しだけ心が楽になった。
「本当は考える必要なんてない、適当に都合のいい誰かを憎んで、心に残った物を消化してしまうのが正しいはずなのに。私は不器用だからそれができなくて。怒りとか、悲しみとか、ぶつけられる場所がなくて」
「違うよ。月野ちゃんは間違っていない」
 ドライバーは陽子ちゃんの死からすぐ、自らを責めて自殺した。あの時、他人を責めた分、私は苦しんでいる。酷い後悔が自分を襲っている。同じ苦しみを、月野ちゃん以外の全員が味わっている。
「……奈緒ちゃんさ、自分が海に飛び込もうとした時のこと覚えている?」
「うん」
 陽子ちゃんが死んでしまった直後。私はよく一緒に遊んでいた海の防波堤から、飛び降りようとした。耐えられなくなっていた、生きることに。
「奈緒ちゃんから遺書みたいなの送られてきたのを見てさ、急いで駆けつけて助けようとした」
「だけど月野ちゃんも、一緒に落ちちゃったのよね」
「そう。結局二人まとめて私のパパに助けられて、奈緒ちゃんは怒られたよね」
 いっぱい怒られた。自分の両親より真剣に、そして同時に泣いていた。ただの娘の友達の娘に過ぎない私の為に泣いてくれる、月野ちゃんに似たやさしい人だった。
「お父さんは元気?」
「元気だよ。娘が人生のレールから外れた点については、寂しそうだったけど」
「…………」
 きっとお父さんも、昔のように元気な月野ちゃんに戻って欲しいはずなのに。言いだせないのはやさしいから、なのかな。
「あー、湿っぽい話はこの辺までにして、ご飯食べに行こうか。ずっとここに居たら風邪を引いちゃう」
 パッと、立ち上がる月野ちゃん。
「奈緒ちゃんはなにか食べたい物ある? 選択肢は多くないかもだけど」
「……適当にコンビニで買えばいいかな、二人で静かにお話したいから」
「そう?」
「うん」
 二人になりたかった。
「分かった、今日は寝るところまで一緒だ」
「そうだね」
 今はただ、月野ちゃんと二人の時間を過ごしたかった。